第40話 違和感
案内に従って技術室までやってくる。
四菱工業の技術室は白いリノリウムの床にパイプ椅子合板の机が並べられ、多くのモニターやパソコン、配線が所狭しと置かれている。
マヨイガという人工知能を使う大会とはいえ、板の間と畳が目立つ武道館には不釣り合いな設備に感じた。
以前に国立武道館に見学に来た時にも見た、四菱工業の社員さんが試合の画面を見たり、予備のマヨイガらしいものにパソコンのケーブルをつないでキーボードに打ち込んだり、熱心に討論している。
僕の姿を認めるとそのうちの一人が慌てた様子で駆け寄ろうとするが、床に広がる配線に足を引っかけて転びそうになった。同時に机に置いてあるパソコンまで引っ張られ、床に落ちそうになる。
決勝前でドタバタしているのはわかるけれど、少し度が過ぎている気がした。
「以前に少し見かけたかな、四菱工業の二井だよ」
「お久しぶりです。それで、一体……」
「少しマヨイガの調整をしたいから君のを貸してくれる?」
ほとんど矢継ぎ早というか、一方的な会話。それに違和感を感じて、つい反論してしまった。
「他の選手はやっていないですよね? 同じく決勝に出る葵さんも呼ばれていないのに、なぜ僕だけ?」
二井さんは一瞬だけ言葉に詰まる。
でもすぐに気を取り直して、早口で僕に説明する。
「他の選手と違って、君も、君の流派の出場も初めてだ。今までの試合でも他流派の使わない技があった。その衝撃力などの数値を映像からの解析で測定すると、予測よりだいぶ違うデータが出た。だから決勝前に修正する必要があるんだ」
そこまで言われれば、反対する理由がない。
万一マヨイガに不具合が起これば、怪我では済まないだろう。
不自然なほど慌てていたのも無理ないか。
僕は腕に装着していたマヨイガを外し、二井さんに手渡す。
黒いリストバンドを受け取った二井さんは、なぜか僕から目をそらした。
「私にも見せてもらってもいいですか? マヨイガの調整を見られるのは滅多にない勉強の機会です」
「ああ…… 中島工業の娘さんなら問題ないですよ」
「私も彩お嬢様ならいいと思います」
少し言いよどんだものの、二井さんの声で中島さんもその輪に加わった。
黒いバンドの形をしたマヨイガだが、二井さんが小さなネジを差し込んでゆっくりと回し、わずかに表面をずらすと人工知能と呼ぶにふさわしい姿になる。
黒い表面の裏には、びっしりと隙間もないほどの数のコネクタがあった。
テレビの裏側にある配線を通す穴をもっと細かくして、びっしりと詰め込んだ感じだ。
それからは迅速に作業が始まった。
コネクタに無数のケーブルを差し込み、二井さんたちは十数名がかりでパソコンに向かって必死に数字やデータを打ち込んでいる。
その隣では別の技術者が僕の試合の映像を見ながら、モーションキャプチャや画面がぐちゃぐちゃになるほどの多くのグラフをディスプレイに写して激論を交わしていた。
マヨイガの調整って、たった一個でもこれだけの手間がかかるものなのか。
少し見ただけで頭が痛くなってきたので、部屋の隅でアレクシアと一緒に葵さんの動画を見たり、軽く対葵さんを想定したリハーサルに付き合ってもらう。
一方中島さんは興味津々らしく、僕たちが数秒で音を上げた数式に食らいつくようにして見入っていた。
「試合場の床の材質…… 衝撃力の計算式……」
「すごい…… 高校物理とは比べ物にならない」
三十分か、一時間か。
その間にアレクシアは「お茶を飲みすぎたようですネ。はばかりにいってきまス」と席を外した。
やがて調整が終わったらしい。
二井さんがマヨイガを持ってきて僕の手首にはめてくれた。
「はい。これで大丈夫だよ。絶対に、ね」
顔に疲労の色をにじませた二井さんに、僕はゆっくりと頭を下げる。
「お疲れ様です。それとさっきは生意気言ってすいません」
「いや、問題ないよ。試合前で神経が高ぶってるときにいきなり呼びつけられたらいい気はしないだろうしね」
二井さんは少しも怒った様子がなく、額の汗をタオルで拭っている。
見学していた中島さんもさすがに疲れたようで、眼鏡をはずして眉間を人差し指でもみほぐしていた。
「彩お嬢様、どうでしたか?」
「すごく勉強になりました。マヨイガの調整をこんなに早く見られるなんて、一生ものの体験です」
「そう言ってもらえるとこちらとしても技術者冥利に尽きますね」
二井さんは上機嫌に笑っていた。
「文献でマヨイガの計算式や数値設定はいろいろと見ましたけど、特に今回は初めて見る式がありましたし」
それを聞いた途端、汗をぬぐう二井さんの手が一瞬だけ止まった。
「何の式か、わかったのですか?」
「いえ…… 一瞬でしたし、複雑すぎてとても。ただ、普通とは違う式というくらいしか」
「なるほど…… 調整ミスかもしれませんね。もう一度見せてもらってもよろしいですか」
二井さんは再び僕の手からマヨイガを外し、コネクタにつないでパソコンとリンクさせる。
再び頭がぐちゃぐちゃになる画面が多くのウインドウとともに現れた。
画面をスクロールさせながら、二井さんと中島さんは目的の場所を見つけ出す。
「あ、ここです」
中島さんが指さした画面を鋭い視線で見た二井さんは、中島さんにお礼を言ってキーボードをたたく。
「調整、終わりました。助かりましたよ」
さっきよりずっと大粒の汗をかいた二井さんたちは、マヨイガを僕に手渡すこともなく机に突っ伏したり、ミネラルウォーターやコーヒーをがぶ飲みしていた。
「しかし、一目見ただけでわかるとは、末恐ろしい方ですね」
「下手をすると我々はあっという間に抜かされてしまうかもしれない」
「いえ、私なんて違和感に気が付いただけですから」
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