人付き合いが嫌いで苦手な高校生の剣術師範。~アナタこそ、真のサムライでス~
霧
第1話 柳生流剣術
稲わらを束ねて作られた注連縄が、古びた神棚を守るように張られている。
僕は袴の裾を左右に払いながら垂直に腰を落とし、正座する。
柔剣道とは違う正座。今では限られた流派にのみ伝わる、サムライの正座だ。
ふわりと舞った袴が、臀部が床についた時には綺麗な三角形を描く。
刃を内側にして自分の右側に置いた木刀は、剣道のそれと比べ細く長い。
うすぼんやりとした明け方前の時間は、窓の狭い道場ではなおさら昏く、板張りの道場は裸足だと秋でも冷たさを感じた。
この隙間風の入る古びた道場にいるのが僕一人だから、余計にそう感じる。
剣道の試合場を二面縦に並べたくらいの広さ。
上座に据えられた神棚に対し、僕は拳を床につきながらゆっくりと一礼する。
その後再び立ち上がり「青眼」の構えを取った。
体や木刀を相手に対し斜め四十五度に向ける、独特の正眼。
その構えから右足を一歩踏み出し、木刀を振り下ろす。
能や日本舞踊のように静かに、頭を上下動させない足運び。
そのまま左右交互に踏み出して木刀を振る。
薄氷を踏むがごとき足さばきは、大きく踏み込んだ時も道場に物音一つ立てない。
そのまま百回程度正面への打ちを行った後、左右への袈裟打ち、くねり打ち、逆袈裟への切り上げなどの基本の打ちを行っていく。
でもうちに伝わる古流、「柳生流剣術」では払いも巻き上げもない正面への打ち下ろしが基本であり奥義だ。
正面への打ち下ろしと同時に相手の剣を流し、紙一重で勝ちを得る攻防一体の剣。
『どんな時でもまっすぐ振れるようになればその日のうちに免許皆伝をやるよ』
そう父さんに言われたことを思い出すが、未だその域には到達していない。
千回程度木刀を振った後は道場の床が汗で濡れていた。朝日が道場を茜色に染め上げ、滴り落ちた汗を紅い真珠のように輝かせている。
再び神棚に向かい一礼したのちに軽く道場を掃除し、家へと戻る。
母屋に戻って制服に着替えた後、歩くたびにぎしぎしと音を立てる廊下を抜けて、破けた障子から隙間風が入り込む台所へ向かう。電気炊飯器から炊き立てのご飯の香りが鼻孔をくすぐった。
僕は母さんの形見であるエプロンをつけ、みそ汁に入れる具を切ってから大根の漬物二切れを小皿に盛る。今日はご飯に生卵をつけようか。
近頃は日曜夜の伝統的なアニメでしか見なくなったちゃぶ台に食事を乗せて、手を合わせる。
一汁一菜に加えて生卵、なんていう贅沢だろう。
なんだか朝からむなしくなってきた。さっさと食べて、片付けて、学校へ行こう。
食後に出がらしのお茶を飲んで、皿を洗いながら古ぼけたテレビをつける。
テレビの中では去年の「聖演武祭」が行われているところだった。
『さあいよいよ始まりました、聖演武祭決勝!』
『ここまで勝ち進んできたのは若干十六歳にしてこの場に駒を進めた北辰一刀流、つややかなポニーテールが眩しい北条葵選手と……』
レポーターの声と共に、二人の選手が試合場に上がる。
テレビに映る剣道場では、ポニーテールの小柄な女子と大柄な男子が互いに向かい合っている。
だが互いの手にあるのは竹刀でも木刀でもなく、真剣だ。
しかも防具は小手すら身に着けておらず、道着を着ているだけ。それとお互いの手首に黒いバンドのようなものが巻かれていた。
にもかかわらず行われているのは約束事の演武ではない。
互いの真剣が交差するたびに火花が散り、澄んだ音が試合場に響く。
テレビの中で行われているのは、ガチの斬り合い。
真剣がお互いの体をかすめるたびに、観客席からは固唾をのんで見守る観客が手を組んだり、大声で声援を送ったりしていた。
やがて小柄な女子、北辰葵の刀が相手の面を捉える。
普通なら頭がスイカのように割れて中から血が噴き出しているだろう。
だが。切られたはずの相手の手首に巻かれた黒いバンド。
刀が皮膚を切る前にそれが糸のようにほどけたかと思うと、黒い繭のようなものに全身を包まれ身を守った。
同時に観客席から一斉に歓声が上がる。
『今回の聖演武祭の優勝者は、弱冠十六歳の北辰一刀流宗家の一人娘、北条葵選手! やはり北辰一刀流は強かった!』
歓声が収まったころ、黒い繭が解け中から対戦相手が出てくる。
真剣の一撃をまともに喰らったとは思えないほどにしっかりした足取り。
そのまま試合場の開始線まで出てきて、一礼した。
やっぱり、「マヨイガ」はいつ見てもすごいな。
僕、柳生宗太はテレビを消し、食器を洗ってから戸締りをして、家を出た。
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