第46話 柳生流奥義

「礼には及びませんよ」

 葵さんの細い顎から汗が一滴、床に落ちていく。

 彼女が回復させたかったのは自分じゃない。僕の体力だったのだ。

 僕が最後の賭けに出ようとした気配を感じ取って、互いに全力の状態で勝負ができるように待っていたのだ。

 電光掲示板の数字が残り十秒を切った。

僕は切っ先をわずかに下げて面に隙を見せる。

 達人は隙が無い、なんて嘘だ。

達人ほど隙のない構えを逆に嫌う。

 一か所だけ隙を見せて相手を誘い込み、カウンターで決めるほうが確実だからだ。

 柳生流剣術奥義もその例に漏れない。

葵さんがわずかに口の端を吊り上げ、一滴の汗が床に落ちる。

同時に仕掛けてきた。好機と見たのか、あえて誘いに乗ろうとしたのか。

シンプルな面打ちだが今までで一番速く、刀の切っ先は銀色の線にしか見えない。

 辛うじて刀より動きの遅い腕や腰から攻撃個所を見定め、僕も一瞬遅れて面打ちに行く。

 剣道の時間広田とやった時のように体を左右に捌かない。そのゆとりも、必要もない。

 傍から見ればただの面打ちにしか見えないだろう。

 お互いの面を捉えようとする僕と葵さんの刀が、空中で衝突する。

 切っ先同士が削れるどころか刃が欠け、火花というより火の玉が散った。

でも当然ながらスピードがあって、先に攻撃を仕掛けた葵さんの刀のほうが速く僕の面に迫る。


はずだが、それを逆転させるのが「合撃打」。


僕の面に迫ろうとした葵さんの刀は、わずかに軌道を変えていた。

一方僕の刀はまっすぐに葵さんの面へと迫っていく。

最短距離で迫る僕の刀が、葵さんよりも速く面を捉える。

これこそが新陰流奥義、「合撃打」。

刀同士を衝突させることでわずかに軌道を変え、己の刀のみを生かし相手の刀は殺す。

しかし刀の切っ先同士をぶつけるのは至難。わずかなズレさえも許されない。

奥義獲得への道はただ一つ、「刀を必ずまっすぐに振り下ろす」ことだ。わずかでも左右にずれれば切っ先にぶつからず、ずれてしまう。

 

『どんな時でもまっすぐ振れるようになればその日のうちに免許皆伝をやるよ』


 そう父さんから言われたことが走馬灯のようによみがえる。

同時に、僕の刀が葵さんの黒髪に触れた感触が伝わる。

勝った。

そう思った瞬間、マヨイガが装着された腕が、空中でピクリとも動かなくなる。

 え? 何が?

もう勝てるのに、勝利は文字通り目の前なのに。

 反れてもなお振り下ろされる葵さんの刀が、僕の肩口を捉えた。

肩の骨から体中が砕け散ったような痛みが伝わると同時に僕の体は黒い繭に包まれた。

繭の中の暗闇で、聖演武祭の終了を告げるアナウンスが聞こえた。


『優勝者、北辰葵』

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