鬼が十数えている間に隠れます
「見て、食べる。
「ひっ」
則ノ内さんはなんでもないことのように言ってのけたが、俺は息を呑んだ。恐る恐るこっくりさんを見ると、先と変わらぬ冷たい笑みで静かに立っている。
「まあいろいろあって神格化される訳ですが」
「え!? いろいろ
「え? 聞きたいですか? 先輩、うんちく好きなタイプですか?」
「え、っと。……いや、いいです。大丈夫です」
ヤバい。今の則ノ内さんの目、ちょっと姉ちゃんに似ていた。きっと語らせたらウザ……こほん。夢中になりすぎるタイプだ。
「若い荼枳尼はとても美しいんですって。本当にその通りですね。私、本物初めて見ました!」
瞳を輝かせた則ノ内さんは、ひと呼吸置いて話し始めた。
◇◇
中庭で見つけた白い小犬は、とても臆病だった。近づくとびくりと震えて逃げようとしたので、少し離れたところで止まって小声で呼びかける。
「ひとりぼっちなの? 迷子ちゃんかな。怖くないよ。大丈夫」
読むつもりで手に持っていた本をベンチに置いてしばらく見守ってみたけれど、小犬は出てくる気配がない。菜月は諦めて本を置いたベンチに座った。
「お日さまがぽかぽかのいいお天気ね」
植え込みの陰に隠れたままの小犬に話しかける。独り言みたいに、そちらを向かぬままで。
「一緒に日向ぼっこしない? あったかくて気持ちいいよ」
こちらの声に応えてくれる気配はない。まあ、それもそうかと思った。
「私はしばらくここにいるから、気が向いたら出ておいで」
そう言って本に目を落とす。しおりを挟んだ読みかけのページをそっと開いた。
さわさわと木の葉が揺れる地面を踏んだ気配はしなかった。いつの間にかその子はそこにいた。菜月の座るベンチの空いた片方で、こちらは見ずにまっすぐ前を向いている。菜月はしおりを挿して本を閉じた。小さなその子に微笑んで、とんとんと制服のスカートの膝を叩く。
小犬は少し考えてから膝に乗ってきた。それからあくびをして丸くなる。
「あ」
菜月は息を呑んだ。
膝に丸まった小さな白い毛玉が、乾いた秋の風に遊ばれてそよぐ。そのそよいだ毛先から朧げに溶けて。水に落としたインクがゆっくりと薄まってゆくように、ゆらりと揺れて滲んで消えた。
青いチェックのスカートの上で眠ったはずの小犬は、どこにも見えない。見えないけれど、膝には確かな重みと温もりを感じる。
見えないけれど、いるのだ。
そっと撫でると手のひらの下でぴくりと震える。擽ったそうに耳を震わせて、満足げに尻尾を揺する。
見えないのに。
菜月は思った。
見えないのに、どうして分かるんだろう。
なんて可愛らしいんだろう。
きっと守ってあげなくちゃ。
放課後の中庭には人影はない。静かに本を読みたくて、菜月はここに来た。だけどその日は閉じた本を隣に置いたまま。影が伸びて肌寒さを感じるまで、見えない小犬を見つめ続けた。
◇◇
それからゆきは、則ノ内さんの部屋でお留守番をしていたらしい。だから学校に気配が無かったんだな。俺はこっくりさんと頷き合った。
「聞けば迷子だと言うけど、どうもこの辺の子じゃないみたいだし。困ったなって思ってたんです」
則ノ内さんは眉を下げて続けた。
「ゆきは、もしも自分を探してくれる人がいるとしたらそれは荼枳尼天様だ、って」
荼枳尼天なんて、いよいよ見つけられそうにない。だから、ゆきのことは自分が飼おうと則ノ内さんは決めていたらしい。
「だけど昨日、先輩のビラを見て、もしかしてって。でも先輩、どう見ても荼枳尼天には見えないじゃないですか。だからすぐにはお話しできなくて」
則ノ内さんは確信が持てないまま、放課後の中庭で俺を待ってみた。するとそこに耳も尻尾も出した姿でこっくりさんが現れた。着ているものは聞いていたのと違っていたけれど、ゆきの匂いをつけたハンカチに反応した。だから話しても大丈夫だと、則ノ内さんは確信したそうだ。
「でも最初の日は、この子も中庭にいたはずなんです。どうして荼枳尼天様に気づかなかったのかしら」
則ノ内さんは首を傾げた。
「ふむ。ゆきは己が隠れている間は周りのことも見えぬからの。おそらく、音も聞こえぬ筈じゃ」
こっくりさんが肩に乗ったゆきを撫でながら答える。
「それゆえ、隠れられると探すのに難儀するのじゃ。見えぬ上に、呼び掛けても反応せぬからの。此度は菜月がついていてくれて幸いであった」
「ほんと、見つかってよかったです」
則ノ内さんがにこりと微笑む。俺もほっと胸を撫で下ろした。
迷子が見つかれば帰る、と言ったこっくりさんの言葉は忘れていない。それでもやっぱり、迷子が見つかればよかったなあと思うのだ。
「あ」
そこで俺は思いついてしまった。
こっくりは弱い狐狗狸。こっくりさんはそう言った。それならば。
「もしかして、俺たちが呼び出したこっくりさんって……」
「うむ。ゆきじゃ」
こっくりさんはあっさりと頷いた。
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