いただきます
そよそよと風の渡る中庭で弁当を広げる。人影は疎らだ。校庭とは反対側の校舎裏。道路に面した塀の手前には桜が並び、校舎側には何か名前も分からない低木が境界線になっている。両脇にはイチョウの木。渡り廊下を降りれば茶色い土の地面だけれど、中庭のこの一角にだけは芝生が植えられている。
少し前までは結構賑わっていたけれど、この頃は昼間でも寒くなってきたので、わざわざ外に出てくる者は減った。今も低木の間のベンチで膝の上に文庫本を広げる女子がひとりと、俺とは反対側の端できゃっきゃ言ってるカップルが一組しかいない。
いただきますと手を合わせ、蓋を開けた弁当を見て力が抜ける。
母さん……。
弁当箱を埋め尽くす真っ白なごはんの上に、桜でんぶのでっかいハート。危ない。うっかり教室で開けていたら大惨事だった。中庭で弁当食べることにした俺、えらい。ていうか、こっくりさんありがとう。散歩散歩駄々こねてくれて。
何やら植え込みに向かって話し掛けている(ように見える)こっくりさんにこっそり手を合わせる。助けてくれてありがとう。このでっかいハートを贈りたいくらいだよ。
一メートル弱しか離れられないから、案外真剣に話し掛けているらしいこっくりさんの声が聞こえてくる。盗み聞きじゃないぞ。近いから耳に入ってしまうのだ。しょうがない。
でも。意味不明。
聞こえてくるのは間違いなくこっくりさんの声で、でも日本語じゃない。言語ですらないようなに聞こえる。こっくりさんは狐だって言っていたから鳴き声かな、とも思ったけど、それも違う。歌のような、ただの息遣いのような、不思議な感じだ。
意味不明で不思議だけれど、なんだか心地好い声だ。眩しいくらいの美しさとも相まって、神様みたいに見える。悪霊のはずなんだけど。
俺はのほほんと眺めながら弁当に箸を入れた。白いごはんに桜でんぶだけなんて、完全なウケ狙いだろう。食事としては虚しいぞ、母さん。のほほんに少しだけ涙が混じる。
「ん?」
しかし箸は通らなかった。真っ白いごはんに少しだけ沈んで、何かに阻まれる。
「母さん……」
少しごはんを掘ってみると、黄色い錦糸卵の層が顔を覗かせる。その下には飴色に輝く豚の生姜焼き。それを捲るとまた錦糸卵。海苔を挟んで次の層には薄切りレンコンのきんぴら。そしてごはん。
ファンシーなピンクハートのお弁当は、がっつり茶色い男飯でした。
もっきゅもっきゅと堪能しながらこっくりさんを眺める。
今は植え込みに話し掛けるのは終わりにして、桜の木を見上げていた。カラスが一羽留まっているが、もしやあれと喋っているのか? 謎だ。
「カー」
カラスも何か応えている。のかな? よう分からん。でも和むわー。ちょっと可愛いじゃないか。葉っぱや鳥に話し掛けるなんて。こっくりさんは妖怪だからもしかしたらちゃんと通じているのかもしれないけれど、俺の目から見ればメルヘン以外の何者でもない。
最後のごはんをごっくんと飲み込んで、水筒の蓋を開ける。冷たいお茶を飲みながらそろそろあったかいのにしてと頼もうかな、などと考えていると、こっくりさんが戻ってきた。
「食い終わったかの?」
空になった弁当箱を見て、こっくりさんは俺の隣に座る。
こっくりさんは他の人には見えないけれど、持っている箸や消えていくご飯はしっかりと見えてしまう。それは昨夜の酒盛りで実証済みだ。だから姉ちゃんの服も見えてしまうのではないか、服が歩いているように見えるのではないか、と危惧したのだ。それってまあまあのホラーよ?
けれどそれは杞憂に終わった。身に着けてしまえは体の一部となって見えなくなるらしい。
そんな訳で、外出先での食事はNGなのではという話になった。こっくりさんはこっくりさんで、別に腹も減らぬし食事をする必要も無い、とか言うので、俺は一人で弁当を食べたのだ。隣にじっと座られていては要らぬ気を遣うだろうと席も外してくれた。こっくりさんはやっぱり優しい。
ハタから見たら寂しい奴に見えてしまうことにこのとき気づいていなかったのは、幸せだったのか不幸だったのか。
「なんか、木と喋ってませんでした?」
カップルはいつの間にかいなくなっていたが、女子がまだ本を読んでいるので小声で訊ねる。
「うむ。聞いておったのか」
こっくりさんが頷いた。
「聞いて、って言っても、何喋ってるかは全く分かりませんでしたけど」
俺が肩を竦めるとこっくりさんは笑った。
「当然じゃの。郁哉と話すときにはヒトの言葉を使うし、木と話すときにはそれに合わせて語る。狭い世で生きておるおぬしには木の言葉なぞ解することは出来まいて」
「なるほどー」
なんか納得した。すごいなこっくりさん。いったいどれくらいのモノと言葉を交わすことが出来るんだろう。ちょっと羨ましいな。
そう思って桜の木の方に目をやると、カラスはいつの間にかいなくなっていた。
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