着席!

 一時間目は現国の授業だ。桜井先生が黒板に丁寧な字を刻む音が静かな教室に響く。授業中なので、もちろんみんな席に着いて桜井先生の板書を写している。俺もノートを取……れない。


「あの。だーさん?」


 なるべく周りに気取られないように小声で話し掛ける。極近くに耳があるので囁くような声で問題ないだろう。


「なんじゃ?」


 こっくりさんの声には特段の配慮もない。まあ、姿も声も感じ取れる奴がこのクラスにはいなかったのでそこも問題ない。でも。


「どうしてそんなところに」


 変な汗が出る。目下大問題が発生している。姉ちゃん事件だ。姉ちゃんなら涙を流して喜んだかも知らないが俺にはまだ無理だ。なんなのもう。やめてくれよぉ。


 皆が静かに座っている。立っているのは板書する桜井先生だけだ。こっくりさんも座っている。……俺のお膝に……。


「我だけ座るところが無かったのじゃ」


 うんそうね。


「不公平じゃろ?」


 うんそう……かな?


 いやいや意味が分からない。だからと言ってどうして俺のお膝に座るんだ。嘘だろ。あり得ない。どうしろって言うんだ。これ。


「そこに座られると黒板が見えないし、ノートも取れません」


 苦言を呈するとこっくりさんの眉間に皺が寄った。


「む。我に立っておれと申すか」


「だって」


 確かにこっくりさんにだけ立っておけと言うのはちょっぴり理不尽な気もするが、今は授業中なのである。不可抗力だ。致し方無い。


「適当に避けてなんとかすればよかろう。文机に尻を乗せるのは行儀が悪いし、我が意地を通して座れるところに移れば困るのはおぬしぞ」


 けれど眉を顰めたこっくりさんも譲らぬ構えだ。俺の膝の上で姿勢を正して己の正当性を主張する。なんなら妥協してやっていると言わんばかりだ。


「えー」


「ほれ」


 そう言ってこっくりさんは少しだけ身体を左に倒した。


「これで前も見えよう」


「うんまあ……」


 どうやらこれ以上の譲歩は望めないらしい。俺は溜め息をついてシャーペンを構えた。


 ……。

 …………。

 ヤバい。


 みなさん聞いてください。ノートを取るために若干前屈みになると、こっくりさんを抱き寄せるみたいになるんです。ていうか、抱き寄せているんです。いいんでしょうか、これ。


 こっくりさんは俺の左腕に身を預けて、シャーペンを握る指先にじっと目を落としている。何が面白いのか、くすくすと笑う吐息がときおり俺の髪を揺らす。すごく距離が近いので、昨夜の石鹸とシャンプーの匂いがこっくりさんから漂ってくる。……。いやダメだろう。ヤバいだろう。もしかして通報されるんじゃないか。


「あの、だーさん」


「なんじゃ」


「集中出来ないんですが」


「情けないのう。修行が足りんのじゃ」


「なんの修行……」


 くすくすとこっくりさんが笑う。さり気なく肩に掛けられたこっくりさんの右手が俺の髪をもてあそぶ。もしかしなくてもわざとだろ!


 やめろおぉぉぉ。


 授業の内容が頭に入るはずもなく。俺は震える字で黒板を写すのが精一杯なのだった。



  ◇◇



「きりーつ。れい!」


「ありがとうございましたー」


 はあ、はあ。やっと終わった……。肩で息をする俺の隣で、こっくりさんが立ち上がって伸びをした。


「座りっ放しというのも疲れるのう」


 どの口が!?


「散歩に行きたいのう」


「十分しかないですよ」


 授業の合間の休み時間なんて、ちょっとトイレに行って帰ってくるくらいしか出来ない。


「ちいっとでよいのじゃ。歩きたい」


 そう言って小首を傾げるこっくりさんが眩しい。


 朝は時間が無くてじっくり見られなかった。着替えたこっくりさんのあまりの可愛さに一瞬声を失った次の刹那、姉ちゃんに告げられたのだ。時間無いよ。遅刻するよ。と。鬼か。いや、これを作り上げたのは姉ちゃんなのだからむしろ神? 神様って鬼畜だったのか。


 ぶんぶんと首を振って、俺は改めてこっくりさんを見つめた。

 やわらかそうで透けそうで、でも全然透けてくれない淡いピンク色のロングスカート。えんじ色のノースリーブはスカートにたくし込まれている。腰の位置がえらく高いな。その上から丈の長い白いカーディガンを羽織っているんだけれど、薄手のそれは下の色を透かしていて、なんかなんだかなんなんである。

 そして頭には白いふわふわのベレー帽。


 ベレー帽ってベタな絵描きさんが被るものかと思ってたよ。女子が被ったらなんて可愛いんだ。ヤバい。こっくりさん、ヤバいよ。


 着物姿もキリッとしてすっごくキレイだったけど、洋服になるとなんだかちょっとやわらかく幼く見えて、それはそれで大変よろしいんである。あー癒されるぅ。

 へらへらと眺めていたら予鈴が鳴った。


「郁哉……」


「あ」


 散歩する時間が無くなった。元々大して無かったが最早絶望的だ。事情を察したらしいこっくりさんが恨めしそうに俺を見下ろす。


「散歩はまたあとで」


 えへ、と笑うと、不貞腐れたこっくりさんがどさりと俺の膝に腰掛けた。


「我との約束を違えると碌なことにならぬぞ」


 冷たく細められた目が俺を睨む。


「肝に命じておきます」


しかとな」


 本鈴が鳴って授業が始まる。数学は苦手だ。集中したいのに、お膝に座るこっくりさんにその気は無いらしい。

 やめろよぉぉぉぉ。


 ちなみに、せっかくカーディガンを着ても透けていたら尻尾が見えてしまうではないか、と指摘したところ、見えないようにしようと思えばそう出来るのだ、と涼しい顔でこっくりさんは答えた。

 もしかして、帽子や服で隠す必要なかったんじゃあ……。


 でもまあ。洋服姿も見たいので。

 気づかなかったことにしておこうと思う。

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