不測の事態が起きてしまったら、まずは落ち着こう

「まったく。物知らずというのは恐ろしいものじゃの」


 こっくりさんの声が一段低い。元々ちょっと浮世離れした物言いで畏れ多い感じだったけれど、もうそういうレベルじゃない。ごめんなさいを言うのも恐ろしい。逃げ出したい。でも、足が竦んで動けないのだ。


「儀式の理りを曲げるなぞ、下手をしたら我ら諸共只では済まぬところじゃ。それを思えば命があるだけ滅怪ものかのう」


 すごいことを言っているのに妙に淡々としたこっくりさんの口調が却って恐怖を煽る。

 怯えながらも俺は焦った。どうしよう。なんか、相当ヤバそうじゃないか。その上こっくりさんは怒っている。怖い。怖いけど何か。何か、言わなければ。


「ええと……どうすれば?」


 遠慮がちに声を掛てみる。こちらを見返すこっくりさんの目は冷たい。それでもすごくキレイだ。不謹慎だとは思いつつもちょっと胸がときめいた。美人は怒っても美人なんだなあ、なんて、場違いに考えてみたりする。


「どうすれば?」


 ものすごく怒っているはずのこっくりさんが、一度天を仰いでから、まるで可哀想な子を見るような目をこちらに向けた。俺の問いを鸚鵡返しにして嘆息し、肩を落として首を振る。


 え? あれ?


「そうか。この期に及んでなお、どうにか出来ると思うておるのか。どうすれば、とな。ふふ。そうかそうか」


 ふふ。ふふふ。と、こっくりさんは笑う。


「あは。あはははは」


 だから俺も笑った。なのに。


「笑い事ではないわ。阿呆が!」


 怒られた。


「仕組みも知らぬまま道を開いたのか。命知らずもよいところじゃな。愚かしい。まあよい。過ぎたことを嘆いてもどうにもならぬ。お莫迦ちゃんにも分かるように我が説明してやろう。心して聞くがよい」


 こっくりさんはキレイな指をすっと上げてコピー用紙を示した。俺の喉がごくりと鳴る。


「それは、此方こちら彼方あちらを繋ぐ道を開くまじないじゃ。その道を通って我らは訪れ、呼び出した者の問いに答える」


 俺は頷いた。


「簡易なまじないゆえ、訪れるのは位の低い狐狗狸こうくりじゃ。ゆえに、己の辿って来た道以外を進むと、迷う」


「え?」


「訪れる際に己が付けた匂いを辿るのじゃ。つまり狐狗狸は、来た道からしか戻れぬ。ところで我が通って来た道じゃが」


 すうっ、と。こっくりさんの手が動いて俺を指した。


「おぬしが異物を持ち込んで穢した。閉じられてはおらぬが、最早通ること叶わぬ」


「え……っと。それはつまり……」


 俺は身を縮めてこっくりさんを見た。訊いてはみたが、答えは知りたくない。いや。分かってしまった答えを肯定されたくない。

 無言のこっくりさんに見つめられて居た堪れなくなり、俺は持っていた紙で顔を隠した。


「まじないは崩れた。やり直しは利かぬ。我は通ってきた道を断たれた」


 震える手で掲げていた紙を取り上げられて、代わりにこっくりさんの美しい顔が視界を埋める。にっこりと微笑まれて、毛穴から吹き出した冷たい汗が額を滑った。沈黙が落ちる。


「それはお気の毒に……」


 やっと声を絞り出し、お茶を濁しつつ一歩後退る。机にぶつかってよろけたが踏ん張った。転んで捕まったら終わりだ。少し前に念じたのと同じ思いが心に満ちる。

 幸い、こっくりさんはそれほど悪い人(?)には見えない。きっと、悪さをして暴れ回ることは無いだろう。無いはず。無い! 帰れないのは気の毒だけど。


「どうぞお幸せに!」


 逃げよう。

 俺は脱兎の如く駆け出した。


 ん、だけど。


「人の話は最後まで聞くものじゃ」


 教室の出入り口から飛び出そうと片足を上げた姿勢で、俺は固まった。扉は開いている。なのにまるで見えない壁があるように、上げた足をそれ以上前に出せない。


「……魔法?」


 振り返った俺の目に涙が滲む。イタイケな高校生に魔法使うなんて狡い。


「いいや。我は何もしておらぬ」


 けれどこっくりさんは首を振る。


 いやいやいや。何もしないのに進めなくなる訳ないし。こっくりさん、嘘ついてる? でも何のために? そもそも魔法なんて使われなくても、俺はこっくりさんに敵わない。情けないけれどそう思う。あ。考えてたら悲しくなってきたな。やめよう。


 気を取り直して上げていた足を下ろし、反対の足で踏み出してみる。

 うーん。ダメだ。どうやっても進めない。なんでだくそう。結局逃げられないってことかよぅ。


 俺は諦めて足を下ろした。なんかどっと疲れたな。手近な椅子を引いて腰掛ける。そのままがっくり項垂れた。


「はああああっ」


 盛大な溜息も出るというものだ。なんてこった。どうすりゃいいんだ。ほんのちょっと前まで平和で退屈な日々を送っていたというのに。

 俺、いったいどうなるんだろう。


「話はまだ終わっておらぬのじゃ」


 こっくりさんが近づいてきて、俺の肩をぽんと叩いた。しょうがなく垂れていた首を擡げてこっくりさんを見る。


「おぬし、もう一度そこな戸を潜ってみよ」


 意地悪な魔法をかけたくせに。こっくりさんは開いたままの教室の出入り口を指差した。

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