一人でしてはいけない

「こっくりさんこっくりさん、どうぞお帰りください」


 教室に戻った俺は、くしゃくしゃの紙を広げた上で十円玉に指を添えている。諒太が用意していたピンクがかって光るものではなく、いたって普通の茶色い十円玉だ。

 俺の指の向かい側には白くて細い指が添えられている。爪の長い、美しい指だ。艶めく尖った爪は淡い桃色で、全体的にキツい印象のお姉さんの雰囲気を和らげていた。


 こっくりさんは一人でしてはいけない。


 諒太の受け売りの決まりごとを告げると、お姉さんはふむ、と頷いた。そしてちょっと思案したあと、では我が手伝うてやろうと向かいに椅子を引いてきて座ったのだ。こっくりさんがこっくりさんをするなんて変な話だが、背に腹は代えられないのでしょうがない。

 すっと背が伸びてとてもきれいな姿勢だ。こっちも釣られて背筋を伸ばす。「神聖な儀式」感が高まって悪くないな、と思った。


 すす、と十円玉が動く。俺は心のなかでおお、と拳を握った。その興奮を表すように瞳がきらきらと輝くがもちろん俺からは見えない。十円玉に釘づけだったので、こっくりさんの美しい唇の端が上がったのも見えなかった。

 日の沈んだ教室には街の明かりが薄く差し込むだけだ。薄暗くてあまりよく見えない文字に目を凝らす。電気を点ければ先生に見咎められるだろうと慮ってのことだ。


 十円玉は『はい』のところで一度止まり、そのまますすっと鳥居に動く。


 お。おおおっ。

 なんかすごい!


 ちょっとドキドキしてきた。十円玉には少しも力を加えていないのに、めっちゃ動く! やっぱり本物が触ると違うのか。すごいな、おい。

 瞳が輝くだけでなく、頬にも赤みが差してくる。


「こっくりさんこっくりさん、ありがとうございました。どうぞお離れください」


 それにしても一安心だ。これでこっくりさんにもお帰りいただけた。少しばかり怖い思いもしたけれど、過ぎてしまえばなかなかスリルがあって面白い経験だった。こっくりさんはエラい美人だったし眼福だ。明日、諒太たちに自慢してやろう。くふふ。


 ほくそ笑む俺を見て、こっくりさんの唇も両端が上がる。くすくすと、密やかな忍び笑いも漏れた。


「……え?」


「なんじゃ」


「こっくりさん、なんでまだいるんです?」


 緩んでいた頰が引き攣る。慌ててもう一度確認してみたが、十円玉はきちんと鳥居の絵の上にある。それはこっくりさんがきちんと帰った証拠のはずだ。なんで?


「はて?」


 こっくりさんも首を捻った。


「なんでじゃろ?」


 えええー。こっくりさんにも分からないってこと? ど。どどど、どうすれば。

 訳が分からず気が焦る。

 なんで。なんで、ちゃんと十円玉は動いたのにこっくりさん帰ってくれないんだ! いったいどうなってるんだ。意味が分からない。


「紙がくしゃくしゃだから?」


 恐る恐る訊いてみる。


「それはない。破れでもしていたなら障りがあるやも知れぬが」


 こっくりさんの言葉に、俺はわたわたしつつもコピー用紙を街の明かりに翳した。


「どっこも破れてない……」


 ゴミ箱から拾い上げて広げた紙は、くしゃくしゃではあるが破れたりはしていなかった。


「文字が滲んで消えているとか?」


 こっくりさんが首を傾げる。


「消えてない」


 ひっくり返したり裏返したり、穴が開くほどコピー用紙を凝視する目に涙が滲む。どんなに目を凝らしてもそこに瑕疵は見当たらない。

 なんで? なんでだ!


「ふうむ」


 こっくりさんが顎に指を当てて首を捻った。さらりと流れた銀髪が僅かな明かりを吸ってきらめく。なんてキレイなんだろう。俺は置かれた状況も忘れて一瞬見惚れてしまった。


「時におぬし。もちろん道具は初めと同じものを使うておろうな?」


「え?」


「じゃから道具じゃ。紙と銭じゃ。まさかとは思うが、初めと違う道具を用いてはおるまいな?」


「……え……と?」


 言葉に詰まる俺をこっくりさんが見る。獲物を見定めるように眇めた細く美しい目がしかとこちらを捉える。


「最初の十円玉は諒太が持って帰ったので……」


「ほう?」


 腕を組んだこっくりさんが心持ち顎を突き出した。俺を捉えていた美しい無表情が緩んで笑みがこぼれる。場に似つかわしくない笑みだ。焦って汗ばんでいた俺の背がすっと冷えた。


「え……えへ?」


「余裕じゃの」


 こっくりさんは、顔は笑っているのに目が全然笑っていない。ひたと俺を見つめるその目が怖い。

 まさか俺がやらかしちゃってたなんて。こっくりさん、めっちゃ怒ってるな。怒っているくせににこにこしているから余計に怖いぞ。どうしよう。


「明日、諒太に十円玉を持ってきてもらうので……」


 恐る恐る提案してみる。明日がダメなら、これから諒太の家まで行って再チャレンジだ。まだなんとかなる。なるだろう。なって!

 けれどそんな俺の願いも虚しく、こっくりさんの顔から笑みが消える。


「無駄じゃ」


 冷たいひと言と共に凍るような視線で射竦められてしまった。


 もしかしたら、事態は俺が想像するよりずっと悪い……の、かも?

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