十数えたら「もういいかい」

 俺がごくりと唾を呑むと、こっくりさんは視線を外さないままいなりを頬張る。


「えっと、だーさん。もしかして、心が読めてみたり?」


「なんの話じゃ」


 こっくりさんは視線を外さない。


「なんぞ知られては困るようなことでも考えておったのか?」


 そしてちょっと首を傾げてお茶を啜る。


「いやまさか」


 俺は、あは、あははと笑って誤魔化した。今のこてん、は可愛くない。薄く笑っているのが却って怖い。絶対バレている!


「そっかー。男の子だから冒険がしたかったんだな、ゆき!」


 抜かりの無い母さんはカッティングボードと果物ナイフを仕込んでくれていた。卵焼きと唐揚げを小さく切り分けながらゆきに話し掛ける。たとえ心を読まれていようとも、シラを切り通すのだ。


「ゆき、ほんとはおやくそくまもれるいいこです」


「うん」


「それに、こっくりさんいつもはこわいです」


「うん?」


 いい子だし怖いのに、どうして出て来ちゃったんだゆき。


「でも、たのしいとおもったです」


「んん?」


 ちょっとよく分からないぞ、ゆき。



  ◇◇



 狐狗狸を呼ぶこっくりさんの声は、ときどき荼枳尼天の庭にも届く。その声は大方がか細くてそこまでは届かないのだけれど、稀に届けることのできる者もいるのだ。

 こっくりさんというのは、人間たちが行う怪しいまじないだ。そこに引っ掛かるのは大抵、清き心を持たないはぐれ者の弱い狐狗狸。たとえ荼枳尼天の庭に声が届こうとも、庭の狐が出向いてゆくことなどまず無い。


 だからゆきも、普段は声が聞こえてもその身を震わせるだけだった。こっくりさんの運んでくる声は、やましいとか、ねたましいとか、どこかしらにそんな感情が混ざっていて、ちょっと怖いものなのだ。だけど。


 くすくす、くすくすと。楽しそうな声が、風に舞う楓の葉を追いかけて遊んでいたゆきの耳に届く。

 稲荷の社の裏に拡がる庭は、荼枳尼天とその眷属だけのものだ。他の者は入ることはおろか見ることさえ叶わぬはず。それなのに、知らない声の誰かが笑っている。


「だあれ?」


 ゆきの問いに答えてくれる声はない。落ち葉の降る庭にはただ、くすくすと楽しげな笑い声が響くばかりだ。


「たのしいの? おもしろい?」


 丁度ゆきは、木の葉を追いかけるのに飽きてきたところだった。これよりも楽しいことがあるのなら、ゆきも混ぜてほしい。


「ゆきもいっしょにあそんでい?」


 楽しそうな声は、おいでくださいと言っているような気がする。声の方に向けて、細い細い光の筋が繋がって見えた。


「ゆきもいくー」


 ゆきは荼枳尼天の庭から飛び上がって光の筋を駆けた。笑い声が近づいてくる。ゆきはわくわくした。



 けれど辿り着いてすぐにゆきは後悔した。


「どうしよう。これ、こっくりさんだ」


 たくさんの文字の書かれた紙の上でゆきは立ち竦む。こっくりさんは怖い。近づいてはいけない。ゆきは知っていたし、だからこれまで近づかなかった。


「ええっと。ええっと」


 ゆきは一生懸命考える。出て来てしまったからには帰らせてもらわないといけない。そのためには確か、人間たちの質問にいくつか答えなければならないのだ。


「こっくりさんこっくりさん、どうぞおいでください」


「おいでになりましたら、どうぞ『はい』にお進みください」


 くすくすと、人間たちの声がする。ゆきは顔を上げた。自分よりもずっと大きい人間の手が、紙の上の銭に添えられている。あれを動かすのだ。まずは『はい』に。


「よいしょ。よいしょ」


 ゆきは一生懸命押した。けれど銭は少しも動かない。


「ええん。おもいよぅ」


 べそをかいても誰もゆきを助けてくれない。


「だーさまぁ。どうしよう……」


 一生懸命、一生懸命、ゆきは押した。頑張ったのだ。


「うごけ。うごけー」


 すると急に銭が軽くなった。


「わ。やったぁ」


 するすると『はい』に銭を進めて、ゆきは得意げに人間たちを振り仰いだ。


「ゆき、やったよ! つぎはなあに?」


 ところが。そこには誰もいなかった。ガタガタと机や椅子を動かして、人間たちは帰り支度を始めている。


「え、なんで?」


 ゆきは慌てた。ゆきはちゃんとこっくりさんの仕組みを知っている。最後は『お帰りください』と言ってもらって、紙のまんなかの上の方にある鳥居の印まで銭を進めなければいけないのだ。そうしないと帰れない。


「うそ。まって。まってー」


 ゆきがどんなに呼び掛けても、人間たちは振り向いてくれなかった。眼鏡をかけた人間の後ろに憑いているおじさんが気の毒そうにゆきを見たけれど、何もしてくれなかった。たぶん、おじさんにもどうにもできなかったんだと思う。


「だーさまぁ……」


 ゆきは机の足の陰にうずくまった。やって来たときにはあった紙は、くしゃくしゃに丸めて捨てられてしまった。銭も持って帰られてしまった。紙を捨てられたときにゆきも転がり落ちた。床は冷たかった。見上げた天板は、遥か遠く闇に滲んでいる。ゆきはもうなんにもできない。


「こわいよぉ」


 蹲って。泣いて。

 ゆきの姿は、教室の暗がりに溶けて消えた。

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