こつくりさんとネコ目イヌ科★世の中にはややこしいこともあります★

「あ〜ん。美味しーい」


 うっとりと目を閉じてシュークリームを堪能する姉ちゃん。誰よりもたくさんご飯を食べたというのに、湯気を立てるコーヒーの隣には皿に載ったシュークリームが、二個。頭おかしいんじゃないかってくらいカスタードが入っているシュークリームが、二個! 誰よりもたくさんご飯を食べたのに!!

 どこに入っていくのかも不思議だが、どこに消えていくのかはもっと不思議だ。


 姉ちゃんは動かない。

 中学まではバレー部に入ったりしてそれなり運動もしていたが、高校では帰宅部だった。俺よりもちょっと頭が良かったので、二つ向こうの駅の出来の良い高校まで自転車で往復するのが唯一の運動だった。大学生になった今は自転車は原付に取って代わられている。だから運動らしいものは全くしていない。俺の知る限りでは。

 でも細い。

 背も高いのでこっくりさんと似たような体型だ。バカみたいに食って、ごろごろマンガ読んでるだけのくせに。ダイエットに勤しむ世の紳士淑女の皆さまに謝るべきじゃないだろうか。


「ほう。これはなかなかに美味じゃの」


 初めてのコーヒー。初めてのシュークリーム。お気に召したらしいこっくりさんのネコ、もといキツネ耳が嬉しげに揺れる。


「でしょでしょー」


 語尾にハートが付いているに違いない姉ちゃんの科白は、果たして本当にシュークリームを指しているのだろうか。別のものを美味そうと狙っているのではないのか。目はがっつりこっくりさんのネコ、じゃなかったキツネ耳に……ややこしいなちくしょう。もうネコ耳でいいんじゃないか? 姉ちゃんと喋るときだけ気をつけることにしよう。そうしよう。

 こほん。姉ちゃんの目はこっくりさんのネコ耳に注がれている。


 俺はシュークリームを齧った。こうして目の前に出てくると腹いっぱいでも案外食べられるものだな。別腹とはよく言ったものだ。たっぷりとカスタードの詰まったシュークリームは確かに美味い。美味いけれど、二個は無理だ。姉ちゃんの胃袋はどうかしている。


「うむ。酒も美味いが甘味もまた美味。重畳じゃ」


「また買ってくるからー。お父さんが!」


「なんと! 誠か? 我もまた食したい」


 尻尾が。ついに堪えきれなくなったこっくりさんの尻尾が、ぱたぱたと揺れる。


「オッケー任せて!」


「「ねー」」


 家族がこっくりさんと仲よしになっている。いいのか? いいのか。これからずっと一緒に暮らす訳だし。ただ。


「姉ちゃん。ヨダレ垂らして見てても、尻尾もネコ耳も食えないぞ」


 姉ちゃんのあの目は流石にどうだろう。こっくりさんのネコ耳が貞操の危機だ。……あ。


「郁哉」


 姉ちゃんの目が怖い。


「だーさんはお狐様よ? 言ったわよね?」


 なんで「様」付け。しかも「お」まで付けちゃって。祀り過ぎじゃないだろうか?


「いちいち頭のなかで変換するの面倒なんだよ。いいじゃんネコ耳で。猫も狐も似たようなもん……」


「ちっがーう!」


 バン、とテーブルを叩いて姉ちゃんが立ち上がった。拳までぐっと握ってやる気満々だ。あれおかしいな。姉ちゃんも酒飲んでたっけ?


「狐はイヌ科の動物よ? 百歩譲ってもネコにはならない」


「え。狸がイヌで狐はネコだとばっかり……」


「……なんてこと。あたしの弟、おバカ……」


 がっくりと項垂れた姉ちゃんが力無く椅子に頽れる。いちいち大袈裟だな。おい。


「いいこと、郁哉。狐はネコ目イヌ科の動物なの。覚えておきなさい」


 座ったまま顔だけを上げて姉ちゃんが俺を見る。覚えておきなさいと言われても……。


「やっぱりネコじゃん」


 ネコ目と言うからには祖先は猫なんだろう。


「イヌでしょ?」


 またバンとテーブルを叩いて姉ちゃんが立ち上がった。立ったり座ったり。忙しい人だな。


「ネコ目だろ。つまり、元を辿れば猫ってことだろ」


「違います」


 こほん、と咳払いをして姉ちゃんが語る。


「いいこと? ネコ目はね、ちょっと前までは食肉目って言われてたの。分かりやすいカタカナ表記にするために、偉い人が変更したのよ。犬や狐の祖先が猫って意味ではないわ」


「分かりやす……い?」


 ヤバい。俺は本当にバカなのか? 全然分からない。確かにカタカナでネコなら食肉よりも書くのは格段に楽だ。でも本当に分かりやすくなったのか? むしろ逆では。混乱するのは俺がバカだからなのか? なんで猫じゃないのにネコ目なんだ。


「だからね? 犬も猫も。熊もイタチもアザラシだって。ぜーんぶネコ目なのよ!」


 なん……だ、と? アザラシまで猫!? なんてこった。ネコ耳ついてないじゃないか!


「偉い人は考えたの。食肉目で代表的な動物の名を冠しよう、って。つまり、イヌ派はネコ派に負けたのね。可哀想なわんこ……」


 姉ちゃん、それはたぶん違うと思う。


 出てもいない涙を拭く仕草をした姉ちゃんは、言いたいことを言い終えたのか、すとんと座って二個目のシュークリームを手に取った。見ているだけで胸焼けしそうだ。


 でも分からない。なんでネコ目なんだ……。

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