決してふざけ半分で行ってはいけない

「言うたであろう。狐狗狸は位の低い妖じゃ。ゆえに、名を持つような者は滅多におらぬ」


 こっくりさんは己の言葉を噛みしめるようにうんうんと頷いている。俺はそれを見てほっと胸を撫で下ろした。よかった。操られる系じゃなかった! びびったー。


「因みに、狐狗狸のうちのどれかと問われれば、我は狐じゃ」


「うん。それはまあ」


 ぴこぴこ動くネコ耳はもちろんなんだけど。

 俺は気が抜けて緩んだ目をこっくりさんに滑らせた。決してエロい視線ではない。断じて!

 こほん。ネコ耳はもちろんなんだけど、こっくりさんの後ろ側で時折、豊かな尻尾がふぁさりと揺れるのだ。実は俺は本物の狐は見たことがないけれど、物語とかに出てくるあのふわっともさっとした尻尾。


 可愛い! 可愛すぎる。


 心のなかでぐっと拳を握る。

 当初は怖くて堪らなかったこっくりさんだけど、仕草はやたら可愛いし、なんだか話せる人(?)みたいだし。もう誤魔化せない。こっくりさんは悪霊かもしれないけど可愛い。さっきから可愛いを連呼しすぎて鬱陶しいかもしれないが、可愛いものは可愛いんだからしょうがない。諦めてほしい。

 とにかく、俺のなかで可愛いが怖いに大勝利した。そうなってくると気になるだろう。ぴょこぴょこもふもふしてるあれやこれが! それにしても。


「名前がないと不便なのでは……」


「ふむ?」


 俺の疑問にこっくりさんは暫し思案する。そして。


「別に困らぬが」


 身も蓋もない返事をくれた。それでもがっくりと肩を落とした俺を不憫に思ったか、もう暫らく考えてぽん、と手を打つ。


「幼き者らはだーと呼ぶ」


「だー?」


 変な名前。と思ったが、もちろん口には出さない。


「うむ。舌が回らぬのであろうな。可愛らしいことじゃ」


 くすくすと笑うこっくりさんは、ちょっと見惚れてしまうほどに美しい。


「なんならおぬしもそう呼ぶといい」


 ぼうっと見つめているとこっくりさんが言った。


「幼き者と同じ括りですか。俺……私はもう十七なんですけど」


 こっくりさんは見た目は二十歳前後のお姉さんだけど、実際はきっともっと年上なんだろう。それから見たら、十七なんてまだ幼いのかもしれない。でも、舌も回らない子供と同列にされるのは少し悲しい。


「む。不満か? だーでは名の代わりにはならぬと申すか」


 こっくりさんの尻尾がくしゅん、と垂れた。

 くそう。卑怯な。


「別にダメだとは……」


「む?」


 こっくりさんの尻尾がぴん、と立った。

 尻尾、なんてゲンキンなんだ。


「では、よいかの?」


 こっくりさんの尻尾がふわふわと揺れる。

 くっ……抗えない。なんて極悪なんだ。


「だーさん?」


「うむ!」


 ……変な名前。だけど。

 まあ、いいか。尻尾が嬉しそうにぶんぶん揺れてるし。こっくりさんがご機嫌なのがなによりだ。


「だーりんの『だー』と覚えておくがよい」


「だっ……!?」


 ごっほごっほと咳き込んでしまった。どこでそんな言葉を……。

 まだいろいろと訊きたいこともあったのだけれど。間が悪いことに、そのときガラリと教室の戸が開いた。


「あー斉藤? 何やってんだこんな時間に」


 日誌の背で肩をぽんぽん叩きながら入ってきたのは担任の大崎だった。


「あーとえっと。忘れ物を、取りに?」


 ヤバいヤバい。こっくりさん見つかったら面倒くさいことになる。もう手遅れかもしれないけど隠れてー。


 けれどこっくりさんは俺の焦りなどどこ吹く風で平然と隣に立っている。


「なら電気くらい点けろよ。ボソボソ話し声が聞こえるから何かと思ったじゃないか。あれ、お前一人? なんだよ独り言かよー」


 この状況に大崎も通常運行だ。あれ? 俺だけが焦ってる? て言うか。もしかして、大崎ってこっくりさんが見えてない?


「忘れ物はあったのか?」


「ああ。はい」


「じゃあ、気をつけて帰れよ。今度から職員室に一声掛けろ。まったく、人騒がせな。お前が暗い教室でボソボソ言ってるせいで、桜井先生がお化けがいる、つって怯えてたんだぞ」


 お化け、いるけど。

 チラリとこっくりさんを見遣ってから、ニヤニヤと大崎に視線を戻した。


「やったじゃん先生。愛しの桜井先生に頼られて。俺のお陰♡」


「ば……っ」


 大崎の恋心は割と知れ渡っている。だから生徒たちから揶揄われることもしょっちゅうだ。なぜか当の桜井先生には伝わっていないのだけど。本当に伝わっていないのか敢えてスルーされているのかは桜井先生のみぞ知ることだ。


「よ、用が済んだんならとっとと帰れよ!」


 とにもかくにも、赤くなった担任はそそくさと教室を出て行った。廊下の向こうの方から、思い出したように声が掛かる。


「へいへーい」


 それに適当に返しながらこっくりさんを見上げた。


「もしかして、見えてない、です?」


 大崎の消えた廊下の角を指差してこっくりさんに訊ねる。


「うむ。普通の者には見えまいな」


「なんだ。そっかー。ならまあ、いいか」


 他の人に見えないのなら、四六時中傍にいられても大丈夫だろう。なんなら役得かもしれない。キレイで可愛いお姉さんとべったり。


「じゃあ帰りましょうか」


 安心したらなんだか腹も減ってきた。帰ってご飯を食べよう。

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