途中で硬貨から指を離してはいけない

 すっ、と。こっくりさんが白い手を差し伸べてくる。手を繋ぎたいのかな。甘えたさんめ。そう思ってその手を握った。


「……なんのつもりじゃ」


 けれど、こっくりさんの眉間に皺が寄る。


「手を繋ぎたいのかと」


「お莫迦な子じゃとは思うておったが……」


「え? 違いました?」


 握った手を離さぬまま首を傾げると、こっくりさんは盛大に溜息をついた。


「銭を寄越せ」


「え」


 金銭を要求……。

 え。なんで? お触りしたから? やっぱりこっくりさんは悪霊なんだろうか。しかしなんて悪質な商売なんだ。出された手を握っただけなのに。


「おぬし」


 嫌そうに顰めた顔をこっくりさんが寄せてくる。うっかり当たったらまた金銭を要求されるかもしれない。なのでそっと顔を逸らした。


「なんぞ可笑しなことを考えておるじゃろ」


「え?」


「よいから早う出せ」


 こっくりさんが白い手を伸べる。俺はごくりと唾を呑み込んだ。こっくりさんの手はいったい幾らなんだろうか。考えてみても全然分からない。


「ええと。千円くらいで?」


 分からないので訊いてみた。


「何がじゃ」


「お触り料?」


「おさわりりょう……」


 出した手を額にあててこっくりさんは嘆いた。


「知っておった。知ってはおったが、もうちいっと知恵があるかと思うたのじゃ」


 ええと。また間違えた?


「こっくり……じゃなかった。だーさん?」


「よいか、郁哉」


 声を掛けると温い目でこちらを見ながらこっくりさんがまたまた溜息をつく。耳も尻尾もぺたんと垂れてちょっと可哀想な感じだ。


「我をだーと呼ぶ小狐らの方がおぬしより余程思慮深いわ。ああ頭が痛い。一から十まで言わねばならぬか。面倒な」


 怒られるのも辛いけど、がっかりされるのはもっと辛い。こちらの肩も落ちる。けれど今度こそ間違えないようにちゃんと聞かなくては。


「まじないに使うた銭を出せ。滞りなく閉じた後ならただ手放せばよいが、此度のまじないは巧く運んでおらぬゆえどのような障りがあるか分からぬ。念のため我が預かろう」


 なるほど。よぅく分かった。

 俺はうんうんと頷きながら財布を開けた。


「うーん」


 けれど財布のなかを見て唸ってしまう。


「ええっと。だーさん?」


「なんじゃ」


「……どれか分かりません」


 しゅんとしながら俺は財布のなかの十円玉を机の上に置いた。六枚もある。


「混ぜたのか」


 静かにこっくりさんが言った。怒られるのは怖いけど、怒られた方がマシだ。だって、明らかな失望がこっくりさんから伝わってくる。怒るだけ無駄だと思われるのは、見放されたと同義だと思う。


「ごめんなさい」


「まあよい」


 今日何度目かの溜息をついて、こっくりさんは六枚並べたうちの一つを取り上げた。


「我にはこちらの世の金銭の価値が分からぬが。これを六枚とも取り上げればおぬしの痛手となるか?」


 思いの外優しく問われて、俺は首を振った。


「いえ、それほどでは」


「ならば全てを預かろう。よいか?」


「はい」


 畳んだくしゃくしゃのコピー用紙と共に、十円玉はこっくりさんの袂に仕舞われた。俺も帰り支度をして教室を出る。いつまでもぐずぐずしていては、また担任が来るかも知れないからだ。


「何じゃ、元気が無いのう」


 とぼとぼと歩いているとこっくりさんがぐっと覗き込んでくる。顔を寄せたがるのはこっくりさんの癖だろうか。ちょっと照れる。


「我に咎められて堪えたか?」


 力無く微笑み返した俺に、こっくりさんは前を向いたまま話し始めた。


「無知は罪じゃ。理りを知らぬ者は間違いを犯す」


 こっくりさんが話すのに合わせて、ふわりふわりと尻尾が揺れる。


「幼い狐は無知ゆえに迷う。そういうものじゃ。無知は罪じゃが悪ではない。知らぬなら学べばよい。小狐のうちは知恵のある者に頼れ。我はそのためにおる」


 やわらかい尻尾が頰に触れた。


「俺、私は小狐と一緒ですか」


「無理をせずとも俺でよいわ」


 いちいち言い直す俺に呆れて、こっくりさんがくすくすと笑う。その笑いは、馬鹿にするのではなくて包み込むように優しい。


「言うておくが、おぬしは小狐と一緒ではない」


 ふぁさふぁさと尻尾が撫でる。こっくりさんの尻尾は、やわらかくて温かい。情けないことに泣きたくなってきた。


「小狐以下ぞ? 言うたであろ」


「ひどい」


 くすくすとこっくりさんが笑う。やわらかく尻尾が撫でる。月明かりの道を並んで歩く。


「おや。泣いておるかと思うたに」


「泣きませんよ」


の子じゃからの?」


 偉いのう、と言ってこっくりさんが尻尾を引いた。


「あ」


「我の尾は安うないのじゃ。泣いておる仔にだけ、特別ぞ」


「なんだか泣けてきました。ほら見て、涙が」


「嘘泣きじゃな」


「嘘じゃないです。俺の尻尾ー」


「おぬしのではないわ」


「せめてもう一回だけ!」


「駄目じゃ」


「もふもふさせてー」


「また妙な言い回しを……」


 くすくすとこっくりさんが笑う。だから俺も笑う。月の照らす道を、二人で歩いた。

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