新しい生活の決まり事

こっくりさんとお母さん★第一印象は大切に★

「ただいまー」


 と声を掛けると、


「おかえりー」


 と返ってくる。


 もう何年も、毎日毎日繰り返している当たり前のやりとりだ。俺は玄関で靴を脱ぎ、リビングに続く扉を開けた。

 俺の部屋は二階だけど、階段はLDKが一間続きになった端の方に付いているので、二階に行くには必然的にリビングを通ることになる。親と子が接点を持てるように配慮された間取りだ。とは言え、台所で夕飯の支度をしている母さんはちらっとこちらを見ただけでまた作業に戻る。俺は敢えてそちらを見遣ることもなく二階に上がる。

 高校生にもなれば特段言葉を交わすことはない。いつもは。


「……え? えええぇぇっっ」


 だけど今日は、リビングに母さんの桃色の声が響いた。ちょっと耳がキーンとした。なんだよ突然。そんな反応をされれば流石に気になるというものだ。階段に掛けた足を止めて振り返る。母さんは大口を開けて目を見開いて、ぷるぷると震えていた。今にも包丁を取り落としそうで怖い。


「母さん?」


 帰宅時の会話が素っ気なくても、別に親子仲が冷めている訳ではない。普通に会話はするし何かあれば心配もする。俺が声を掛けると、母さんはハッと気を取り直して目を輝かせた。


「やだっ。ちょっとやだ! 郁哉ったらもう!」


 握っていた包丁を放り出さんばかりの勢いで流しに置いて、母さんはエプロンの裾で手を拭き拭きこちらに近づいてくる。ほんと何事か。


「急に! やだもう、どうしよう。お母さんちょっとまだ心の準備が……」


 とかなんとか言いつつ、にやにやニタニタくねくねしながら寄ってくる。興奮しすぎというか何というか。動きが気色悪い。我が親ながらとても残念な人だ。変なものでも食ったんだろうか。


「ええと。母さん?」


 恐る恐る伸ばした俺の手をがっと引っ張って、母さんは頰を寄せて囁いてくる。


「彼女? 彼女なの? 彼女よね!? やぁだぁすっごく綺麗な子じゃない。年上? 年上かしら。いやーんお母さん困っちゃう。この時間だものごはん食べていくのよね? やだわあ先に言っといてくれたらちゃんと素敵ディナーを用意したのにぃ。急とかダメよぅ。今度からちゃんと教えといてね? ねえお母さん変じゃない? 髪とかお化粧とか大丈夫かしら。もう困るぅー。急なんだからぁ。でも嬉しくってニヤニヤが止まらないわぁ。郁哉が彼女。やぁん。素敵! くふふ。ねえ、お母さん変じゃないかしら。彼女さんにご挨拶してもいいかしら?」


「ええと。母さんはすごく変です。全然大丈夫じゃないです」


 舞い上がりすぎてて怖い。


「があーん」


 俺の言葉に母さんは大袈裟に嘆いた。頭を抱えてしゃがみ込んだ今のうちに、コソッとこっくりさんに確かめる。


「普通の人には見えない約束じゃなかったです? なんか、見えてるっぽいんですけど」


「うむ。稀に見える者もおる。母御には見えておるな。致し方無い」


「致し方無いって……」


「見えるものは仕様がなかろう。何やら歓迎されておるし、よいのではないか?」


「歓迎というか、勘違いされてますよ?」


「間違いは正せばよかろう。これ母御よ」


 こっくりさんはぽん、と母さんの肩に手を置いた。


「よう見てみい。我はひとではない。じゃが悪さはせぬから安心致せ。ちと事情があり郁哉と離れられぬことになってしもうたゆえ暫く邪魔をするが、厄介は掛けぬ。我のことは捨て置いておくれ」


 顔を上げた母さんの前で、ネコ耳がぴくぴく動き豊かな尻尾がふぁさりと揺れる。


「もふもふ……」


「もふ? はて」


 首を傾げるこっくりさんの手を母さんがきゅっと握った。


「何でもありませんわ。ところで彼女さん、お名前は?」


「彼女ではないと言うておろうに。我のことはだーと呼ぶがよい」


「だー?」


「うむ。だーりんのだーじゃ」


「ダーリン!」


 こっくりさんはおバカなんだろうか。勘違いを助長するようなことを言ってどうする。俺は額に手をあてて天を仰いだ。天井のダウンライトが眩しいぜちくしょう。


「こうしちゃいられないわ!」


 おもむろに立ち上がり拳を握る母さん。悪い予感しかしない。


「だーさん? どうぞゆっくりしてらしてね。私はちょっと野暮用が出来たので失礼させていただくけれど……」


 母さんはこっくりさんに微笑んで、それから俺に向き直る。


「おいたはダメよ? 親が同じ屋根の下にいるんだから、おいただなんて。……いやーん。やめてぇー照れちゃう。恥ずかしい。えっちぃぃ。……はあ。あんたにそんな甲斐性があればねえ。まあ、頑張んなさい」


 両手で肩をガシッと掴まれてこっちはドン引きだ。この妄想が暴走のお花畑ちゃんをどうしてくれようか。


「母さんあのな?」


 しかしお花畑ちゃんは、説明しようとした俺を突き飛ばすように手を離して階段を駆け上がって行ってしまった。


「美咲! ちょっと聞いて、大変なの! 郁哉がすんごい彼女連れてきた! お赤飯炊くから鯛の尾頭買ってきてー」


「……」


「この親にしてこの子あり、じゃの」


 こっくりさんがぼそりと呟いた。


「どう言う意味ですか、それ」


 納得出来ない。俺はあんなに目出度くない。


「うん? お莫迦ちゃんにも分かるように説明するか?」


「いや。いいです。聞きたくないです」


 ご厚意は丁重にお断りする。


「そうか? 遠慮せずともよいのに」


 こっくりさんは嬉しそうに笑った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る