こっくりさんが帰ってくれません。

早瀬翠風

こっくりさんの決まり事

途中でやめてはいけない

「何も逃げることはあるまい」


 茜色に染まる街角で、そのキレイな人はにっこりと笑った。


「取って食いはせぬから心安ういたせ」


 そんなことを言われて安心なんか出来るはずがない。どうしてこんなことに。俺は竦み上がってお姉さんを見返した。


 誰か! 助けて!!



  ◇◇



「こっくりさんこっくりさん。どうぞおいでください」


 くすくす。


「おいでになりましたら、どうぞ『はい』にお進みください」


 くすくす。やめろよバカ。あんまりふざけてると祟られるぞ。


「こっくりさんこっくりさん。どうぞおいでください」


 んなわけねーって。誰かがびびって動かしてんだよ。どうせ。


 そうは言うけどさあ。何かあったらどうするんだ。


「こっくりさん、どうぞ……」


 そもそも動かねーじゃん。誰か気ぃ利かせて動かせよなー。つまんねえ。くすくす。


「こっくりさんこっくりさん」


 ……。


「……」


 ぶははははっ。


 三人同時に吹き出して、ガタガタと椅子を揺らした。放課後の誰もいなくなった二年三組の教室には、オレンジ色の陽が長い影を描いている。机の上にA4のコピー用紙を置いて顔を突き合わせていた諒太りょうた敏史さとし、それから俺、郁哉ふみやの三人は、紙の真ん中の十円玉から手を離した。


「ミリも動かないとか無くない?」


「っかしーな。母ちゃん絶対動くって言ってたのになー」


「まあいいじゃないか。動いたら動いたで怖いよ」


 高校生にもなってこっくりさんとか、という声もあるかもしれない。そもそも流行ったのは親世代の話で、諒太に聞くまでは俺もその存在すら知らなかった。しかも聞いた話は眉唾で、どうしてそんなものが大流行したのか理解に苦しむ。けれど来年は受験生。気楽にふざけられるのも今年限り、という漠然とした圧迫感がしょうもないことをさせたがるのだ。

 とはいえ、このこっくりさんは不発だった。がっかりしたようなホッとしたような。複雑な気分で腰を上げる。椅子をそれぞれの席に戻し、振り返った一人が声を上げた。


「あれ?」


 それに釣られて残りの二人も視線を動かすと。


「うわっ!」


「やべえ。怖っ」


 ずらりと文字の並んだ紙の上。赤い鳥居の左側の『はい』の字を隠すように、十円玉が夕陽を照り返している。儀式用だからと諒太が調達してきたピカピカの十円玉だ。


 俺たちは顔を見合わせた。教室の温度が急に下がったように感じる。こんなおまじないなんてハナから信じていないけれど、でもこれはちょっと気色悪い。


「えー何? 手ぇ離したときに滑った?」


「椅子を戻すとき机に当たったのかも?」


「なんだよもー。びびらすなよー」


 あはっ。あははははっ!


 なんとなく妙な雰囲気になって、三人ともそそくさと帰り支度を始めた。諒太が十円玉をポケットに仕舞い、敏史が机の上の紙を取り上げて、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込む。


「さ。帰ろうぜ」


 校舎を出ると自転車通学の諒太と手を振って別れ、電車通学の敏史と徒歩通学の俺は校門で別れてそれぞれの方角へ進む。

 俺の家は学校から近い。己の影を見つめながら家路を急ぐ。なんとなく一人でいたくなかった。ただの悪ふざけだった儀式の残滓が、ゆっくりと、けれど確実に奥の方に染みてくる。


 つまらないことするんじゃなかった。


 独りになるとじわじわと後悔が押し寄せて、夕陽に背を押されるように次第に歩みが早まってゆく。そんな俺の後ろから長い影が伸びる。


「のう」


 こんな日に限って道を往く人もいない。心細いったらありゃしない。家が近いとは言っても学校から二キロ弱ある。もう少し遠ければ自転車通学も出来たのに。うちの家は、境界線の輪っかのちょっとだけ内側にあるのだ。日差しの弱まってきた十月の末とはいえ、半ばも歩けば汗ばんでくる。


「のう」


 俺は心持ち上向きに前を見据えて歩いた。初めは長く伸びる影を見ていたが、もう見ない。

 本当に見渡す限り人影が無いな。きょろきょろと辺りを見回して溜息をつく。大通りから外れた住宅街の路地には、普段から行き交う人は疎らだ。それでもいつもなら一人や二人はすれ違うのに。


 なんでだよもう。


 無意識に噛んだ唇から少し鉄の味がして、俺は慌てて傷口を舐めた。


「のうと言うておるのに」


「ひっ」


 無視し続けていたが、ひやりと絡みつく。

 気のせいでありますように。最悪、気配だけでありますように。最悪最悪、絡まれませんように。

 そう願っていたのに、は確かな重量を待って俺の肩に乗っている。でも、そっと絡んではいるが握られている訳じゃない。逃げようと思えば逃げられる。たぶん。背中の汗が冷えて流れ落ちた。

 俺は一瞬硬直して、それから緩く絡みつくを力任せに振り解いて、脇目も振らずに走りだした。


 ヤバい。ヤバいヤバいヤバいヤバい。何か来た何か来た何か来た。何あれ何あれ。こっくりさん? なんで! なんで俺のとこに来るんだあああぁぁぁっっ!


 涙が出そうになるのを堪えて必死で走る。泣いて視界が霞んで転びでもしたらお終いだ。捕まったら最後、どんな目に合わされるか分からない。次の角を曲がれば家が見える。家に帰れば、きっと誰かいる。いてくれ頼む。


 母さんが買い物になんか行っていませんように! 姉ちゃんが真っ直ぐ家に帰ってきていますように!


 祈るように角を曲がった。

 

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