いつだって始まりのとき。その瞬間を大切にしましょう
翌朝、もう必要ないと言うのも聞かず、姉ちゃんはこっくりさんに小花柄のワンピースを着せた。俺としては大いに目の保養になるので否やはない。むしろ歓迎する。
「やーん。新しい服買ってこなきゃー」
こっくりさんが肌を出すのとパンツ系の衣装を嫌がったのでネタが乏しいらしい。姉ちゃんは頰に手をあてて身をくねくねさせた。困っちゃうー、とか言っているが、全然困ってはいない。むしろ喜んでいるのは明白だ。我が姉ながらニヤけ方がヤバい。
こんなんで彼氏とか出来るんだろうか。俺は自分のことは遠くの棚に上げて心配になった。
◇
「今日もかわいいですね」
学校への道すがら隣を歩くこっくりさんに言うと、弾んだ声が返ってくる。
「そうかの? 普段着ているものと違うて締めるところが無いので、ちと心許ないが」
言いながらくるんと回ってみたりするこっくりさんは相当可愛い。長いスカートの裾がふわりと舞って、それからまた細い足首のあたりに落ちた。
「郁哉、顔が……」
夜一に言われるまでもなく自覚がある。こっくりさんが他の人にほぼ見えない以上、道端で一人ニヤニヤしている俺はちょっと危ない人に見られかねない。気をつけなければ。
ひとつ咳払いをして表情を引き締める。
「ゆきは一人でも頑張れそうか?」
話題を変えようと、俺は制服の胸ポケットに収まったゆきに声を掛けた。ゆきは、両手と頭をポケットから出して嬉しそうに周りを見ていた。
「はいです。それに、ゆきはひとりじゃないです。なつきといっしょです」
見上げてくるゆきはこっくりさんとはまた違う可愛らしさを醸していて、それはそれで俺のの目尻が下がる。
「そうか」
「はい。ゆき、がんばってなつきをまもるです」
幼い眉をきゅっと上げて、ゆきは小さな手をぎゅっと握った。眉……は、本当は無いけどイメージだ。なんだか、ゆきの決意が額に極太の眉の幻を見せたのだ。
「おー。ゆきはカッコいいな!」
「ほんとです? ゆき、かっこいい?」
身を乗り出したゆきが、パタパタと尻尾を振った。
「おう!」
だから俺はゆきに親指を立てて見せた。ゆきの尻尾が更に元気よくぶんぶんと振られる。
ヤバい。可愛すぎる。そう思ったが口には出さなかった。
俺も男だから分かる。このくらいの年はカッコいいが嬉しいのだ。少なくとも小学生の頃の俺にとって可愛いは褒め言葉ではなかった。男の子だもの。
しかしゆきもこっくりさんも可愛いなあ。
「郁哉、顔が……」
うんまあそうね。どうしようもないわ。狐ちゃんたちの破壊力すごいんだもの。
夜一の指摘に、俺は乾いた笑いで応えたのだった。
◇◇
昼休みの中庭で則ノ内さんと待ち合わせていた。こっくりさんを間に挟んでベンチに並んで座り、弁当を広げる。一応、教室でこっそり開いて弁当の安全性は確認していた。ここでハート弁当とか披露したら変態だと思われてしまう。
「ゆきはがんばってなつきをまもるですよ」
離れていた一晩の隙間を埋めるように、ゆきはすりすりと則ノ内さんの肩で頰を擦り寄せている。則ノ内さんも擽ったそうに嬉しそうに、くすくす笑っていた。
ちなみに賢い鴉の夜一は、ベンチに枝を伸ばす桜の木に留まっている。学校の中ではそうすることに決めたらしい。則ノ内さんのお陰で大助かりだ。頭の上にカラスを乗せたままでは生徒指導室に呼び出されかねないからな。
「菜月、世話を掛けるがゆきを宜しゅう頼む」
こっくりさんが少しだけ名残惜しそうにゆきを撫でる。
「ゆき、分かっておるの? 敵わぬ相手に向かって行ってはならぬ。逃げることも隠れることも恥ではない。菜月を守ることが第一義じゃ」
「はいです」
びしっと姿勢を正してゆきは返事をした。
「菜月。昨日も申したが、危険なこともあるやも知れぬ。大概はゆきが対処出来ようが、無理だと思うときは夜一を呼ぶのじゃ。夜一は耳が良い。余程離れておらねば声は届く。ゆきも分かっておるの?」
「分かりました」
「はいです」
二人は神妙に頷いた。
「夜一。重ねて世話を掛けるが、此方に残って様子を見てやっておくれ」
「荼枳尼天様の御心の侭に」
夜一は真っ黒な羽の先を恭しく胸にあてた。こっくりさんに対する夜一の態度は、当たり前だが俺に対するときとまるで違う。本当に、優秀で賢い鴉に見えた。
全てが滑らかに進んでゆく。こっくりさんが語る未来のなかに、こっくりさんはいない。つまりはそういうことだ。けれどまだ何ひとつ、俺はこっくりさんから知らされていない。
まさか突然消えるなんてことはないと信じたいのだけれど。
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