さよならも言わずに消えるのは反則です
「それだけ?」
「これだけじゃ」
俺は呆然とこっくりさんの広げられた手のひらを見つめた。白くてキレイな肌には、もちろん火傷の痕ひとつない。
炎も道具も消えて無くなり、部屋には沈黙が落ちる。火事にならなかった安堵よりも、あまりにもあっさりと終わりが訪れたショックの方が大きい。俺は二の句が継げなかった。
こっくりさんはこっくりさんでそれ以上何も言わない。開いた手のひらを俺に見せたままじっと座っている。いつもは煩い夜一も喋らない。こんなときこそ無駄に羽ばたいたりつついたりして間を待たせろよ。そう思うのに、じっと神妙に座ったまま動かない。俺の頭の上で。
ああくそっ。
沈黙に耐えかねた俺は、ひとつ息を呑んで立ち上がった。
歩いて、部屋の扉を開ける。部屋を出て、階段を下りる。台所に入ると母さんがいた。明日の弁当の仕込みをしているらしい。
「あら郁哉、だーさんは?」
「うん」
答えにならない頷きを返して、冷蔵庫を開けて水を飲む。母さんは何か言いたそうにこちらを見ていたけれど、結局何も言わなかった。
そしてまた、階段を上って部屋に戻る。
「はは」
部屋の扉を閉めると笑いがこぼれた。
三尺以上離れられないとか言っていたのに。ものすごく不自由だったのに。嘘みたいだ。ただ紙と硬貨が燃えただけで、あっさりと解放されてしまった。
こんなにも簡単に繋がりが切れるということを、こっくりさんは最初から知っていた。
「びっくりするほど簡単だな」
もう、こっくりさんと俺を繋ぐものは何もない。ゆきを見つけたこっくりさんには、こちらに留まる理由もない。
「いつ帰るんですか?」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。俺は内心安堵の息をつく。よかった。取り乱して涙でも出ようものなら、恥ずかしすぎて死ねる。
「なんじゃ。やけにあっさりしておるのう」
反対に、こっくりさんは寂しそうに眉を垂らした。
「もうちっとこう、離れ難げにしてくれるかと思うたに。泣かれると後ろ髪を引かれそうじゃから、こっそり去ぬつもりであったのじゃ」
「泣きませんよ」
俺は笑った。
「どれだけ情けない男だと思われてるんですか」
まあ実際、こっくりさんから見たらショボい子供なんだろうけれど。
「でもまあ、これっきりというのは寂しいので、だーさんのお社を教えてください。会いたくなったら訪ねられるように」
「我は郁哉を情けない男だとは思うておらぬ」
こっくりさんはそう言うと銀色の長い髪を一房掬い取った。
「それでも、ゆきと菜月のように『ばいばいはやですー』とか言われたいじゃろ?」
「言われたいんですか」
「当然、言うてもらえると思うておったのじゃ。それなのに、郁哉はつれない」
こっくりさんはぷうっと頬を膨らませた。そうすると可愛らしさが顔を出す。キレイで神々しい荼枳尼天ではなくて、俺が心惹かれた自由で眩しいこっくりさんが。
「残ってくれるんなら言ってあげてもいいですけど」
こっくりさんが軽口を叩くので、俺も相応に返す。上手く笑えてよかったなーとか思いながら。
「それはちと難しいのう」
こっくりさんは笑って、掬った髪に爪の先を滑らせた。切り落とされた一房がさらりと流れる。
「知ってます」
「そうか」
流れた髪はきらきらと輝きながら撚り合わされて、ゆっくりと落ちてゆく。重力を無視して、ゆっくりと。
ふわりとこっくりさんの膝に落ちたとき、銀色の髪の毛は赤い緒の混じった紐に変じていた。
「こちらにおいで」
ぽんぽんとこっくりさんが自分の隣を示すので、俺は並んでベッドに腰掛けた。
「この縒り紐にはの」
俺の左手を取り上げて、こっくりさんが銀の紐を結ぶ。ちょっと複雑で不思議な結び方だ。一度解いたらもう同じようには結べないだろうな、と思った。
「我の加護がついておる。郁哉には世話になったゆえ、我からの礼じゃ。受け取ってたも」
「ありがとうございます。大切にします」
俺は手首を持ち上げて縒り紐を眺めた。なんだか、ぼんやりと輝いているような……。
「なんか光ってません?」
「うむ。我の加護があるのじゃから当然じゃの」
こっくりさんは得意げだけれど。
「ええっ。目立つのはヤバいですよ。学校で没収される」
銀と赤の縒り紐はただでさえ目を引く。それが光るとなれば尚更だ。
「学校にいる間は外しておかないと。解き方と結び方を教えてください。難しそうだったけど覚えられるかな」
俺は結ばれた縒り紐をまじまじと見つめた。何がどうなっているのかとんと分からない。
「何を言うておる。我が手ずから与えた加護が解ける訳なかろう」
「は?」
したり顔のこっくりさんはうんうんと頷く。
解けないとはどういうことか。
「大事無い」
……大有りですが。
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