さよならは別れの言葉じゃなくて

 ……ヤバい。

 なんか、さっきよりもヤバいことになっている!


 目を覚ました俺は絶句した。あろうことか、こっくりさんを抱き枕よろしくがっちりホールドしちゃっているのだ。慌てて腕を解こうとしたものの、片腕はまだ眠っているこっくりさんの下にあって下手に動かせない。とりあえず乗せていた左脚(ごめんなさい!!)はどかして、布団のなかで悶々としている。

 もう日は昇ったらしく、カーテンの隙間から明るい光が差し込んでいた。光の筋を遮るように、夜一が椅子の背もたれに留まっている。


「起きたのか。助平な郁哉」


 夜一にけしからん渾名をつけられてもイマイチ怒れないこの状況。どうすれば……。


「ん……」


 そのとき、腕のなかのこっくりさんが身動ぎした。


「おはようございます。あの……なんか、すみません」


 怒られる前に謝っておこう! 俺はわたわたと手を動かした。置きどころが分からないのである。


「んー……。よう眠れたか?」


 こっくりさんはたいして気にしていないようで、まだぼんやりとした目で俺を見上げる。


「はい。それはもう」


 なんだかあったくてやわらかくて、すんごい熟睡できた気がする。俺はカクカクと首を振った。


「なら好い」


 笑ったこっくりさんが布団から出て起き上がる。なんとなく、二人で向かい合って正座してしまった。ちゅんちゅん言うスズメもいつの間にかいなくなっていて、代わりに通りを行き交う人や車の気配が運ばれてくる。

 当たり前のように夜一が頭に乗ってきた。今回ばかりは大助かりだ。


「おはようございます。荼枳尼天様」


「うむ。おはよう」


「おはようございます」


「朝餉に致しましょう」


「そうじゃな。では着替えようか」


「ぐう」


 お互いに挨拶を交わすと、俺の腹の虫が鳴く。


「顔を洗っておいで」


 こっくりさんが笑った。


「はい」


 別々に行動できるのを少し寂しく思いながら、俺は立ち上がって部屋を出た。



   ◇◇



「えええーっ。そうなのぉ?」


 身支度を整えて事情を話すと、母さんが盛大に嘆いた。


「せっかくかわいいお嫁さんが来たと思ってたのにぃ」


 ごはんと味噌汁をよそいながら、恨みがましく俺を見る。が。俺に何を訴えても無駄だぞ、母さん。


「郁哉ではまだ頼りなかったかしら。かわいく育てたつもりだったんだけど」


「郁哉に不足は無い」


 溜息をつく母さんをこっくりさんが笑ってとりなす。


「仕事が溜まっておってのう。七日で戻ると約束してきたものじゃから」


「あら!」


 こっくりさんの言葉に母さんは笑って手を打った。


「じゃあ、お仕事が落ち着いたらまた来るわね? よかったわあ。郁哉が愛想尽かされたのかと思っちゃった」


 なんてポジティブシンキングなんだ。

 俺は呆れて母さんを見た。お花畑ちゃんはお気楽だな。羨ましい。


「うむ。落ち着いたらまたそのうちにの」


 こっくりさんもこっくりさんだ。

 母さんはコロっと騙されているが、俺はそうはいかない。何度も誤魔化されて、こっくりさんの手口はもう十分知り尽くしているのだ。

 落ち着いたら来る。それは嘘ではないのだろう。けれどそもそも落ち着かないのだ。きっと。

 いたいけなお花畑ちゃんを騙しやがって。こっくりさんめ。


「父さんと姉ちゃんは?」


 けれど無駄に母さんを悲しませることもないと思い、無粋な暴露はしなかった。


「お父さんはまだ寝てる。郁哉の寝汚さはお父さん譲りだもの。美咲は出掛けちゃったのよ。お友達と映画ですって」


 父さんはともかく、姉ちゃんの帰りは遅くなりそうだ。俺は隣のこっくりさんへ視線を向けた。ちょっと期待したのだが、こっくりさんは首を振る。


「父御はそのうち起きてくるかの? 美咲には宜しく伝えておいておくれ」


「美咲は残念がるでしょうねえ」


 寂しげに笑った母さんがテーブルに茶碗と汁椀を並べた。温かい湯気が立ち昇る。


「我も残念じゃ。此処はほんに心地が好かった」


 みんな笑っていた。でも、寂しい空気は拭えない。そのうち父さんが起きてきて、こっくりさんとの別れを盛大に嘆いた。見えも聞こえもしないくせに、おいおい泣いて別れを惜しむ。

 身も蓋もなく嘆くことのできる父さんが、俺はちょっと羨ましかった。

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