伝え忘れたことはありませんか?

 ちゅんちゅんとスズメが鳴く、肌寒くも爽やかな朝。皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか? 俺はちょっと困っています。またしてもおかしな事態が発生しておりまして……。


「……」


「すう」


 すう、じゃねえ! どうしてこんなことに……。


 暖かい布団のなかで俺は固まっている。もうかれこれ同じ姿勢で動けずにいるので体の節々が痛くて辛い。

 まだ真っ暗な早朝にうっかり目を覚ましてからずっと直立不動だ。たとえ寝転がっていようとも、ビシッと真っ直ぐに力を入れて固まっていては立っているよりも疲れる。気づきさえしなければ幸せな惰眠を貪っていられたのに。


「くう」


 くう、でもねえ。本当に寝ているのか? もしかしてタチの悪いイタズラなのでは。


 すぐ隣ですよすよと眠るこっくりさんを、首だけ回してそっと盗み見る。ギギッて音が響くような気がするくらい関節が強張っている。錆びついたブリキのおもちゃみたいだ。ブリキのおもちゃって見たことないけど。

 こっくりさんの長いまつ毛は伏せられていて、唇は薄く開いて吐息をこぼす。流れ落ちた髪のひとすじがその吐息に揺れていた。眼福なこの光景。でも、嬉しいよりも困る!


「すやー」


 すやー、はさすがに嘘なんじゃないかな? そんな寝息があるだろうか。すやすやはよく聞く表現だけど、実際にすやすや言って眠っているヤツなんて見たことがない。


 俺は思案する。


 もしややはり。これは噂に聞く据え膳……。食わないと恥になるとかいうアレなのでは。でも、うっかり食おうとして苛烈な報復とやらを食らったらシャレにならない。


 自慢ではないが俺はまあまあなヘタレだ。いくら己の布団に潜り込んできたとはいえ、はいどうぞ♡ と言われた訳でもないのに手を出す度胸などあるはずもない。しかも相手はこっくりさんである。はいどうぞ♡ とかある訳がない。

 でも二回目だしな。もしかしてもしかすることもあるんじゃないかと期待してしまうだろう。それって普通でしょ?

 狭いシングルの布団のなかでくっつくように眠っているのは確かで。前のときのように俺が魘されていた訳でもなくて。じゃあなんなの? もしかして!? 以外の思考の流れがあるだろうか。いや。無い。


「……ん」


 あ。


「んん……」


 起きた?


「オハヨウゴザイマス?」


「おはよう。なんじゃ変な声で。よう眠れたか?」


 俺の戸惑いを余所にびっくりするくらい通常運行のこっくりさんが、あろうことかすり寄って来た!


「ひゃあぁ」


「ひゃあとはなんじゃ。失礼な」


 そうは言いつつも、こっくりさんはぴたっと寄り添ったまま離れない。困る。俺はとっても困っている。なにがどうなってこうなったんだ……。


「これはいったい、なんの罠でしょうか……」


「罠なぞ無いわ」


「じゃあ何のために……」


「……」


 なぜかこっくりさんは黙り込み、それからぎゅっと俺のスウェットを握った。


 お。おおっ!?


 男の子だもの。色めき立つのも無理はない。訳が分からないとか関係ない。だって、ちょっと気になる女子がぎゅ、って!


「寒いじゃろ?」


「……は?」


「くっついておった方がぬくいじゃろ?」


「あぁ……」


 デスヨネー。しってたー。


 俺の肩からどっと力が抜ける。気を張っていた分脱力感もすごい。


 なんだーそっかー。緊張して損したー。


「なんか、安心したら眠くなってきた。あったかいし」


 まぶたが重い。弛緩した体も敷布に沈んでゆく。なんせ早く目が覚めすぎたせいで寝足りないのだ。普段なら間違いなく二度寝するのに、変なイベントが発生していてできなかったから。


「寝ればよいじゃろ。今日は土曜だとか言っておったろう」


「うん……」


 閉じた俺の目には、こっくりさんのぴょこぴょこと嬉しげに震える耳は映らない。


「ゆっくりお休み」


「うんー」


「郁哉は本当にお莫迦」


 椅子の背に留まって呆れたように天を仰ぐ夜一の声も届かない。もう既に、意識は深く深く眠りのなかだ。


 くすりと笑ったこっくりさんが、唇の前に指を立てて夜一を見た。


「御心の侭に」


 夜一は敬愛する主に逆らったりはしない。恭しく礼をとってから目を閉じた。


 朝靄に烟る街はまだ起ききらない。スズメの囀りも心地好い子守唄だ。

 こっくりさんも目を閉じた。すり寄ると郁哉がそっと抱き寄せてくる。無意識だろう。


「大胆じゃの」


 こっくりさんはくすくす笑って、郁哉の腰に腕を回した。

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