こんばんは

「やれ困った」


 くつくつとこっくりさんが笑う。整った美しい顔からその胸の内を量ることは難しい。穏やかにも、酷薄にも見える。


「おぬしにも考える頭がついておったのじゃのう」


 俺は身構えた。こっくりさんがどんなにキレイでも。言葉や仕草がどんなに可愛らしく見えても。力を持った妖怪なのだ。初めて見たときには取り殺されると思ったではないか。それを一晩で忘れてしまうとは、己の間抜けさが怨めしい。


「考えて我を追い込んだのか、考えなしに禁忌に触れたのか。さて、どちらかの?」


 開けたままの窓から乾いた風が吹き込んだ。こっくりさんの髪が揺れる。きらきらと輝いて花の香りを匂わせる。昨夜、俺が洗ってやった髪だ。

 どうせなら騙されたままがよかったかな。気づかないフリをしておけばよかった? でも俺は、そんなに器用じゃない。


「戻るすべがあるんですね?」


 器用じゃないのでストレートに訊いた。


「我は嘘はつかぬ」


「帰り道は無いと?」


「さあ、どうかの」


 こっくりさんは微笑みを湛えたまま首を傾げる。答える気は無いということか。そうだな。確かに、答える義理も無い。


「俺は取り殺されるんでしょうか?」


「ほう。何故そう思う?」


 分からない。妖怪は悪いものだから? こっくりさんの秘密を暴いたから? 俺は本当にそう思っているのだろうか。心のどこかで、まだ信じたがっているのではないか。否、と返されたい。こっくりさんは、嘘はつかないらしいから。


「教えてください」


 否と言ってくれ。そう願う。


「我が答えるとでも?」


「難しい質問ではないので」


 静かな時が流れた。乾いた冷たい風が首筋に浮いた汗を撫でてゆく。光を失いつつある夕陽が、窓辺に移動したこっくりさんを後ろから照らしてますますその顔を隠す。電気を点けておけばよかった。そうすれば、せめて表情を推し量ることが出来たかもしれないのに。


 どちらも口を開かない。風がこっくりさんの髪を揺らす。長いスカートがふわりと揺れたとき、羽音が響いた。


「おたわむれはそのくらいになさいませ」


 真っ黒い影が窓から飛び込んできて、俺の頭に留まった。大きさの割には軽い気がするが、なぜ頭に。


「ご覧くださいませ。怯えておりましょう」


 頭の上の何かが喋る。

 お前こそ怖いよ。なんなの? なんで頭に留まったの?


夜一よいち


 こっくりさんのぶうたれた声が宵闇に響いた。その声に安心する。さっきまでの緊張感が消えて無くなっていた。


「なぜ邪魔をするのじゃ。せっかく面白かったのに」


「面白がっていたのは貴女様だけでございましょう」


「だって郁哉が震える小狗のようで」


「だってじゃありません」


「むう」


 こっくりさんは怒られているんだろうか。お腹のところでぎゅっと握った両拳が、拗ねているみたいでなんだか可愛い。


「ええと、だーさん。こちらの方はいったい……」


「夜一じゃ」


 だから夜一ってなんなのよ。


「我に仕えてくれておる。有能ではあるが口煩いのが玉に瑕じゃの」


 なるほど?


「なぜ俺の頭に?」


たっとき御方の肩に留まる訳には参りますまい」


 今度は頭の上の夜一が答えてくれた。

 そうだよね。せめて、肩だよね。なぜ頭に。


「夜一と申します。どうぞお見知り置きを」


 見えないのに、どうやって見知るのだろうか。些か不条理に感じるが、ここは初対面。ご挨拶はきちんとしておかねばなるまい。俺はこう見えてお行儀のいい子なのだ。


「それはご丁寧に。郁哉と申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。ええと……」


「何か?」


 頭の上で首を傾げる気配がする。はて? じゃないよ。察しろよ。


「降りて?」


 あまりに察しの悪い相手に、しょうがないからお願いする。


「これはまた異なことを」


 けれど俺の誠意は伝わらなかった。ばさりと広げられた羽が、また閉じる。足場を確かめるように二度三度頭を踏んで、腰を落ち着ける。

 嘘でしょ? 降りてって言ったのに、逆に腰を据えられた!


「貴き御方の肩に留まるなぞ、滅相もございません」


「だからって俺の頭じゃなくてもいいよね?」


「丁度好いので」


「なんて!?」


「ふむ。仲ようなったようで何よりじゃ」


「だーさんも。どこ見てます? おかしいですよね?」


 こうなっては仕方が無い。初対面の人に対して失礼かと控えていたが、強硬手段に出よう。

 拳を握った俺は、ぶんっと頭を振った。


「おっと」


 落ち着いた夜一の声が神経を逆撫でる。

 く、くそう。負けてたまるか。振り落としてやる。

 ぶんっぶんっと頭を振った。ところが夜一は恐ろしくバランス感覚がいいらしい。全く落ちる気配がない。くすくすとこっくりさんが笑う。負けてたまるか。ぶんっ。負け……。ぶんっ。ぶ……。


「ごはんよー」


 階下から母さんの声が響く。息を切らせて項垂れる頭には、夜一が張りついたままだ。

 おかしいよね。俺、下向いてるのに。落ちろよバカぁ。


「ごはんじゃぞ」


 こっくりさんものほほんとするんじゃない。さては、さっきまでの緊張感、無かったことにするつもりだな。


「夜一も行くか? 酒があるぞ」


「ほう! それはそれは」


 和気藹々としてんじゃねえですわ。


「郁哉ー。だーさーん。早く下りてらっしゃーい」


「ささ。早う」


 夜一が頭をつつく。

 くそう。せめて自分で飛んで行けよな。


 

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