どんなに心配していたとしても、叱るのは抱きしめたあとで

「一応中庭も見てみましょうか」


 犯人は現場に戻ってくる、ではないけれど、一度出会った場所を押さえておくのはあながち見当違いでもないはずだ。



 果たして。そこには則ノ内さんがいた。他には誰もいない中庭で、ベンチに座って本を読んでいる。


「あれ?」


 見たことのある光景だと思ったら、こっくりさんも隣でぽんと手を打った。


「昨日、昼餉の折におった娘じゃの」


 言われてみれば、則ノ内さんは恥ずかしいハート弁当を広げたあのときにいた子だった。昨日と同じベンチで、同じように静かに文庫本に目を落としている。あのときにはまだ、ゆきの気配があった(こっくりさん談)んだよな。手に乗るほどの小ささで、一体どこまで行ってしまったのだろうか。


「む」


 声を掛けようと一歩踏み出したところで、こっくりさんが息を呑んだ。まるでその声が聞こえたように、則ノ内さんが本から顔を上げる。そしてぺこりと頭を下げた。それを了承と受け取って、俺はベンチに近づいた。


「こんにちは」

「こんにちは」


 挨拶を交わしたものの、則ノ内さんは動く気配がない。まあ、聞きたいことがあるのはこっちだし、俺から切り出すべきだろう。


「さっきのビラのことなんだけど……」


 早速ゆきのことを訊こうとしたら、則ノ内さんに手を上げて制された。ほぼ同時にこっくりさんが俺の袖を引く。


「待つのじゃ」


 こっくりさんは則ノ内さんの膝に乗せられたハンカチを凝視していた。則ノ内さんも、それを確かめるように己の膝とこっくりさんを交互に見つめる。


「耳が。やっぱり……」


 則ノ内さんの口から呟きが落ちる。


 これは……。もしかして、則ノ内さんにはこっくりさんが見えている! ヤバいヤバい。こっくりさん隠れて! いやそれよりも。隠してー耳と尻尾! なんで丸出しになっている今に限って! ダメか。バッチリ見られている。手遅れ! うおぅ。どうすれば!?


 俺はあわあわしながらこっくりさんを振り返った。


「好い」


 なのにこっくりさんは首を振る。首を振って、やはり則ノ内さんの膝を見つめている。


「あのぅ。則ノ内さん? もしかして、見えてたり?」


 こっくりさんの方を示しながら、恐る恐る訊いてみた。


「はい!」


 すると則ノ内さんの瞳が輝いた。怖いとかヤバいとか。そういう発想はないのだろうか。ネコ耳ついてたら人間じゃないって分かりそうなものなのに。てっきり母さんと姉ちゃんが特殊なのだと思っていたけれど、もしかして女子って全般こんな感じ? なんて恐ろしい……。

 こっそり慄く俺を余所に、則ノ内さんは続ける。


「昨日とさっきは耳も尻尾も出てなかったですし。何よりはっきりくっきり見えていたので、まさかそんなふうには思わなくて。てっきり部外者の方を堂々と同伴されてるのかと」


 昨日などは静かに本を読んでいるだけに見えたのに、どうやらいろいろ観察されていたらしい。いつの間に! そんになんか、あらぬ誤解を受けているような……。


「今日は頭にカラスも乗っけてましたし、変な先輩だな、って。まだ乗せてるんですね。可愛いですよね、嘴太カラス」


 則ノ内さんはにっこりと笑った。カラスが、可愛い、だと? え。どこが?


「痛い痛い。何するんだ夜一!」


「碌でもないことを考えている気配がした」


 俺の頭髪を毟りながら夜一が嘯く。


「郁哉の思考如きわたくしには手に取るように分かる。わたくしは優秀な鴉!」


 羽を腰に当ててぐっと胸を張る夜一は残念ながら優秀とは程遠い。


「普通のカラスのふりはどうしたよ。優秀なんだろ。喋っちゃダメじゃないか」


 俺が肩を落とすと夜一はふんと鼻を鳴らす。


「この娘に取り繕いなど無用。そんなことも分からぬとは、ほんに郁哉は仕様がない」


「なんだとぅ」


「やめぬか二人とも。みっともない」


 ジタバタしていたらこっくりさんに窘められた。


「だって夜一が!」

「ですが郁哉が!」


 妙にシンクロしたせいか則ノ内さんにまでくすくす笑われてしまった。恥ずかしい。でもなんとなく漂っていた緊張感が消えたので結果オーライかもしれない。


「仲よしなんですね」


「「どこが!?」」


 尚もぎゃーぎゃー騒ぐ俺たちを見てこっくりさんが溜息をつく。


「時に娘。その手ぬぐいじゃが」


 こちらに構っていてもしょうがないと判断したのか、こっくりさんは則ノ内さんの方を向いた。膝のハンカチを指差されて則ノ内さんもくすくす笑いを引っ込める。


「はい」


「我の知っておる気配がする」


「はい」


「そなた、なんぞ知っておるのか?」


「はい」


 則ノ内さんはそっと膝のハンカチを撫でた。


「学校へは連れてきてないんです。その。ペットを連れてきたら怒られると思って」


 ちらりと夜一に目を向けて、則ノ内さんは持っていた文庫本の間から四つ折りの紙を取り出した。迷子探しのビラだ。


「小犬を拾ったんだと思っていたんです。話しをするのでただの犬じゃないってことは分かってましたけど」


 則ノ内さんの口から小さな溜息が漏れた。けれども則ノ内さんが浮かべているのは優しい表情だ。


「犬じゃなくて狐だったんですね。あの子が、きっとあなたなら自分の匂いを見つけてくれる、って。その通りですね。お迎えが来てくれてよかった」


 優しく笑う則ノ内さんの眉が、寂しげに垂れた。

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