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「知って、たんですか? 私の、生まれのこと。……いつから?」

「殆ど、最初から。」少しだけ、声音が柔いだ。「矢田野鉄哉てつやと、矢田野詩瑠美しるみ。この、龍虎会に関わっていた売人、或いは運び屋共を仕留めようって話になった時、この手の人間にしては珍しく、しっかり家庭を築いて子供まで育てていると聞いたから、強い印象が残ってた。それで、ちらと資料で目にしただけだった『矢田野りょう』とその弟の名前が、頭から消え切らなかったらしくてね。何年も経ってから、適当に複写魔術師を探していた時に、貴女達二人の名前の組み合わせを見て、一挙にそれが甦ったのよ。あの時は、とても感心した。苗字は養子縁組みなりの戸籍操作でなんとでも出来るのに対して、名前の方を変えることは難しいでしょうけど、でも、読み方を変えるだけなら、確かに、少なくとも日頃の習慣上はやり果せるだろうな、と。『すず』。実際、悪くない名前だと思うわよ。親の汚名から逃れる為の、涙ぐましい工夫の割にはね。」

 いつの間にか歯を喰い縛っていた私は、顎の合わせに痛みを覚えながら、

「鎗田さん、私、実は、半ば予想ついていたんです。あまり、認めたくなかったんですけど。……でも、確かに私は、気が付きかけていたんです。龍虎会の根城で、彼らが頼みにしていた魔女やその他ならず者達が、〝災炎の魔女〟に次々と仕留められて困っている、そんな話を、何度も聞かされて、そして、……実際その中に、父さんと母さんの名前も有って、

 ……つまり、鎗田さん、貴女は、――〝災炎の魔女〟は、本当は、魔女ではなく、」

「ええ、」

 丁度、後景として佇むポプラの防風林の肩の辺りから、隠れていた赭い太陽が再び姿を現した。先程までは悪逆の魔女として薄暗く私へ映っていた彼女へ、遺憾のない夕映えが斜めから差し込んで、その印象を一新させる。最早そこに立っているのは、悪と日陰に生きる女ではなく、峻厳な、正道を歩む戦士だった。

「私は、魔女を、そしてその他の悪党を刈る者。法では裁けぬ小賢しい賊を断つ、政府に任命された特務官の一人、それが、私。魔術師の悪知恵は、屡〻しばしば法理や物証主義を搔い潜ってしまうから、それによって、社会に必要となった人材。

 私が殺してきたのは、そう、一人残らず、どうせ死んで当然の連中ばかりよ。」

 その威に挑む為の勇気は、彼女の言葉の中から汲み出された。

「鎗田さん、今、言いましたよね。……私の父さんと母さんが、死んで当然だったと!?」

「言ったわよ!」何をも憚らない、怒声だった。周囲を、というだけでなく、あらゆる対立する正義や確信を物の数としない、己の高邁こうまいを疑わない、耀かがよう誇負。「貴女ね、矢田野の連中、つまりアンタの親御が流通させた銃器や薬物やその他不穏な愚物で、どれだけ平和が侵されたと思っているの? どれだけ、市民が害されたと思っているの? 具体的には知らなかったかも知れないけど、でも、想像くらいは出来るでしょう!? 矢田野りょう!」

 顔を顰めつつ、固めた拳をふるわせてしまう。

「分かりますよ、分かりますけど、」

 私は、生涯で、最大の叫び声を挙げた。

「でも、父さんと母さんだったですよ! 私を愛してくれた!!」

 彼女は、暫く黙っていた。私の哀叫の余燼が、地面の瀝青れきせいに染み入りきるのを待ってくれているかように。そして、再び口を開く頃、戦士の顔は、少し歪み始めていたのである。

すず。私が多くの事実を隠しつつ、貴女を殆ど身内のように傭い続けていたのは、別に、悪戯とか罰を与えようとか、そういう想いじゃなかった。寧ろ、そう、……救いたかったの。」

「……はい?」

「そもそも最初に貴女と会おうとしたのは、確かに、矢田野の連中がどんな糞餓鬼を育て上げていたのか見てみようと、そして、もしも余りにだったら、小さいに内に摘んでしまわねば、という、俗な興味からだけだった。

 でも、実際に会ってみたら、……完全に想像を覆された。相対した矢田野の娘は、ちゃんとしてて、それなりに聡明で、何よりも、……世の中の忌まわしいことを軽蔑出来る素養を、きちんと持っていた。矢田野の連中が、罪滅ぼしに己の子供には無限の愛情を注いだのか、それとも肉親以外の命だけを蟻のように軽んじることの出来た病質者だったのか、そこは私には分からないけど、でもとにかく、下種な運び屋には勿体ない、良く育てられた、出来た娘だった。弟の方も、聡明ではなかったかも知れないけど、でも、しっかり道徳をわきまえた子だった。

 だからこそ、私の胸は張り裂けそうになった。こんな子達が、縛められているのだと、あの、下種な運び屋の亡霊に! そもそも、そうして愛してくれた両親を失わざるを得なかったことこそすらも、悪道者を親に持ってしまったことによる、呪いなのだと! こんな、何の咎も無い、子達が、」

 この、まるで他人事で、なのに土足で踏み込むような同情は、私をどこまでも逆撫でた。

「何を勝手な、……そもそも他でも無い貴女でしょう、父さんと母さんを殺めたのは!」

「罪人ではなく、判事や処刑人を恨む馬鹿が居る!? 寧ろ、同情して欲しいものだわ!」

 彼女の眉が寄せられつつあった理由が、ここで分かった。つまり、彼女は、泣き出しそうになっていたのである。

「そう。……少しくらい、同情してよ。分からない? 私は、貴女をそういうくびきから解放したいと、いや、それが叶わなくても、新たな艱難からはせめて護りたいと願って、貴女の近くに居続けたかったの。でも、そういう生活の内で、私は幾度となく自責の念に駆られた。貴女が朗らかな姿を見せてくれる度に、貴女が良く気が付いて助けてくれる度に、そして何よりも、……貴女が失った父母を悼む言葉を、私の前で零す度に! こんな子達を、孤独と悲愴に陥れたのは、この、私の手なのだと、

 分かる? すず、それにもかかわらず私は、貴女の両親について、絶対に謝る訳には行かないのよ! 何故なら、私の、悪を刈ると言う信念を裏切ることになるから! そんな事をしてしまっては、この手を幾ら汚してでも世の為に貫き通さんと決めた信念を、折ることになるから! これまでに演じてきた殺戮を、踏みにじることになるから!

 そう、だからこそ、……私は、本当に苦しかった、信念と自責の撞着によって。そして、だからといって貴女の許を離れる訳にもいかぬ、呪いのような責任によって!」

 言葉の後半は彼女の涕泣で濡れて朧になっており、汪々おうおうたる瞳から零れる幾許ここだの大粒の雫が、砂埃を冠して白ぼやけていた瀝青を漆黒に染みさせた。

「なのに、こんなに私は苦しんで来たのに、こんなに貴女を想って来たのに、……貴女は、まだ、あんな両親にいましめられている! そいつらの為に、魔女になるだなんて愚行を犯すほどに! ねえ、涼、私の不幸が分かる? 私の、虚しさと口惜しさが分かる!? 身勝手にとは言え、弛まず愛情を注いできたが、最も軽蔑している人種になるという悲劇が!」

 この、私の情感を揺すぶり掛ける言葉を吐き終えた彼女は、暫く茫然と呼吸だけを繰り返した後に、煙草を左手へ持ち変えると、利き腕で漸く涙を拭った。

「ねえ、涼。もう、止めにしましょうよ。分かった、でしょう? 災炎の魔女によって殺められた市民は一人も居ないし、貴女の御両親を殺めた魔女も、この世には居なかった。有ったのは、幾らかの悪党達と、そこへ当然の報いを与えた刑吏だけ。どこにも、不幸や理不尽は無かった。ねえ、……お願い、涼、」

 彼女が、複雑に顫える手を差し伸べて来る。

「今一度、お願いするわ。……全てを忘れて、私と一緒に、生きて行きましょう? 貴女の為なら、私、魔女狩りも引退するから。後腐れ無く、そう出来る準備や契約はちゃんと有るから。だから、一緒に、もう何も難しいことを考えず、平穏な市民然として、暢気にフロートを売って暮らしましょう? ……ね?」

 

 私は、思い悩む振りをしてから、やおら手を伸ばし、彼女と固い握手を交わした。

「涼、」

 そう、欣然と呟く鎗田さんは、きっと微笑んでいたのだろうけど、私はそれをまともに見られなかった。何故なら、私は、繫がった私達の右手を根拠に、飛翔を始めていたのである。

 彼女は、腕の中を遡る私の魔力に気が付いたらしく、

「離しなさい!」

 と叫び、北風と太陽の寓話に倣ったかのように、逆に私の手を握り潰すことでこちらを挫けさせようとして来た。歴戦の魔女狩りである彼女の膂力りょりょくは凄まじく、音を上げそうになったが、汐路さんに鍛えられた私の感覚は、手の骨が軋み始めると同時になんとか彼女の恒星へ辿り着き、そのまま、罪深い紫色の鏡へ飛び込んで、

 複写の成就を感触で察したのか、これと同時に彼女は私を突き飛ばすと、冷酷に眥を決して私を睨みつけつつ、その右手に牡丹色の靄を集めた。つまり、これは見慣れた、〝カーボネートラヴァー〟によって可視化された二酸化炭素だが、いつもと異なっていたのは、このマゼンタがみるみる濃くなり、まず、血潮のように、そしてその後、闇のような色になったのである。

 それが、こちらへ投ぜられた。

 私は、必死に右手を突き出して、そこから無茶苦茶に〝カーボネートラヴァー〟の魔力を放った。すると、この飛翔する殺意は、私の耳をつんざきつつも、何とか目の前で弾けて霧散してくれたのである。

 肩で息をする彼女は、ここまでで、それ以上追撃してこない。今の一撃で周囲の二酸化炭素を消費し尽くしてしまったということなのだろうが、しかし、一発とはいえ、平常の条件で攻撃が可能であるとはおどろかされた。

「どういうつもり、涼?」

 早々私へ一撃試みたのだから、彼女も当然把握している筈で、その意味ではまるで甲斐の無い質問なのだが、しかし、それでも私は答えねばならなかった。真剣な、口上として。

「御免なさい、鎗田さん。……でも、やっぱり私は、父さんと母さんを殺したを、何がどうあろうとそのままにはしておけないんですよ! 鎗田さん、私は、貴女を討たねばならない、……政府に頼れないなら、魔女らしく、どんな手を使ってでも! それこそ、貴女の魔術に頼ってでも!」

 彼女は、また、泣き出しそうな顔になり、頻りに首を振った。

「なんなの、……本当に、何なのよ!? 親子の縁が、血が、それほどまでに、自分の人生のみよしの向け先を、完全に支配されてしまうほどに大事な訳!? 本当、なんなの、……一体、今日までの私は、何だったのよ!!」

 再び、切っ先のような眼光で私をめつけると、彼女の左手の、うずたかく灰を積んでいた吸いさしが、突然凄まじい豪炎を立て始めた。愕かされた私がつぶさに観察すると、炎の発する炭酸瓦斯を速やかにそこから排除し、また、その瓦斯を還元し、つまり黒鉛と酸素に分解して、再び元の炎へ戻しているらしい。牡丹色と煤の跳梁によりこの仕組みが見透かされた訳だが、この繊細な永久機関は、煙草ごと、彼女の後ろへ放り投げられたのである。操作された炭酸瓦斯の気流に乗って、この盛んな小さい太陽が、亭々と立ち並んだポプラ林の方へ飛んで行く。惑いながらも目的地を目指す火の航路は、一種の導火線のようで、事実、それが到達して数瞬後に、群れ立つ喬木きょうぼくは凄まじく燃え上がった。

 夕映えのあかと炎のあか、そしておびただしく立ち上る炭酸瓦斯の洋緋あかの見分けが難しくなった、地獄のように光彩陸離たるおぞましい光景を背負いつつ、彼女は立ちはだかっている。

「〝炭酸中毒カーボネートラヴァー〟の真の姿、今こそ御覧に入れましょう。」

 魔女狩りの戦士は、壮絶な笑みを泛かべた。

「お前も死ね、薄汚い魔女。」

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