13

 昨夜ロクに眠れなかった私は、品数だけやたら多かった朝食を平らげた後、椅子に座りながら暫くボンヤリしてしまっていた。寝られていないと言っても、駒引に変なことをされたとかは全く無く、――いや、無邪気な意味でのは日中山程されている訳だが、とにかく――ベッドの巨大さ故に特に物理的な干渉も無く私と隣った彼女は、っとすぐに寝ついてそれっきりだった。当たり前だがあれだけ喧しい女もこうなれば流石に静かになるのだなぁ、などと考えていた私の方は、慣れればこの上無いのだろうが、しかし一々ふわふわして定まらない枕と掛け蒲団とベッドとに苦しんでまともに寝つけなかったのである。やたら上等な布地を使った寝巻きの肌触りも、私を何処までも落ち着かせなかった。

 目をしばたたかせつつ欠伸を堪える私を見兼ねた駒引が使用人に淹れさせた濃い珈琲を飲み干して挑んだ、雨女ごっこ、つまり駒引との二人羽織で対処するとの接見は、しかし実は、事前の不安に反してあっさりと乗り越えられてしまった。彼女が時宜を得つつテーブルの下で脚を小突いてくるので、それに応じて私が耳打ちする振りをすれば、駒引は実に朗々とそれらしいことを話して見せるのである(「マザーが仰るには、云々、」という感じで)。本物の雨女が留守の時期と言うことでわざとそういう相手を固めたのかもしれないが、圧倒的に此方――と言うかなんというか――が上の立場の会談ばかりで、まさしく『謁見』という有り様だったというのも私にとって助けだった。

 三組目の客が去った後で、

「中々上手いね涼っち、感心しちゃった。」

「神経の太さだけは、鍛えられていますからね。」

「あら、誰に?」

「実演形式で、貴女に。」

 あはは、と笑ってから、

「確かに、確かにね。そんな口利ける子だなんて、昨日会った時には正直思ってなかった。ま、とにかく思った以上の出来で助かっちゃうかな。」

 例のヴェールのせいでまともな視界が無いことが、つまり相手の顔が良く見えないことが、逆に私の度胸を据えるのに役立っていたような気がする。残りの部分の衣装のむずむずしさには、ただ苦しめられたが。

「で、駒引さん。久々に私と普通に喋ってくれましたけど、もしかしてもう終わりですか。」

「あ、いや、もう一回だけこの後有るんだ。ただ、どうせ移動しなきゃいけないから、今は一旦緊張を解ける、と。」

「ああ、成る程。」

 駒引は立ち上がって、この部屋の壁にも掛かっていたベルをがらんがらんと鳴らして見せた。構造が違うのか、昨日聞かされたものより些か重い音色だった気がする。

「何事ですか?」

「ああ、いや。貴女も喉乾いたよね。お茶を飲むまでの時間は無いけど、せめてお水持って来させるからさ。」

「あ、有り難うございます。……もしかして、今のベル一発でそこまでの意味を?」

「うん、そう。良く出すお願いは、合図をちゃんと決めててね。」

 これを聞いた私は、駒引のメイド服の小さな前ポケットを無害な腫瘍のように膨らませている、彼女の携帯伝話器の辺りへ視線をやってしまった。この邸の雰囲気にいかにも相応しい、チャイムによる古式ゆかしい伝令と、種々の敵と戦い続ける組織に相応しい、近代的な魔力による情報機器とを使い分ける駒引の様子が、素直に不思議に見えたのである。

 その後まもなく、水は届いた。

「ありがと、しずく。」

 その、雫と彼女に呼ばれた、私と駒引の間くらいの年齢に見える男性は、座っている私達へ水のグラスを供した後も、洋盆を支える左手を除けば定規のようにまっすぐ全身を伸ばして、私達のすぐ横に控え続けていた。邸の使用人という身分を龍虎会の普通の人員と区別する為のものなのか、円筒帽まで被ったベルボーイの様な大時代の恰好を纏いつつ、その表情は引き締められている。

「そう言えばさ。雫、沙羅っちの方から聯絡れんらくとかは?」

「特に入っておりません。」やや、嗄れた声だ。「何か、気になることでも御座いますか。」

「ああ、うん、いや。便りが無いならなんとやらって感じで、良いと思うんだけどさ。」

「承知しました。話は変わりますが、家政婦長ハウスキーパー、先程消耗品等の納品が有りましたが、何時頃確認なさいますか。」

「ええっと。なんだっけ、涼っちに聞かれていいやつ?」

「洗剤と用紙類とワインと、後は、」

「あー、思い出した。」駒引は、背を丸めつつ両手で顔を隠しながら、「そんなの有ったね、そういえば。ううんと、今日は忙しいからいいや、貴方とかすみのどっちかで確認しといて。私の権限で許す。」

「承知しました。」

 こう見えて、ちゃんと家政婦長っぽいこともしてるんだなぁ――早速サボっているけど――、と感心していると、

「あ、そうだ雫。例のアレ、今渡してもらえる?」

 使用人雫はここで初めて表情を泛かべ、それは訝しげだった。

「今、ですか?」

「うん、そう。……そうだ、涼っちに投げちゃってよ。トレイ持ってちゃ、受け渡し辛いでしょ?」

 ……え? 私?

 雫は、ちょっと間を置いた後、諦めたか呆れたかしたように目を閉じて首を振ってから、器用に、左手の盆を微動だにさせないまま右手を上着の内に突っ込んで『それ』を取り出し、本当に私の方へ放ってきた。何が飛んでくるのか分からなかった私は、火事場の窓から放り出された赤子でも拾うかのように出来る限り叮嚀に受け止めようとしたが、存外な重さと硬さに「……っつ、」と随分上品な呻き声を漏らしてしまう。くすくす笑う駒引を視界の端に認めながら、手許のそれがなんなのか確認すると、……ああ、成る程な。

 愉しそうだった駒引は、しかし、私が大した反応を見せなかったせいか、すぐに眉を顰めつつ首まで傾げて来た。

「ねえ、ちょっとは驚かないの? ……いきなり、拳銃投げ渡されてさ。」

「いや、」私は、それの用心金に人差し指を突っ込み、顔の高さまで持って来てくるくる水平に回しながら、「こんな見え見えの玩具トイガン見せられましても……」

 いっちょ前に銃口は有るが、例えば重量のバランスがおかしい。具体的に言えば、圧倒的に質量が無ければいけない筈の魔力収斂器の辺りではなく、グリップの方へやや重心が寄っているし、そもそも熱伝導率も変だ。発射で魔力が爆ぜることの反動によって銃身が吹き飛ばないようにする為には、相応に頑丈な金属を用いねばならないが、さっき抱いた感じではぬるく、つまり熱伝導率が鋼系合金のそれよりもずっと低いようである。更に、私と言う魔術師相手に、つまりもしかすると発砲が可能かもしれない相手へ無防備に放り投げてきたと来れば、何を言わんや。大体、本物の銃が醸すべき、色気や妖しさがまるで感ぜられなかった。

 駒引は、珍しく、意外そうに目を少し瞠って、

「ええっと、凄いね涼っち。本当にさ。私なんかはそれ手に入れた時、へえ最近は随分精巧に作れるんだねえと心底感心してたのに、良くもまぁそんな一瞬眺めただけで、」

 あ、

 まずったかなと思いながら、その玩具をテーブルの真ん中辺りに返しつつ、

「ミリタリーとか、好きなんですよこう見えても。」

「へえ、……人って、見掛けによらないね。」

「兎の縫い包みでも集めているように見えます?」

「いや、そんなの蒐集する暇とお金が有ったら、ビール瓶とか積み上げてそう。何となくだけど、」

 ……あれだけ人を子供扱いしておいて、なんで当たるんだよそこだけ。

 駒引は、取り戻したそれを矯めつすがめつしながら、

「良く分かるよねえ本当に、……凄いなぁ。偽物って分かっている私なのに、全然見分けつかないや。」

 私は、話題を変えようと、

「で、そんな玩具をどうするんですか?」

「ああ。確かに本物じゃないけど、まんざら玩具でもなくてさ。結構高性能な、リモコンみたいなものなんだよこれ。」

「リモコン?」

「そう。」

 駒引は、優雅な仕草で腕の時計に視線をやってから、

「そろそろ頃合い、か。さあ、もう一回だけ気を引き締めて涼っち! 最後のお客さんをこれから迎えるよ。」

 

 先程私は、龍虎会から見て目下らしい相手との会談を、向こう側から準えて『謁見』と称してみたが、どうやら不適当な譬喩だったらしい。今私は、極めて縦長の部屋の奥に重ねられた数段ばかりの階段の上にわざわざ設えられた、金の骨組みと朱の布地からなる豪勢な椅子の上に座っている。脇には澄ました顔の駒引が立っており、また、私の足許から入り口へ伸びている敷物を挟むように、爪先まで隙なく上等そうな正装できめている、龍虎会の兵隊達が立ち並んでいた。小玉のような弱々しさを見せている者はその中に一人も居らず、みな一様に無表情である。しかし、その無表情は無味なものではなく、寧ろ、歴戦の者の余裕と、不測に備える為の最低限の緊張とが打ち消しあって作られた、厳かな能面だった。そこへ、絵面のバランスでも取りたいのか、先程の雫、そしてその対称の位置にもう一人女性の使用人も交じっているのが見える。

 長々と述べたが、つまり私はまるで玉座に座る女王の有り様となっていたのだが、しかるに、私に「これこそが、本当に〝謁見〟だったな。」思わせた原因はそれだけではなかった。私のまっすぐ見下ろす先にはが跪いて、というか寧ろ、土下座の体勢となっていたのである。姿勢の無理と怖れで顫えているその体躯が、距離も相俟って実際よりも小さく見え、王者らしい衣を纏っている私との対照は、きっと脇の駒引からするといとも満足なものだっただろう。

 駒引に渡された、見た目それらしく書類の収まった紙挟みバインダーを一応もう一度眺めてみたが、何度確認しても『これ読む振りしながらテキトーに厳粛にしといて。よろしく、鈴っち!』としか書かれていない。と言うか、私の名前の漢字違うんだけど。

 頃合いを見て上体を駒引の方へ伸ばすと、彼女は腰を曲げて耳を寄せて来、私が何も言ってないのにもかかわらず、うんうんと頷いて見せるのだった。その演技があまりに洗煉されすぎていて恐ろしいが、仮にここで、突然私が巫山戯て寿限無でも唱え始めたらどうするんだろうな、この女。

 すくっと背筋を伸ばした駒引は、どうせ頭を垂れている相手からは見えないだろうに、それでも顎を少し引き上げて、傲然とした態度をわざわざ作ってから、

「我らのマザーの申されるに、貴様の咎、許さんでもない。」

 その、地に頭を擦っていた女性は、おずおずと顔を上げて目線をこっちに寄越して来た、らしい。例のヴェールのせいでよく見えないし、正直、気の毒で見たいとも思わなかった。

「無論、貴様の愚かしい試みが、我らの同志を辱め、また我らの基盤を些少とはいえ毀損したのであるから、相応の報いを受けてはもらうがな。」

 目の前の女、龍虎会相手に何かしたのだから恐らくは魔術師なのだろうが、とにかく彼女は私の方へ、絞り出すような声で、やっと、

「報い、とは、」

 当然ここで、私はまた駒引へをせねばならなかったのだが、その為に彼女の方へ視線をやった時に、ヴェールがずれて一瞬視線がクリアになったのが私にとってちょっとした不幸となった。駒引は、紛うことなく笑顔であったのだが、そこに泛かんでいたのは、先程私相手に道化て拳銃を投げ寄越した時のような飄然ではなく、自らが追い詰めた息も絶え絶えな獲物を前にした密猟者の、言い知れぬ法悦だったのである。

 とにかく、私の近くで耳を詐欺的にそばだててから再び離れた駒引は、一拍置いてから、

「我らのマザーの申されるに、我らは、虚礼は好かぬ。阿諛も泣言も、また無用だ。貴様の贖いとして受け入れうるは、貴様が、貴様の商売を我々に丸ごと捧げてしまうという遣り方だけだ。」

 目下の女は、たじろいで、

「ええっと、雨女様、そう言いますと、」

 駒引は、路傍の屑でも示すかのように、傲岸な人差し指をその魔術師へ向け、

「貴様が我らの内で行っていた商売、つまり、銃を含めた魔器一般、および薬品の密輸密売行為、それを、客ごとすっかり我らへ受け渡してもらおう。」

 私は、ついここで眉間を絞ってしまい、ヴェールに顔が隠されていることに感謝した。

 気の毒な魔女はおののいて、すっかり上体を起こしながら、

「し、しかし雨女様、私のシノギは、私の魔術が有ってこそで、」

 これに対し駒引が何も言い返さないので、私ははっとなって耳打ちの振りをまた演じた。苛立ちで、うっかりボンヤリしてしまったのだ。しかし思い返すと、私のこの間抜けによって取られた間は、まるで雨女が思慮深く検討していたかのような効果を齎して好もしかったかもしれない。

「我らのマザーの申されるに、まずは、貴様の商売と魔術の詳細についてもう少し聞かせてもらおう。貴様の言ったようなこともなく、つまり殆ど魔術が要らぬ、或いは別段特異性のない魔術に依っていたならば、遺憾なく我々が貴様のを引き継ごうではないか。その後、貴様は適当な国に飛ばさせてもらう。幾つか候補をやるから、好きに選べ。そして、もしも貴様の言葉が正しく、貴様が居なければ手を焼いてしまうようであるならば、我々の傘下に加わってもらおう。」

 駒引は、また、しかし今度は判決を下すような調子で、その魔女を指差して、

「傘下に加わると言っても、遠慮しなくてよいぞ、女。囚人へ餌を仕出す業者は幾らでも宛が有るし、この邸の牢もまだ幾つか空いている。」

 固まる哀れな魔女を置いて、駒引は悠然と、そしてあからさまに周囲を見渡し、当然ながら誰も特に言葉を発さないのを認めてから満足げに頷いた。そして、矢庭に先程の銃型リモコンを取り出し、出鱈目な構えで照準を定めてみせる。脇も締めず片手で銃を握る気怠げな姿勢は私から見れば噴飯物なのだが、哀れな魔女の方は、その手の見識が無いのか或いは余裕が無いのか、大真面目に慌ててしまった。駒引が引鉄――を模した部品――を引くと、向かいの方の壁が我々の耳をつんざきつつ大きく爆ぜる。後から聞くに、リモコン機能によって、壁へ予め埋め込んでいた炸裂機構が起動されたらしい。つまり、気の毒な客人の肝を潰す為の小芝居だったと言う訳だ。

「余計な真似を考えず、大人しく従ってくれるのが賢明であろうぞ。」

 ここまで駒引は述べると、その、傲岸な神官のような態度を漸く解いて、その女の方へ降りつつ、

「では、この後は私達がお相手させていただきます。マザーに、その様な細かいお話へ付き合わせる訳には参りませんから。」

 それから駒引はこっちへ一度振り返り、ウィンクを私へ一発くれてから、何人かの部下と一緒にその女を何処かへ連れ去って行った。ああ、あの女性が今後、日の目――文字通り、陽光と言う意味だが――を見ることは有るのだろうか。

 この部屋にも、大きな窓が設えられていた。そこから漏れ入ってくるしたたかな雨音は、屋内にいる限りはそれほど私の身を苛んでくることもなく、寧ろ慣れてくるとその整然さが耳に快い。こんな爽やかな力が、先程のような残忍で狂暴な遣り取りの基盤となっているというのは、実に秀でた皮肉であるように私には思われた。

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