30

 あの後すぐ汐路に捕まって、例の野鄙な島のデスクの一つに着かされた。コンピューターがと置いてあり、電源も既に入っていて私を待ち構えている。

 腰を屈めた汐路が、私の横に顔を並べるようにしつつ、

「センセ、普段使っているOSと同じかな。」

「おーえす?」

「ああ、御免。えっと、うん、じゃあ壁紙は同じ?」

「はい。こういう長閑な風景でしたね、ウチに有るのも。」

「じゃあ、良しっと。ではセンセ、普段アクセスしている適当なウェブページを開いてみて。」

 マウスをり、ちょっと苦労していつものアイコンを探してダブルクリックし、開かれたウィンドウのアドレスバーに、適当に思いついた糸水都立の図書館のアドレスを打ち込んだ。www.library.city.itomizu.com、

 開かれたページを見て、汐路が、

「うわ、センセってお上品。」

「何処のウェブページでも良いんでしょうに。」

「まあそうなんだけど、……で、ちょっと貸して先生。」

 汐路はそうやって私からキーボードを奪うと、何やら巧みに操作し、明らかに私のような素人が触るべきでない、真っ暗なウィンドウを何処かから引っ張り出してきた。そこにがちゃがちゃと文字を打ち込んでエンターキーを押すと、何やらだらだらと白い文字が出力されてくる。

「ええと、これ。」

 どれだよ。

「ここの、ピリオド区切りの数字。これ、さっきのアドレスの代わりに入れてみて。」

「ええっと?」

 真っ黒なウィンドウを何とか追うと、「Name: www.library.city.itomizu.com」の直後の行に

「Address: 241.171.222.57」と有ったので、言われるがまま、アドレスバーにその数字を打ち込み始める。

「なんか、名前欄に電話番号書き込んでいるみたいで気持ち悪いんですけど、」

「いいから、エンターキー押してみて。」

「ええっと、はい。」

 しぶしぶ従うと、あんな暗号めいた数字を打ち込んだのにも拘らず、見慣れた図書館のウェブページが再び尋常に表示されてきた。

「分かる? センセ、」

「何がです?」

「つまり、貴女や私、ようは人間が、『www何とかかんとか』と普段打ち込んでいるアドレスなのだけど、あれは私達に分かりやすいように誤魔化しているだけで、本当はこれ、この数字が、実際のウェブサーヴァーの居場所を表しているんだ。」

「この、十一桁ばかりの数字で?」

「正確には最大十二桁だけど、四十三億個表せるから充分でしょ。」

「あれ? 十二桁だと、一応一兆通りじゃないんですか?」

「ええっと、色々事情が有って四十三億しかないんだけど、とにかくそれだけ有れば世界中の端末を扱いきれるんじゃないかなぁってことになってるね。少なくとも暫くは。

 で、とにかくセンセに知っておいて欲しいのは、本当のサーヴァーのアドレス、番地ってのは、アルファベットじゃなくてこういう武骨な数字になっていて、そして数字が近いからって近所とは限りません、と。」

「ふぅん。」

 私は、いつの間にか腰を伸ばしていた汐路の方を苦労して見上げて、

「で、何でこんな話してるんでしたっけ?」

「え? そりゃ、センセにやってもらうことに必要だから。」

「私のすること? ええっと、汐路さんの魔術を複写して、防火壁引っぺがすだけですよね?」

「そりゃそうなんだけど、じゃあ、その防火壁までどうやって辿り着こうかって話が有るじゃない?」

「え? ……あ、そっか。車輌泥棒みたいに目標へ右手を当てる訳に行かないんですね、サーヴァーはウェブの向こうに有るのだから。」

「その通り。だから私やセンセは、こんなキーボードとディスプレイを使ってマシン任せにするんじゃなくて、私達自身の魔力で、ウェブに飛び込む必要が有る。ウェブに意識を没入させて、己が意志と力で、私達は目標へ忍び込まないといけない。」

 私は、見上げたままの首をどうにか傾げながら、

「なんか、それって難しいんじゃないですか?」

「バイク発進させられている先生なら、何日か訓練すれば大丈夫でしょ、多分。さて、と言う訳で早速練習課題。」

 汐路は、ちびた紙片を私へ寄越しつつ、島の隅の古ぼけたコンピューターを指差し、

「そこに、へぼいウェブサーヴァーを立ててあるんだ。アドレスはこれ。センセの魔力で到達してみて。」

 きょとんとする私を置いて、汐路は鼻歌交じりで何処かに行ってしまった。え、何? そういう感じ? 放任と言うか、崖から落として這い上がってくればラッキー、みたいな、

 仕方ないので、なんとか試みてみる。ええっと、歩いてあのウェブサーヴァーに触りに行くのが一番簡単だろうけど、汐路にひっぱたかれるだろうからやめておくか。多分、この席から動かないまま、魔力だけで到達してみろと言う意味だろう。

 どうやって、やればいいのかな。まず、コンピューターから辿ってみるか。デカい方は実はコンピューターそのものではなく只のディスプレイらしいということまでは聞いたことが有るので、薄っぺらい本体の方へ右手を宛てがってみる。そこへ、私の意識を移して行くが、

「が、」

 突然襲ってきたあまりの衝撃に叫び声を上げ、椅子から転げ落ちそうになってしまった。周囲から注目を浴びる私の元に汐路が飛んできたが、その様子は心配げでは無く、単純に愉しそうで、

「あー、……センセ、やられた?」

 私は、椅子の上で打ち拉がれながら、

「なんか、眩しい、……でいいんですかね? とにかく、没入しようとした瞬間、魔力の奔流を目の当たりにさせられてぶっ倒れそうになったんですけど、」

「ええっと、慣れてもらうしかなくて、魔力系の感度を下げると言うか、絞る感じ。まぁ、焦らず何度かやってみて。」

「全然違うじゃないですか、バイクに乗るのと、」

「そりゃそうでしょ、情報機器なんだから、内部で遣り取りされる魔力の複雑さはモービルなんかの比でないって。」

 私は、何とか身を起こしながら、

「一言、注意してくれても良いでしょうにねえ、」

 そう言いつつ、改めて右手を伸ばした。再び、幻視の中を支配する悍ましい程の眩さを目の当たりにして撥ね退かれそうになるが、顔を顰めながら必死に耐えつつ、汐路の言う、『絞る』というのを実践しようとしてみる。深呼吸をし、まるで、編み物をしている最中に腕を伸ばしてみるような感じで、魔力をる感覚を私の身から遠ざけるように努力すると、暴力的な奔流の眩しさが少しずつ和らいで来、無数の暈が折り重なるようにしていた様子を緩めることで多少の明晰さを表したそれは、夥しい魔力の筋が竜巻のように渦巻いているものであったと漸く私に認識された。複写の度に、自身の身が焼かれて蒸発するような経験を経ている私にも、あの渦の中に飛びこんでばらばらにされるのはどうにも恐ろしいことだと何故か感ぜられる。という訳であそこには行きたくないし、そもそも用事もそこには恐らく無いと気が付いたので、周囲を見渡すと、その眩い竜巻が足許から尾を伸ばすようにして、一筋、か細い魔力が何処かへ伸びて行く様子に私は気が付かされた。その存在は連続的でなく、消失したり、此方から伸びて行ったり、逆に何処からか辿り着いてきたりといとも動的である。いずれにせよそのか細さに、情報魔道器の魔力の遣り取りとはこれほど頼りなく行われているのかと驚かされたが、私が「絞って」いるせいで力なく見えているのだとすぐに気が付き、少し、普段通りに緩めた。その刹那、後方の竜巻からの威圧感で背が焼けそうになるが、そちらを振り向かないように気をつけながら、多少は頼りがいの有るようになった魔力の道を、つまり恐らくはこのコンピューターと外部との通信を、慎重に遡って行く。階段を下りるかのような感覚の後に辿り着いた先は、まるで暗闇の廻廊のようで、時々迸って行く魔力が照らしていく瞬間だけ、その壁や天井と言った構造が仄見えるような有り様だった。この頻りな明暗は好もしい神秘を空間に加えており、一握りの者しか訪れることの無い筈のこんな光景の見せ方をわざわざ計った何者かが居たと、私に錯覚させてくる。ぼんやり見惚れていると、私の後方から何処かへ駈け抜けようとした信号が、目の前の角を曲がって来た別の信号と、なんら躊躇なく衝突して弾けた。それによる魔力の小爆発と暴走によって、また私は打ちのめされそうになったが、嫌な予感がして事前にまた少し「絞って」いたので何とか堪えて踏み留まる。そうやって生きた心地のしないまま、つまり美しさや恐ろしさに苛まれながらも、なんとか観察を続けていると、存在はすれど魔力がそこへ全く曲がって行かない通路が伸びていることに気が付いた。急遽汐路が用意したウェブサーヴァーであればきっと訪ね人も少なかろうと当たりをつけ、そっちへ踏み込んで行く。防火壁は一応有ったが、如何にも頼りない。通過してみようと近付くと、案の定それはホログラムのように無抵抗に私を通してくれたのだが、接触の直前、数字が私の脳裡に自然と泛かんだ。「192.168.4.7」。何処かで見たような気がすると思ったが、そうだ、汐路が寄越して来た紙切れにあったアドレス値である。すると、ここが。

 踏み込んだ先では、また眩い竜巻が轟々と鎮座していて、少しずつ絞りながら私はそこへ近付いて行った。相変わらず魔力の奔流自体へは触れる気になれないが、しかし、ええっと、なんだこれ? その隅に、ポツンと、奇妙な獣を象ったような巨大な像が立っていたのである。極端に戯画化されており、脚は三本にしか見えないし顔は渋面と言うか図形的と言うかとにかくおかしいし、猫なのかもしれないが、正直まるでかわいげを感じられない。その不細工さに逆に魅かれた私が、ついそれへ触れてみると、その刹那、ブザーに耳が劈かれた。現実からの、物理的な音色だ。

 溜まらず手を放して魔力を絶ち、現実の方へ意識と視野を戻すと、びいびいと耳障りな音が、先程汐路の指し示したコンピューターから聞こえてきていた。周囲も浮ついている中で、「あらあら、」と汐路がそこへ駈け寄って行く。流石に心得ていたようで、音はすぐに止んだ。

 小道世が、

「なんだよサチコ、いきなり五月蝿えな。」

「ああいや、センセがここに到達出来たら音鳴るようにしてたんだけど、……いや、こんな早く鳴ると思ってなかったからあまり準備してなかった。」

 これを聞いた安辺が、向かいの方の席に座ったまま、首を伸ばしてこちらを覗いて来つつ、

「うん? 良く分かんないけど、ボスの課題とやらをもうクリアしたってこと? やるじゃん、先生。」

「ええっと?」

 そう、困る私へ、汐路は、

「あー、うん。正直そんなに筋が良いと思ってなかった。もっと迷ってくれると思ってたのに。」

 彼女はそう言いながら歩み寄って来ると、また私からキーボードを奪って何か打ち込み、例の黒い画面に新たなアドレス値を出現させた。

「ええっと、じゃあ次はこれ。折角だから都立図書館にでもしましょうかと思ったけど、あんまり遠いと厳しいからそこの県庁のサーヴァー。今度は、辿り着けたら自己申告で教えてね。ああ、あと、ウチのルーターのアドレスはこれ。」

 それだけ言うと、また汐路が去って行く。なんだ、やっぱりそういう放任な感じか?

 まあちょっと遠いだけで同じ様な話だろうし、さっさとまたチャレンジするかと、私は再び目の前のコンピューターから情報網へ没入した。すぐに例の廊下まで到達し、それから、外の世界を目指していく。そう、さっきは目の前の、つまり部屋内ネットワーク上のマシンへ旅立ったに過ぎなかったが、今回は遥か県庁へ向かわねばならないので、まずウェブへ飛び出さねばならぬ筈なのだ。ええっと、確か汐路はルーターがどうのこうのと言っていたよな。そこから飛び立てるのだろうか。しかし、そのルーターとやらは何処だ?

 廻廊を彷徨さまよっていると、穏やかでない一角に当たった。遥かな遠方から飛んで来たという風情で、つまり、石弩による砲丸のような綺麗な放物線と勢いで、輝く通信が頻りに降り注いできているのだ。そして此方からの通信は、逆に離陸機のような加速をつけられて何処かへ向かって飛翔して行く。滑走路のような有り様に満足した私は、ここが、ウェブへ飛び立つ橋頭堡とされるべき場所、つまりルーターであると確信したのだが、はて、何処に向かって飛び立てばいいのだろうか。ここから世界の何処にでも飛べてしまうとなると、然るべき方向を選ばなければならないだろうが、うーん、

 そう悩みながら激しい通信の授受を眺めていた私は、ふと気が付いた。此方から飛んで行く通信は、いずれも、同じ方向同じ勢いで飛んで行ってないか? 思い立ってから注視したが、間違いない、やはり、どれも同じ様に飛んで行く。ならば、倣うしかないか。

 肚を決め、ある通信が発って行くのを追いかけるように、私の意識も飛び込んで行く。複写術の時のように、宇宙空間の如く光の斑を帯びた拓けた闇の中を翔けて行く快さを感じるのだが、これまでに経験してきたそれよりも、二回りか三回り更に爽快なものであった。人体と言う狭い世界での飛翔ではなく、遥かな物理的距離を私は今旅しているからだろうか。暫く後に、私が頼りとして追いかけている魔力が高度を落とし始め、目標地点が見えてくる。倣い、私も着弾あるいは着地した。そこの眩さに顔を顰め、現実に戻ってしまわぬよう気をつけながら、叮嚀に感覚を絞る。すると、見えてきたのは、驟雨の如く、即ち間隙も間隔も殆ど無く、天上から夥しき通信が降り注いできている光景だった。一つ、尋常な雨と違う所は、降り注いで来たそれらは地面に広がることなく、接地した次の瞬間には撥ねたち、また何処か別の場所へ向けて飛翔して行くのである。それぞれが、我は過客でありこの場所は中継地に過ぎぬと、理解しているかのように。そして私を打ちのめしたのは、今度こそ、それらの通信の飛翔先は一方向でなく、少なくとも八方へ分かれているようであったことだ。光の豪雨の中で、私はそれらの行く末を見定めようとするが、勿論、航空機の離陸を見つめて目的地を占うような無茶な試みで、何も分からず、私は先も知れぬままにその中の一つの経路を選ばざるを得ないようであった。仕方なしに、ええいままよと、その内の右から二番目を適当に選び、飛翔する。心地よくも、しかし不安で胸がいっぱいな時を暫し過ごした後、私は再び着陸した訳だが、もしも私が肉体と共にこの道程を進んでいたなら、きっと膝の崩れたまま立ち上がれなくなっただろう。だって、先程と同じ様な魔力の雨霰な光景が再びそこに広がっているだけならばまだしも、そこから今度は、二十近い方向への径路が延びていたのだから。無闇で無謀な飛翔をあと何度、或いは何年続ければ、私は目的地へ辿り着けるのだ?

 私の現実な肉体は、「あはは、」と苦笑いしてしまった。

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