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 結局その話を請け負った私は、当日、銀大と一緒にレンタルカーで向かうことになったのだが、どうも妙な申し出が向こうから有った。FFこと、魔女コンビ〝Fresh Flesh〟の片割れが、「糸水から車で向かうのならば、私もついでに乗せてくれ。」と言うのだ。まぁ断る積極的な理由も無いので承諾し、今から彼女を拾いにいく所なのである。

 約束の場所、中程度の大きさの病院前へ辿り着きつつあったので、助手席の私は彼女へ聯絡を入れようと伝話器を取り出してみたのだが、門の所まで車で近付くと、わざわざそうするまでもなく、いかにもそれらしい人影が既に佇立していた。

 かすかに色を抜いたのみにしている黒茶の直ぐな髪を肩の辺りまで伸ばしながらも、しかし良く見ると紫と言う攻撃的なインナーカラーを入れているその女性は、海老色のTシャツに黒っぽいデニムという素朴極まりない装いをしているのに、しかしどことなく漂う気品が絵になっていて、その迫力により、考え抜いた末に敢えてそのような恰好が選ばれたことを明瞭に説いてくる。彼女は明らかに、近くを通る車の様子を知ろうとしていて、これが今回の落ち合い人と私に想像させた材料であったが、しかしその遣り方すらも優雅だった。つまり、身を乗り出して目を矯めて、などという不様は全く演じずに、そんな真似をするくらいなら見逃して構わないとでも言いたげな気位きぐらいを滲ませつつ、腕を組んで直立したまま、目と首の僅かな動きだけで行き交う車輌の群れを凛と窺っているのである。

 

 車を寄せ、簡単な挨拶を終えた私達は彼女を拾ってそのまま出立しようとしたのだが、この気高そうな魔女は肯んじなかった。具体的には、私への、助手席から後ろの座席に回ってきて話し相手になれという要求で、私は、ちょっと考えてから素直に従うことにしたのである。

 発進してから、つまりちゃんと密室になってから、彼女、印具いんぐ奈津美なつみは口を開いた。私よりも僅かに上くらいの齢に見え、今まで出逢った魔女の中では一等若い。

「さて、すず先生。この度は、本当にどうも有り難う。」

 赤く太い、乗算記号の十字が耳朶に張り付いたような、という、これまた果敢なピアスを良く見るとしている印具の声は、存外に優しげだった。

「ええっと、今回は宜しくお願いします印具さん。で、確か、貴女の方の魔術を複写すれば良いんですよね? 慈恩じおんさんの方ではなく、」

「ええ、そう。針梨栖はりすねえの魔術は、別に増やしてもしょうがないからね。

 それで、私の魔術を複写する上で、免責事項というか、覚悟はしてきてくれた?」

「えっと、ちょっとお腹を下すかもしれないけど、ってやつですか?」

「そう。」

「死にはしないのなら、それくらい我慢しますけど、」

 でも、何だってお腹なんか壊すことになるんですか、と訊こうと思ったのだが、急な左折の勢いに脅かされた私は、かしぐ身を支えるのに必死になって問い損ねてしまった。

 二人で漸く居直った頃に、頰を搔く印具は、その優しい声のままで、

「ところで涼先生。先生って、なんだって魔女なんかになったの?」

 ぎょっとした。駒引さんや汐路さんから、あれ程真剣に投げ掛けられたのと同じ問いが、まるで、贔屓の球団でも訊かれるかのような馴れ馴れしさで突如放りこまれたのである。

 私が、目をぱちくりしていると、

「ああ、いや――私が言えることじゃないかもしれないけど――、まだ若いし、それに荒んでいるようでもないのに、なんだって魔女稼業何かに手を出したのかなぁ、と。そう思っただけだから、別に答えにくかったら、」

 つまり、話題を作りたかっただけか。

 ならば、と、私は会話の尋常な技巧に倣った。つまり、鸚鵡返しだ。

「そう言う印具さんは、どうして魔女の身に?」

「あ、ええっと、……何か恥ずかしいんだけど、言ってしまえばやっぱり、命を救う為だよね。」

「命、ですか。」

 面映おもはゆさを誤魔化そうとしたらしい印具が、顔を逸らしつつ、珠簾を搔くような仕草で自身の艶やかな髪を流すと、その秘された紫が孔雀の尾羽のように展開され、丁度射って来た西日を遮りつつ輝いた。

「そう、命。いや、確かに分かるんだけど、つまり、針梨栖姐の魔術に頼らなきゃいけない様な医術を合法化しちゃったら、そりゃ公平性とか倫理問題とか噴出するのは分かってるし、あと宗教家も目茶苦茶五月蝿くなるに決まってる。だから、お上として到底認められないって事情は分かるんだ。

 でも、そうやって理窟の理解は出来ても、心での納得は出来ない。救える命が有るのに、助けられる命がそこに有るのに、おめおめ指を咥えて出棺を見送れだなんて、うん、私は絶対に出来ないんだ。」

 そう言うと、一旦静かになった。

 先ほどこの印具に出会った時に得た印象は、これまでの魔女達とあまり変わらなそうだなぁ、という大雑把なものだった。つまり、この魔女も、法に護られず身を立てんと言う意志を支えられるだけの気の強さと気高さが有り、またやはり、誰かしら他の魔女と共闘しているのだと。しかし、その先は違うようだった。駒引さんも汐路さんも、魔女に身を窶した経緯は只管ひたすらに暗く、また魔女として生きる中にも、何か、已むを得ない、影を落とすようなものが有ったのに、それに対してこの印具は、完全に陽の理由付け、つまり他者を救うこと、そして自身の信念を貫くことだけを目指して、魔女になったのだと言う。この、無私と自我エゴが精密に同居した動機は、寧ろ太陽のように照り輝くものであり、革命家のような明るい苛烈さで彼女は罪を犯しているのだった。事実、当局に垂れ込まれぬと言う保証が有ったこの車内において、彼女はいとも尋常にその理由を吐露してきた。気恥ずかしそうではあったが、駒引さんや汐路さんが、或いは私が語るのに比べれば、如何程気楽であっただろう。

 

 その後、持ち直したらしい印具にどうでもいい話をされたり、また銀大が揶揄からかわれたり――彼女は居るのか、だのなんだの――しながら、私達は目的地に辿り着いた。やってきたのは、隣県の、人里離れた小さい山奥の洋式――つまり土葬の――墓所で、日の暮れかけた中で白い墓碑達がしぶとく影を伸ばしている。

 一人勝手を知る印具が先立つのに従って行くと、森閑としたこの墓所で初めての――そして結局唯一であった――人影を見かけた。年月に負けて灰色となった、しかし豊かでウェーブの掛かった髪を腰元まで伸ばしている彼女こそが、FFのもう一人の魔女、慈恩じおん針梨栖はりすである。虎川――と呼ばれていたあの女性――を初めて見た時、私は人ならざる迫力を見出したものだったが、この慈恩からもその様なものを感じさせられた。しかし、その印象の根拠は完全に異なっており、つまり、峻険な美を纏いつつ、定命を持たぬ存在のように見えた素顔の虎川に対して、この老いた魔女は、体躯が立派で足腰もまだ達者らしいことを除けば、幼かった頃の私が『魔女』と聞いたら思い浮かべたであろう、あの姿そのものなのである。即ち、黒っぽい服と、鉤の鼻と、おびただしい皺で完膚の無くなった厳かな顔だ。ヴェールを纏っていた時の虎川も別種の、老いを知らぬタイプの『魔女』のようではあったが、彼女の場合は完全に空疎で見せ掛けだけの存在であった、つまり単に示威という実用性を狙い定めた挙句の意図的な恰好に過ぎなかったのに対し、今目の前に居る慈恩の容姿は、特に衒う理由を伴わぬ筈で、即ち、純粋にその生き様の果体なのである。

 老魔女は、私と弟をじろじろ見定めてから、しかし結局無視するように自身の相棒へ、

「誰も、居なかっただろうね?」

「ええ、勿論。」

 慈恩は、厳めしい顔つきのまま頷くと、先へ歩き始めた。

「さぁ、折角来たのなら力仕事も手伝っておくれよ若いの達。何せ、墓を暴くのは重労働なんだからね。」

 その言葉のり方も、また一々のイントネーションも、私の中の「童話の魔女」という印象を裏切らなかった。

 

 この後有った事は、あまり顧みたくない。とにかく、比較的な遺体から、慈恩は必要な臓器を切り抜いたのである。

 狙い定めていたと言う死者の棺を掘り起こし、蓋を開けると、印具に配られたマスクを貫く腐臭に私や銀大が顔を顰めるのをさておいて、老魔女は巨大なメスで死体の服を裂き、そして、皮膚を裂いた。「あんま見ない方が良いと思うけど、」という印具の言葉に、銀大は素直に従って顔を背けたが、私はそのままの直視を続けたのである。この邪悪な外科医と看護師は、屍臭を物ともせずにと言うよりも、寧ろ死と親しんで死に励まされて、作業を進めるかのようであった。髪を纏めてキャップに仕舞い込み、臥した死体へ遠巻きに右手を翳し続けている印具は、彼女の魔術〝絶対衛生天使〟を行使し続け、術者や死体や場や器具の一切を清潔に保ち続けている。そして、同様に髪を隠してしまっている慈恩は、延々と腐りきった肉やはらわたを切り裂き続けているのだが、とうとう、肘までの護謨ごむ手袋に覆われた手を腹の中の汚泥へ突っ込むと、何かぐずぐずと豆腐のように崩れかけた黒褐色のものを取り出してきた。ここでついに、慈恩の魔術が行使される。彼女の〝調達者オーガナイザー〟の魔力が浴びせられると、その腐敗物はみるみる内に色を取り戻し、巨大な小豆のような照り輝きを見せる、見事な肝臓として再生した。心得た印具は、抱え持つ程度の大きさの冷蔵容器を既に構えており、甦ったばかりの肝がそこへ放りこまれる。

「後は?」

「心臓と、食道と、総胆管と、右肺と、上膊の神経一束。」

「多いね、また、」

「わざわざ人を傭ったということは、そう言う事でしょ。」

「まぁ、ね。」

 そうやってそれぞれマスクで掩った口を多弁に動かしながらも、印具は左手だけで手際よく次の容器を用意し、慈恩も更なる組織を切り出しては甦らせているのだった。こんなことを生業としているからには、この二人もきっとエイシストなのだろうが、しかし、この死者の肉を生者の為に切り分ける儀式の荘厳さは、直截に人を救う力を持つと言う一点によって、殆ど全ての宗教的儀式のそれを上回ってしまうだろうと私には信ぜられたのである。我が弟が目を背けつつ臭気を吸わぬよう努めているように、俗人には直視も能わぬ威容と、息もつかせぬ程凄まじい、かんさびた空気。

 ……私? 私は俗人ではない、魔女だ。

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