41
結局その話を請け負った私は、当日、銀大と一緒にレンタルカーで向かうことになったのだが、どうも妙な申し出が向こうから有った。FFこと、魔女コンビ〝Fresh Flesh〟の片割れが、「糸水から車で向かうのならば、私もついでに乗せてくれ。」と言うのだ。まぁ断る積極的な理由も無いので承諾し、今から彼女を拾いにいく所なのである。
約束の場所、中程度の大きさの病院前へ辿り着きつつあったので、助手席の私は彼女へ聯絡を入れようと伝話器を取り出してみたのだが、門の所まで車で近付くと、わざわざそうするまでもなく、いかにもそれらしい人影が既に佇立していた。
車を寄せ、簡単な挨拶を終えた私達は彼女を拾ってそのまま出立しようとしたのだが、この気高そうな魔女は肯んじなかった。具体的には、私への、助手席から後ろの座席に回ってきて話し相手になれという要求で、私は、ちょっと考えてから素直に従うことにしたのである。
発進してから、つまりちゃんと密室になってから、彼女、
「さて、
赤く太い、乗算記号の十字が耳朶に張り付いたような、という、これまた果敢なピアスを良く見るとしている印具の声は、存外に優しげだった。
「ええっと、今回は宜しくお願いします印具さん。で、確か、貴女の方の魔術を複写すれば良いんですよね?
「ええ、そう。
それで、私の魔術を複写する上で、免責事項というか、覚悟はしてきてくれた?」
「えっと、ちょっとお腹を下すかもしれないけど、ってやつですか?」
「そう。」
「死にはしないのなら、それくらい我慢しますけど、」
でも、何だってお腹なんか壊すことになるんですか、と訊こうと思ったのだが、急な左折の勢いに脅かされた私は、
二人で漸く居直った頃に、頰を搔く印具は、その優しい声のままで、
「ところで涼先生。先生って、なんだって魔女なんかになったの?」
ぎょっとした。駒引さんや汐路さんから、あれ程真剣に投げ掛けられたのと同じ問いが、まるで、贔屓の球団でも訊かれるかのような馴れ馴れしさで突如放りこまれたのである。
私が、目をぱちくりしていると、
「ああ、いや――私が言えることじゃないかもしれないけど――、まだ若いし、それに荒んでいるようでもないのに、なんだって魔女稼業何かに手を出したのかなぁ、と。そう思っただけだから、別に答えにくかったら、」
つまり、話題を作りたかっただけか。
ならば、と、私は会話の尋常な技巧に倣った。つまり、鸚鵡返しだ。
「そう言う印具さんは、どうして魔女の身に?」
「あ、ええっと、……何か恥ずかしいんだけど、言ってしまえばやっぱり、命を救う為だよね。」
「命、ですか。」
「そう、命。いや、確かに分かるんだけど、つまり、針梨栖姐の魔術に頼らなきゃいけない様な医術を合法化しちゃったら、そりゃ公平性とか倫理問題とか噴出するのは分かってるし、あと宗教家も目茶苦茶五月蝿くなるに決まってる。だから、お上として到底認められないって事情は分かるんだ。
でも、そうやって理窟の理解は出来ても、心での納得は出来ない。救える命が有るのに、助けられる命がそこに有るのに、おめおめ指を咥えて出棺を見送れだなんて、うん、私は絶対に出来ないんだ。」
そう言うと、一旦静かになった。
先ほどこの印具に出会った時に得た印象は、これまでの魔女達とあまり変わらなそうだなぁ、という大雑把なものだった。つまり、この魔女も、法に護られず身を立てんと言う意志を支えられるだけの気の強さと気高さが有り、またやはり、誰かしら他の魔女と共闘しているのだと。しかし、その先は違うようだった。駒引さんも汐路さんも、魔女に身を窶した経緯は
その後、持ち直したらしい印具にどうでもいい話をされたり、また銀大が
一人勝手を知る印具が先立つのに従って行くと、森閑としたこの墓所で初めての――そして結局唯一であった――人影を見かけた。年月に負けて灰色となった、しかし豊かでウェーブの掛かった髪を腰元まで伸ばしている彼女こそが、FFのもう一人の魔女、
老魔女は、私と弟をじろじろ見定めてから、しかし結局無視するように自身の相棒へ、
「誰も、居なかっただろうね?」
「ええ、勿論。」
慈恩は、厳めしい顔つきのまま頷くと、先へ歩き始めた。
「さぁ、折角来たのなら力仕事も手伝っておくれよ若いの達。何せ、墓を暴くのは重労働なんだからね。」
その言葉の
この後有った事は、あまり顧みたくない。とにかく、比較的新鮮な遺体から、慈恩は必要な臓器を切り抜いたのである。
狙い定めていたと言う死者の棺を掘り起こし、蓋を開けると、印具に配られたマスクを貫く腐臭に私や銀大が顔を顰めるのをさておいて、老魔女は巨大なメスで死体の服を裂き、そして、皮膚を裂いた。「あんま見ない方が良いと思うけど、」という印具の言葉に、銀大は素直に従って顔を背けたが、私はそのままの直視を続けたのである。この邪悪な外科医と看護師は、屍臭を物ともせずにと言うよりも、寧ろ死と親しんで死に励まされて、作業を進めるかのようであった。髪を纏めてキャップに仕舞い込み、臥した死体へ遠巻きに右手を翳し続けている印具は、彼女の魔術〝絶対衛生天使〟を行使し続け、術者や死体や場や器具の一切を清潔に保ち続けている。そして、同様に髪を隠してしまっている慈恩は、延々と腐りきった肉や
「後は?」
「心臓と、食道と、総胆管と、右肺と、上膊の神経一束。」
「多いね、また、」
「わざわざ人を傭ったということは、そう言う事でしょ。」
「まぁ、ね。」
そうやってそれぞれマスクで掩った口を多弁に動かしながらも、印具は左手だけで手際よく次の容器を用意し、慈恩も更なる組織を切り出しては甦らせているのだった。こんなことを生業としているからには、この二人もきっとエイシストなのだろうが、しかし、この死者の肉を生者の為に切り分ける儀式の荘厳さは、直截に人を救う力を持つと言う一点によって、殆ど全ての宗教的儀式のそれを上回ってしまうだろうと私には信ぜられたのである。我が弟が目を背けつつ臭気を吸わぬよう努めているように、俗人には直視も能わぬ威容と、息もつかせぬ程凄まじい、
……私? 私は俗人ではない、魔女だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます