第三章 土器魔女の施すは、煙の毒と、欠徳利

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 銀大ぎんたの運転で一緒に糸水へ帰ってくる折りには、どれだけそこに重い空気が流れるだろうかと心配していたのだが、いざそうなってみると彼はせいぜいで「いやぁ、そっちに向かってたら平然と雨が止むんだもん、本当に肝が冷えたよ。」くらいしか言ってこないのである。後はまぁ、心配したとか、まずは無事に終わって良かったとか、そんな話だったのだが、いやちょっとまてお前、

「ええっと、銀大?」

「なんだい姉ちゃん、」

「もしかしてなんだけど、……アンタ、私からそっちに発信してた内容聞いてない?」

「あー、うん、」

 歯切れが悪い彼を、叱るように、

「どっちでも良いからはっきりして。……いや、良かないけど、そう煮え切られないよりはずっとマシだから、拾いそびれたり録りそびれたりしたなら、はっきりそう言って。」

「ええっと、……はい、済みません。二日目の昼から受信出来てないです。」

 溜め息をいてしまった。

「殆ど全部じゃん。」

「いや、御免よ姉ちゃん。なんか受信器の様子がおかしいと気が付きはしたんだけど、でも、俺達の稼業をバラさずに助けを求められる相手ってのが思いつけなくて。だって例えば修理屋呼んだら、直った瞬間に龍虎会の中のやべえ会話が聞こえたりしかねないじゃん? 姉ちゃんはそんな事露知らず、縷々と送信してくるんだし、」

「ええっと、うん。その話を聞く限りなら、悪くない判断だったかな。でかしたよ銀大、口ごもったのは恰好悪かったけど。

 で、うん。別に良いよ。元々保険に過ぎないあれだったし、今回のは聞いてもらえてなくても大丈夫。いつかまたこういうことするなら、その時にはちゃんと検討しないとだけどね。」

「受信器二台買っちゃう? 同時に壊れることは流石にそうそう無いでしょ。」

「悪くないね、お金は一杯貰えたんでしょ?」

「うん、すげえたんまりと。それこそ、贅沢して近所に怪しまれたりしないように気をつけなきゃな、ってくらいには。例えば、こうしてレンタルカー借りるの面倒だから車買っちゃおうか、と思い立って実行出来るくらいには今俺達金持っているけど、でもやっちゃいけないってことだよ。」

「あはは、……贅沢な悩みだ。」

 話が一旦纏まったので、助手席の私は左方へ、つまり車窓の方へ視線をやってしまう。ああ、良かった。本当に良かった。銀大は、一切聞いていないのだ。私と駒引との斬り合い、小玉の命を奪った銃声、そして、駒引の語ってくれた魔女の流儀。その全てを、彼は聞いていない。本当に、良かった。彼の心を傷つけ得る内容も少なからずだったし、また、駒引の語った魔女の覚悟を聞かされれば、彼は絶対に私を止めようとするだろう。というか、逆の立場なら私は絶対に止める。そんな、罪を避けえぬ修羅の道に、実の姉弟を送り込もうだなんて、しかも自分はそれなりの安全域に残ってだなんて、出来たものだろうか。でも、私は、覚悟を決めたつもりだった。正確に言えば、少なくとも暫くはまだ覚悟を折らないつもりなのだ。だから、そうやって銀大から引き止められたりしないと言うことは、私にとってとても好都合だった。それに、実利的かつ真剣な話として、知るだけで銃殺されかねない駒引の正体を、銀大が知ってくれていなくて本当に良かった。こんな危ない爆弾を抱えるのは、私一人で沢山だ。

 駒引の忠告を、無下にするつもりは無い。しかし、私は、小玉の死を無為にしてしまうのがどうしても嫌だった。私のせいで彼女を死に至らしめておいて、それっきりで足を洗いますだなんて、それではまるで彼女の死を馬鹿にしているようではないか。矛盾しているような気もするが、私は、既に犯してしまった悪徳を蔑ろにしない為に、魔女としての道をもう少し歩み続けるつもりだった。

 その後家に戻ってから良く寝た私は、続く日も丸一日休養を取っていた。精神的な疲弊を考えただけでなく、あの邸で――無為に――発信を行い続けたことによる魔術系の涸渇や擦れを取り去ることが必要だと感じた為だ。今後の予定は特に無く、出来れば近い内に鎗田そうださんと会いたいなあ、と思った私が彼女にふと伝話を掛けると、「じゃあ、早速明日お店開きましょうか!」とのことだった。凄い、身軽さだ。ちょっと会ってお話出来ないかくらいに思っていた私は、彼女の、夕方に入ってきた伝話に従って開店を決めてしまう果断さと、それが遂行可能な商売の効率と、そして、そんな事は全く口にしなかった筈なのに、私が一刻も早くまたファウンテンで働きたいと切望していると言うことを見抜いてしまう洞察に、酷く心搏たれたのであった。


 翌日、久々に愛機に乗ってパタパタと、鎗田さんに指定された兎穴市大公園まで向かった。偶然なのか、それとも図ったのか、最後に彼女と仕事をしたのと同じ場所である。久々に見かける鎗田さんの影は、腰を曲げ、彼女自慢の白くて可愛らしい屋台を組み立てている最中であったが、私の気配に気が付くや否や手を止め、此方に駆け寄って、って、うわ、

 彼女に捕まった私は、人を攫う勢いで屋台の蔭に連れ込まれた。捕らえた私を、石膏像でも据えるかのごとく、両肘を摑んで締め付けるように地面へ戻した彼女は、暗い表情のまま、私の足許、手許を見定めるようにし、それらが失われても傷ついてもいないことを見出して満足したのか、相好を崩して息を一つ吐く。そしてそのまま、私の両頰を抓んで思いきり引っ張った。

 思わず払い退け、

「な、何するんですか鎗田さん、」

 彼女は、両手で顔を押さえる私の素振りを完全に無視して作業に戻りつつ、

「お早う、そして久し振りすずちゃん。元気そうで良かったわ。」

「突然こんな真似されれば、血も上りますよ。」

「あはは、御免御免。で、早く来てくれたのなら手伝ってよ。」

 その後はいつも通り、開店準備と客捌きで忙殺された。ここ十日ほどで失っていた何かを埋め合わせる為に、貪るが如く、私は作業に没頭したのである。

 陽の傾きかけてきた頃、客が途絶えた。この店にしては、ドリンクもアイスも未だ残量豊かである。

「んー、仕込みの時に目論見間違ったかしら。私としたことが、」

「厳しそうですね、これだけ売り切るのは。」

「難しかったのよね今回は、売れる量を見積もるの。暫く休業していたから、お客さんが増えるような気もするし減るような気もするしって感じでさ、」

「で、結局どうしたんです?」

「『押さば押せ、引かば押せ』が私のモットーなのよね。」

「それ、もしかして『攻撃は最大の防禦』みたいな意味で使ってます? とにかく、商売にはあまり通用しなそうですけど、」

「うーん。今後、涼ちゃんが居ない間も私だけで営業しなきゃ駄目かなぁ。客足があまり伸びなさそうな場所とかなら、私一人で丁度いいかも、」

「普段の場所のお客さんの入りを安定させたいなら、意味無いんじゃないですかそれ?」

「あ。……ううん、賢いね貴女。」

「まぁ、実際鎗田さんがまた一人でも営業なされるってのは、とても良いと思うんですけど。だって、私もいつまでお手伝い出来るか、」

「涼。」

 刺すような冷たい声音に、はっとなって鎗田さんの方を見ると、こちらを見向きせぬまま、

「二度と言わないで、そんな縁起でも無いこと。」

 さっきまで軽口を敲いていた筈の彼女は、伝票か何かの紙片を握り潰しつつ、その右手を戦慄かせていた。食み出た紙片の皺の影に、激した情感が刻まれているように見える。

「済みま、せん。」

 別段、私が死ぬかもしれないとかそういう意味では無く、ファウンテン専業でもない加々宮かがみやすずに依存しているようでは経営も危ないでしょうと前から思っていたことを口にしただけだったのだが、彼女が想像以上に過敏な状態であったことに気が付いて驚かされた。思えばさっき久々に会った時も、露骨に私の五体満足を喜びつつも、言葉の上では旅行に行っていた同僚乃至部下を久し振りに迎える程度の文句しか発していなかったが、あれも、彼女なりの、涙ぐましい意地とかおまじないいの類いだったのかもしれない。忌むべき可能性を口にすらしないことで、それを跳ね退けんとすると言う、

 こうして冷たくなってしまった空気がすぐに過ぎ去ってくれることを期待していた私は、

鎗田さんがその後も顔を顰め続けていることでがっくり来てしまった。しかしすぐに、彼女は顔を顰めていると言うよりも、怪訝げに遠くの何かの正体を見定めようとしているのだと私は気が付かされたのである。

「ねえあれ、銀大君じゃないの?」

 ……は?

 果たして愛する我が弟であったその人影は、屋台に来るや否や、

「お久しぶりで、鎗田さん。Mサイズで一番高いの下さいな。」

「はいおひさ、銀大君。そうすると、目茶苦茶にアイスとか生クリームとかチョコとか載るけど大丈夫? そういう趣味が無いなら、鼻血出るかもよ?」

「あー、うん。じゃあ、普通にカラメルフロートで。」

「あいあい、」

 鎗田さんは、自分で拵えながら、

「しかし珍しいわね、君がウチに買いに来てくれるだなんて。」

「ええっと、まぁいつも役得、つまり仕事帰りの姉貴に炭酸ドリンク拵えてもらっちゃってますので、たまにはお金出さないと悪いなって、」

 おい、馬鹿、

 鎗田さんは、露骨に手を止めて私の顔を批難がましげにちょっと見つめてから、鼻で笑って作業に戻りつつ、

「ま、別にいいけどそれくらい。減るものじゃなし。ただ、涼ちゃん、せめて貴方達のお家の中だけにしてよね。」

「……はいっす。」

「で、……はいよ、出来上がり。」

 黒いフロートを受け取った銀大は、お代を出しがてら、

「で、姉ちゃん。、また来たからさ、晩飯後に話そうね。」

 私の返事も待たず、つまりわざわざそれをここで言ってくる無思慮に私が悲鳴を上げる隙も無いままに、彼は足早に去った。

 どこまでも状況を読まずに余計なことを言ってくる愚弟の姿が見えなくなってから、

「あーあ、また私の涼ちゃんが連れ攫われちゃうのか。」

 彼の、『依頼』という言い方には、明らかに、それが普通のものでは無い、つまりまた魔女たる稼業となることを主張する含みが合ったが、彼女はそれに気が付かない振りをしているようだった。

 私もその懸命の茶番に付き合い、ただ、

「貴女のじゃ、ないですって。」

 と呟くのに留めておいたが、鎗田さんが反応を返してくることも無く、この言葉は虚しく風に乗り、ポプラの亭々たる防火林の方へ流れ去って行ったのである。

 

 帰宅後、軽く銀大の延髄へチョップをくれてから夕食を頂き、片づけの後に、また彼との作戦会議と相成った。

「で、いつから?」

「今回のクライアント、別にそこまで時期はこだわってないみたいだね。半年とか先だと困るけど、二ヶ月以内ならまぁ、ってくらいみたい。」

「じゃあ、あんまり急に私が居なくなると鎗田さんが可哀想だから、一週間先とかにしておく?」

「俺としては勿論良いけど、……大丈夫姉ちゃん? 寧ろ、龍虎会の件からあんまり間も空かずでさ、」

「あー、……うん、出来る限り急ぎたいかなって。あんまりぐだぐだしたくないんだ。」

「諒解、じゃあそういうことで。」

 全てを、一日も早く決着させたかった。

「で、どんなお客さん?」

「〝ピースメイカー〟っていう連中なんだけど、」

「……知らないなぁ。古式床しいシングルアクション銃のことじゃないよね。」

「俺もそれ思ったけど、流石に関係ないみたい。」

 そりゃそうだよな、と言う代わりに、私がお茶――煎茶だ――に口を付けようとすると、

「ところで、姉ちゃんってコンピューターとか得意だっけ?」

 は?

「どういう意味? 表計算ソフトの煩い海豚を殺すくらいは出来るけど、」

「うーん、何言ってるか良く分かんないけど、俺に良く分からない言葉使えるくらいだからきっとコンピューター強いんだね。じゃあ、そう言うことで先方には、」

「絶対にやめて。」

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