27

 汐路はわたし用のジャケットやヘルメットも用意してくれており、それを借りて彼女のマシンのリアに乗せてもらうことになったのだが、これがもう凄まじいパワーだった。一般道なので速度の高は知れているが、加速がとにかく凄い。ついでにブレーキも凄い。これら、特に後者の凄さを体感出来るのは汐路の運転が雑なせいではないかと訝りながら、私は必死に彼女の胴にしがみついていた。

 目が回りそうになった頃、左へのウィンカーランプが点き、おいおいカッコンカッコン鳴ってないぞ整備不良かと私が思う間に、見るからに寂れてはいるが大きさだけは有る本屋の駐車場へバイクが停められた。後で聞いたが、デカいバイクはウィンカー音鳴らないらしい。なんでだよ。

 駐車場は、見渡す程の、サッカーコートが何面か張れそうな面積が有り、どうして田舎ってのはこうもなんでもかんでも無駄に広いんだと私を呆れさせて来る。汐路は、一番奥まった、人から目立たない場所を駐車場所に選んでいた。

「ええっと、家が本屋って訳じゃないですよね?」

「実家は魚屋だけど?」

「え、本当ですか?」

「いや、嘘。」

 降りた汐路は、ん、みたいな、色っぽく聞こえなくも無い声を漏らしながら二三度伸びをした。革製の黒ジャケットの、良く伸ばされた胴や胸に西陽が照り、彼女の身体的な快活さを強調しているように見える。

「じゃ、センセ。実技講習と行きますか。」

 倣ってリアから降りていた私は、つい首を傾げながら、

「大型二輪の、ではないですよね。」

「勿論。そんなのじゃなくて、明日からセンセに頑張ってもらうようなことについての講習だとも。」

 人気は有らずとも屋外と言うことで、ハッキングとか魔女、という邪悪な言葉を使うのを汐路は避けているようだった。

「こんなところで、コンピューターも無しに?」

「ええ、」

 汐路は、さっきまで私の尻が乗って居た場所をぽんぽんと叩き、

「この子が居れば、事足りるから。」

「バイクが有れば事足りる? ええっと、……それ、何か情報機器の類いを仕込まれているんですか?」

「いや、別に? 見ての通り只のオートバイだけど、でも、今からする話には充分。」

 なんだなんだ訳分からんぞと思っていると、

「さ、センセ。私の代わりにちょっと前の席に乗って、グリップ握ってみて。」

 ……え、マジで?

 真面目な話のようなので苦労してそこに上って構えようとしたが、両のグリップが余りに遠すぎるせいでどうしても馬鹿みたいな姿勢になる。背丈の小さい分、腕も短かったらしい。

「あの、苦しいんですけど、」

「うーん、体格差がちょっとあれだったかな。まぁ今からすることには関係ないので御辛抱を。ええっと、じゃあセンセ、そのまま発進させようとしてみて。どうせ無理なのだけど、一応真面目に。」

「へ?」

「ほら、津波に襲われて、バイクを盗まないと溺死するみたいな情況想像して必死になって!」

 なんのこっちゃと思いながら、仕方なしに言われた通りにしてみる。ええっと、鍵穴が無いから、私のスクーターと同じタイプだよな。なら、普段通りに接続を試みてみるか。

「右利きですか?」

「ええ。」

 じゃあ、私でも大丈夫だ。早速、右のグリップから通っている筈の、制禦中枢への導線を探り始める。慣れぬ機体なので多少時間が掛かったが、何とかそれらしいものを探り当て、意識を集中して辿って行った。直に、案の定、煉瓦壁のようなイメージが現れ、私の、あるいは私の魔力の行き手が塞がれてしまう。一応、怠け者の啄木鳥のようにこつんこつんと何度か挑戦してみるが、びくともせずにそこで終わり、原動機まで到達することは全く出来なかった。

「駄目ですね、やっぱり壁で止められました。」

 私はそう言って手を離そうとしたが、

「あ、ちょっと待って。そのまま。」

 半分幻視へ集中しているので現実の視界が朧だが、その中で、汐路がマシンへそっと右手で触れて来、魔力を籠めるような動作をした。

「これで、どう?」

 そう彼女が言うが早いか、私の魔力を塞いでいた壁の姿が突如かそけくなり、あれだけ有った抵抗感が、暖簾に腕を押すような有り様となった。心の準備をしていなかった私は、そのまま原動機へ思いっきり魔力を注ぎ込んでしまう。とんでもない音が鳴って回転数が跳ね上がった頃に、漸く私は注力を中止出来た。

「ああ! 済みません済みません。」

 跳ねるように手を放した私を、バイクを支えている汐路は眼鏡の奥で目を細めつつ、老爺のようにからから笑いながら、

「いや、流石に私がやらせたようなものだから大丈夫、お気になさらずに。で、分かりましたかセンセ? 今の、貴女の魔力の道を拓いてみせたのが、ゆくゆく貴女に複写してもらわないといけない、私の魔術。詳細は後でお話するけどね、」

 それだけ言うと、ヘルメットを被った彼女は私を退かして自分で席に着いた。


 その後また走り始めて連れて行かれた先は、コンセプトアパートとでも言ったものか、如何にも貧相な本体にまるで釣り合わぬ、大層御立派なバイクガレージを備えた集合住宅だった。三階建ての内の二階に位置した汐路の部屋に通され、思わず、絶句しそうになる。畳の、所謂ワンルーム物件なのだろうが、なんじゃこりゃさっきのガレージの方が広かったんじゃないのか? 真ん中に有るしみったれたのは、ええっと、卓袱台? 本物なんか初めて見た。それに、なんか、照明も薄暗いんだけど。

 私の唖然に気が付いたのか、汐路は頰を搔きながら、

「いやぁ。私、住む所本当興味無くてさ、」

「ビルオーナーなんですよね? ちゃんとした所借りて、というかいっそ買って下さいよ。」

「んー、」一人で進んで、その卓袱台の向こう側に座った汐路は、私にも――床へ――座るように促しながら、「そうも中々いかなくて、」

 座布団くらい無いのかなと思いながら、腰を下ろしつつ、

「どうせ、お金遣いすぎると周囲に怪しまれるから、とか言いだすんでしょうけど、」

「おっと、ここにも天才が居たか。」

「いや、限度が有りますよねこれ。大体、こんな地域じゃどうせ家賃も安いでしょうに。」

 私は、低い視点から部屋の中を一瞥した。隅に畳まれた蒲団、化粧箱、簞笥、バイク雑誌や旅行誌の詰まった二段のカラーボックス、工具箱、雑に吊るされたスーツ、ゴミ箱とそこに突っ込まれた弁当殻、

「冷蔵器とかテレヴィの無いことには驚きませんけど、」

「前者は要らないし後者は興味ない。」

「だろうから言わなかったんですけど、」

「ちなみに洗濯機は共用だけど、風呂場とトイレはそこに有るから御安心を、」

「ええっと、とにかく、なんでコンピューターすらないんですか? この部屋、」

「え? 職場に有ればいいかなって。」

「そう言いましても、私詳しくないですけど、情報技術、というか貴女の学ばなきゃ行けない様なことって、日進月歩なんじゃないですか? 家でのんびりしていていいんですか?」

「あー、なんと言うかさ、」

 そう言いながら汐路は、鞄の中から煙草を一本取りだして点火しようとしたが、気が付いたような顔で私の方を見、

「ええっと、吸っていい?」

「一本くれれば。」

「何言ってんのセンセ、魔女たろうとするなら、普段は出来る限り遵法精神を見せておきなさいって。〝魔女狩り部隊〟とかに、余計に怪しまれたりしないようにさ、」

「二十一です! 未成年喫煙じゃありません!」

「あ、……あはは、御免御免。」

 二人で紫煙をくゆらせ始めたが、久々に呑むとどうも美味かった。

「で、なんだっけ、」

「この部屋、コンピューターが見当たらないんですけど、質にでも入れましたかって、」

「……そんな辛辣だったっけ? まあいいや、ええっと、だから職場に有ればいいかなって感じなんだよね。正直私達、あまり家に居ないから。」

「え? と言うと、何処に居るんですか?」

「だから、職場。」煙を一塊吐いてから、「私らって変人と言うか馬鹿と言うか、そんな感じでさ、コンピューターと言うか情報技術弄ってるのが楽しくてしょうがないんだよね。と言うわけで、下手するとあそこに二十時間とか平気で居たりしちゃってさ、あんまりここへ戻って来ないんだ。面倒だからってあの部屋で仮眠取っちゃうとか、帰宅しても、寝てシャワー浴びて起きて化粧してはい出勤、みたいな。好き勝手やっている私らが、『出勤』って言い方するもおかしいかもしれないけど、」

 今の語りの中で化粧を落としていなかったのは、言葉の綾だと信じたいが、

「それで汐路さんは、住む所にあまり興味が無い、と。」

「正直、バイクさえ盗まれないなら家なんかどうでも良い。ただ、こうやってお客さん招く時だけ恰好悪いんだけど、」

 恰好悪いだけっていうか、実害として私の士気が思いっきり低下しているんだけどなぁ。龍虎会での扱いが異常に良かったせいも有り、生来不如意や清貧を知らない私は、こういう場所に居るだけで気分が滅入って来てしまう。しかも、寝るんだぜ、こんな男っぽい部屋で向こう数日!

「単刀直入に言いますけど、今から、或いは明日からでも私、どこかのホテルに移っていいですか?」

「おっと果断。だけど、それは難しくて、」

「お金は私が勝手に出しますから、」

「いや、そうじゃなくて実は。まず、ホテルの宿帳に貴女の名前を残して欲しくない。つまらない所に、私達が危なくなるかもしれない証跡を残したくない。

 そして第二に、実は、私はこうしてセンセのことを監視しているんだ。」

「ふぁい?」

 たまたま煙草を口に銜えた瞬間に驚きを表明しようとした結果、そんな間抜けな言葉が漏れた私の前で、汐路は、対蹠的たいせきてきに悠然と煙を吐き尽くした。

 それから、部屋内の乏しい光を集めて反射してくる方形レンズ越しの、鋭い目で此方を射つつ、

「私の魔術は、いとも強力なもの。だから一度複写させたら、私の目の届かない所で行使させる訳には絶対にいかない。厳密には、今日は良いんだけど、でもやっぱり明日からは貴女の一挙手一投足を私達は監視しなくちゃならない。となると、何処かのホテルに泊まってもらうなんて、とてもとても、」

 私は、もう一度貧相な部屋の中を見回してから、

「成る程。失礼ながら率直に言って汐路さん家に大した物が無いというのも、安全策として効いたりしてます?」

「ま、その通り。どんなハッカーも魔導器が無けりゃ何も出来ないから、ここに居させれば安心って論理でね。貴女が、コピーしたものを意のままに取り消せるタイプの複写魔術師だったら別に大して良かったんだけど、ギンダイ君曰く、」

銀大ぎんたです。」

「失礼、彼曰く、貴女の場合は複写した魔術を、記憶の減衰のようにゆっくり失って行くと聞いたからさ。それで、こう言う措置を採らせてもらっていますわ、宜しくセンセ。」

 私は、溜め息を隠さなかった。金出すから二人でホテル行こうぜ、って提案も通らんよなぁその理窟じゃあ畜生。というか、銀大は、ちゃんとこういう細かい話をしたんだろうか。

 ヤケクソに、煙草をもう一口呑んでから、

「承知、いたしましたよ。マダム。」

「お詫びに、夕飯は貴女の好きなもの頼んでこうかと思っているけど。ちなみに私持ちで、」

「じゃあ、取り敢えず今日は寿司で。」

「おや、センセはお寿司が一番好き?」

「いや、一番高いやつです。思いついた中で、」

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