28

 自分が山葵の苦手なことを完全に忘れていたが、一番高い夕食を寄越せと言った手前文句を言う訳にもいかず涙ながらに完食した。「大丈夫?」と訊かれ、「鼻につんと来るのが好きなんですよ。御馳走様でした。」と訳の分からないことを汐路へ返す。どんどん、妙な嘘が上手くなって行くなぁ。取り敢えず、明日は中華か何かにしよう。

 食後、出前寿司に付いてきた粉茶を一口啜ってから、汐路が切りだした。

「じゃ、そろそろお仕事の話をしましょうか。」

 蝦蛄しゃこの身が奥歯に挟まっているのを舌の動きだけで外せないかと秘かに格闘していた私は、頭を真剣な状態にする為に、目を搾るように閉じつつ首を振ってから、

「お願いします。ええっと、まず、結局、汐路さんの魔術ってどんなものなのでしょう。」

。……それが、私の力、〝非武装主義者ディミリタライゼーショニスト〟の端的な説明だね。」

 え、なんて?

「もう一回名前言ってもらっていいですか?」

「demilitarizationist。意味は、……私と同類の人間ならすぐ察せられると思うけど、貴女に説明するには面倒だからちょっと後回し。」

「ええっと、ディミラタイゼーショニスト、」

「惜しい。と言うか、別に憶えなくて良いと思うけど、」

「いやまぁ、確かにそうですけど、」

「実際名前はどうでも良くて、性質の方でしょ、大事なのは、」

「ええっと、ボウカヘキって、防火壁ですか?」

「何言ってるの?」

「あ、済みません。汐路さんの言ったボウカヘキって、火事の被害を留める為のあれですか?」

「元々は。ただ、魔導器関係だと違う意味で使っていて、通すべき魔力と通さぬべき魔力を低コストかつ迅速に判別して、その通りに許可したり遮断したりする装置、あるいは概念のことだね。」

「ええっと、噛み砕きますと?」

「え、これ以上? ……えっと、私の言語能力じゃ無理そうだから、具体例で行きましょ。貴女が私のバイクを走らせようとした時、あるいは日々貴女が自分のバイクを走らせようとする時、ええっと、例えば私の場合は幻視中に煉瓦壁が見えるんだけど、」

「あ、私もです。」

「じゃあ、それ。それが、私達の言う『防火壁』。ファイアーウォールと呼ぶ人も居るけど、」

 あれ、かぁ。

「さっき久々に壁を無理矢理突破しようとさせてもらったお蔭で、思い出せました。確かに、あれが有ると全然魔力通らないんですよね。」

「そう、ああいうビークル系に付いているのは、指紋のように、然るべき持ち主のパターンに当てはまらない魔力を全部遮断するってタイプの防火壁。魔力を通さなきゃマシン動かないんだから、結局それによって持ち主だけが使えるようになるだろう、って発想だよね。」

「ふぅん。」

「でも、私の〝非武装主義者〟にかかれば、そんなのは全部台無しになる。その気になれば、私はそこら辺で幾らでも車輌泥棒が出来るってわけ。」

 私は頷いて、茶を少し口にし、それから、

「ここまでは分かった気がします。でも、結局、ピースメイカーさんが

「あ、御免。他所――つまりあの部屋以外で、その名前出さないで。」

「と、失礼しました。ええっと、とにかく、ここまでは分かりましたけど、でも正直、貴方方が私にさせたいことがまだ見えないんです。汐路さんがああいう壁を突破出来ちゃうのは分かりましたけど、でも、別に車盗んだりするのに興味有る訳じゃないんですよね?」

「えっと、そう。そうなんだ。私の魔術は、今言ったみたいな話に使える。でも、私達が普段しているのは、そんな下らないことじゃない。」

 クラッカーですもんね、と返そうとしたが、『クラッカー』という言葉は口にしていいんだろうかと私が悩んでいる間に、汐路は話を進めていた。

「例えば、私がこの家から、コンピューターとウェブ接続を使ってカワバタ社のサイトを見に行くとするじゃない? 新作のバイクのスペック情報が見たかったりしてさ、」

 ここでその社名を捻じ込んでくる辺り、本当にバイク好きなんだなこの人、と思いながら私は頷いた。

「すると、私のコンピューターは、カワバタ社内のコンピューターから、その手の情報を貰ってきてレンダリングするんだ。」

「れんだりんぐ?」

「ああ、ええっと御免。描画、うん、描画する。とにかく、何をするにしてもまず情報を貰ってくる、と。カワバタ社のデータが無いと私のコンピューターは何も出来ない、ってのは多分分かるよね。これから、カワバタ社が作ったウェブサイトを見ようとしているんだから。」

「なんとなく、」

「ということは、私のコンピューターは、ウェブを巡り巡ってカワバタ社内のコンピューターに接続出来てしまっているんだ。それも、超ゴツいのに。そこら辺のと比べたら、まるでセンセと私のバイクの差みたいな、いや、寧ろその十倍くらいパワーの差が有るようなすっごいマシン。」

「何故か傷つくんですけど、」

「とにかく、とても強力なカワバタ社のコンピューターに、そういう情報は詰まっているんだよ。こういうゴツイやつを、サーヴァーって呼ぶ。これの場合は、ウェブサイトを公開しているからウェブサーヴァー。」

「ああ。その言葉、聞いたことは有りますね。」

「つまり、」

 汐路は、転がっていたちびた消し護謨を拾って卓袱台に載せると、手振りで、それと自分の湯呑みとを注目させた。

「このちっこい消し護謨が私のコンピューターだったとして、こっちの巨大な湯呑みがサーヴァーだと。この両者がウェブを介して繫がっていると。」

「ええっと、はい。」

「私のコンピューターが何か情報をくれと言ったら、この湯呑みはそれを返送してくれる。それ以外に、コイツらの間で遣り取りは無い。」

「はい、」

「しかし、」

 汐路は、私のぬるまった小振りな湯呑みを勝手に摑み、自分の湯呑みの脇へ引き寄せた。

「さっきのサーヴァーの他にもカワバタ社内にはサーヴァーが有ったりします、と。しかも仕事で使っているものだから、例えば、開発中の機種の図面とか、とにかく外に漏らしたら目茶苦茶やばいのがこの中に有ったりしますと。また、他に、」

 クリップやら他の消し護謨やら、そういう小さなつまらない物品を湯呑みの回りに幾つか並べてみせ、

「そうやってサーヴァーを使っているなら、社内に小さな個人用のコンピューターも有ります、と。で、勿論こっちにも企業秘密がいっぱい詰まっています、と。これらは全部ネットワークで繫がっています、と。」

「ええっと、はいはい、」

 餓鬼の飯事みたいな絵面になってきたなと思いながら、私はそう生返事した。

「で、当然そいつら、つまりウェブサーヴァー以外の情報機器に蓄えた企業機密は、ウェブに対して公開されていない。」

「企業として自殺行為ですもんね、そんなことしたら、」

「そう。だから、もし私の消し護謨がそういうところに情報をくれと言っても、『五月蝿え』とだけ返事が返ってくるか、無視されるか、仮想敵として対処されるか、それともそもそも届かないんだ。そういうふうに、情報システムは普通作ってある。」

「成る程。」

「で、どれが上等な対応だと思う?」

「五月蝿えか、無視か、対処か、そもそも届かないか、ですか?」

「例えば貴女の家に、一秒に十人くらいのペースで『よろしかったら通帳の残高みせて下さい』っておっさんが来るとしたら、」

「巫山戯ないで下さいよ。そんなのがそんなペースで来やがったら、どれだけ蹴っ飛ばしてもどれだけ通報しても終わらなくて銀大が可哀想じゃないですか。」

「……センセは何もしないの? とにかく、そうでしょう。実際のシステムでもそうで、はなから相手にする価値の無い通信が飛んでくると煩わしくてしょうがない。というか情報機器からは本当に一秒間に何千とか何十万とか発信出来るから、煩わしいと言うよりも殺人的な勢いになって、本業が何も出来なくなることすら有る。」

「じゃあ、情報技術の世界でも、そういうのは届かないのが一番良いと。」

「大雑把には。さて、センセ。そうやって余計な、望んでない通信を届かないようにするには、つまり遮断するには、どういう方法が一番良いと思う? ――通信とは、つまり、魔力に他ならないのだけど。」

 いつの間にか聞き入って前傾していた私は、ここで感心して、腕を組みながら背筋を伸ばしてしまった。

「はぁー、……そっか。防火壁。」

 汐路が、愉しげに指を鳴らした。

「そう言うこと。私やセンセのバイクのアナログな防火壁は単純に、持ち主の魔力かどうかを掌紋のように判別するだけだけど、実はデジタルな防火壁というものも作れて、そうすると詳細な設定が出来るんだ。例えばそうだね、私なら、カワバタ社でこうするかな。社外からウェブサーヴァーに対する、『おたくのウェブページを見せろ』という要求の通信と、それへの返事は許可する。また、社内の人間が外のウェブにアクセスして色んな情報を拾ってくるのも許可する。で、残りを全部遮断! そんな防火壁を、会社とウェブの間の最前線にぶっ立てるんだ。」

 汐路は、最初の消し護謨と湯呑みとの間を少し離し、そこに出来た空間に手刀を一つ落とすと、根菜を輪切りにする庖丁のようにそれを引いて見せた。そこが何らかの意味で隔絶されたと言うことを、私へ如実に理解させる。

「こうすると、どう? 私や他の市井の人間はカワバタ社のウェブページを普通に視られるし、カワバタ社の人間は仕事中ウェブを使って調べ物したりサボったり普通に出来る。また、カワバタ社内の機器の間での通信も完全に自由だね。

 でもそれ以外はまるっきり遮断されるから、怪しい奴らがウェブサーヴァー以外から機密情報を盗もうとしても、普通には全く出来なくなってしまうんだ。機密を仕舞っている情報機器をどうにか騙そうとしても、そもそも防火壁で遮断されて何も届かないのだからね。言葉の届かない相手に、詐欺は働けない。」

「詐欺師が言うと、重い言葉ですね。」

 汐路は苦く笑いつつ、ちょっと吃って、

「言う、ねえ。センセ。まぁ確かにそういう絵面なんだけどさ、今。」

 汐路は、湯呑みを指でごんごん敲きながら続けた。

「とにかく、ウェブサイトを持つと言うことは、世界に対してウェブページ、つまりウェブサーヴァー、すなわち社内のコンピューター一個を堂々公開するってことなんだから、今言ったみたいな手段を以て、世界から社内の他の情報機器を護らないと行けないんだ。だって、悪い奴らは世界中にいくらでも居て、ウェブを介し何処からでも接続してくるのだからね。センセの言う通り、私もその口な訳だけど。」

 私は、素直に感心したので素直に二三回頷いてから、

「しかし、勿論私に分かるように思いっきり単純化してくれたのでしょうけど、それを踏まえても、思ったよりすっきりした手段でネットワークって防禦出来るんですね。」

「単純な方法で済むなら、それが一番良いから。実際には他にも色んな方法を組みあせてウェブ上からの攻撃に対しては備えるのだけど、皆が絶対にやっている基礎中の基礎が、今の防火壁の話。」

 ここまでずっと、技術屋らしく、つまり莞爾かんじとして楽しそうに自分の分野の説明をしてくれていると言う様子だった汐路であったが、しかし、突然その笑顔が妖しくなった。

「分かる? よ?」

 寒気が、少し走った。エレヴェーターで見たのと同じ、悪徳と奸佞の笑顔だ。

「皆、まず間違いなくシステムに防火壁を導入していて、そしてそれでかなり安心しているんだ。単純で頑健で、つまり間違い様が無くて、そして歴史と実績の有る方法だからね。」

 これを聞かされた私は、つい渋い顔を作りながら、

「しかし、貴女はその前提を無視することが出来る、つまり、まず突破されない筈の、防火壁と言う本来絶対の防禦手段を、こともなげに攻略することが出来る、と。」

「その通り。さっきも言ったけど、色々なセキュリティ手段がこの世には有って防火壁以外にもそれらが同時に採用されるのが普通だから、完全に無防備とは中々行かないけど、でも少なくとも殆どの場合、各情報機器に通信を叩き付けるまでは、私達は確実に出来る。

 そこまで行ければ、あとは力勝負。コンピューターやソフトには必ず何かしら脆弱性が有るから、向こうが気が付いて線を引っこ抜くとかする前に、どうにかそこを衝いて目的を達成出来れば私達の勝ちってわけ。ここで勝つ為に、私はあの三人を抱えて日々一緒に腕を磨いたり弱点を探したりしてる。単純な伎倆ぎりょうなら、正直アイツらのがずっと上だけど。」

 野鄙の一言で片づけられていた、三人の姿が私の脳裡に泛かんだ。多分、一般的な社会適正は低いが技術屋としてはやたら腕が立つ、みたいな、安易に想像してしまうような人物像を、しかし彼らは実際に持っているのだろう。そういう人間を、汐路が見つけてきたのだろうし。

 だが、

「ええっと、もう一人、あの部屋に居ましたよね?」

「え、誰?」

「黒髪の、女性の、」

「あー、カレン!」

 かれん?

 その姿をしっかり見た訳ではなかったが、丘のように突き出ていた胸部と、時間の掛かりそうな化粧の描き込みを思い出だしながら、

「これはまた、可愛らしいというか、あんまり邦人っぽくない名前ですね。」

「あ。いやセンセ、多分誤解してる。名前じゃなくて苗字、加連川かれんがわって言うんだアイツ。」

 かれんがわ。

「へえ、……下の名前訊いても良いですか?」

「なんだっけ、……皆面白がってカレンとかカレン姫とか呼ぶからあんま憶えてないんだけど、」

 そういえば、サチコとか言われてたなこの人も。

「ああ、そう。遠美とおみじゃなかったかな、加連川かれんがわ遠美とおみ。」

「へえ。」

 とおみ、ねえ。

「なんか、上も下も変わってますね。」

「私や貴女が言う? 特に、貴方方姉弟は下の名前の読み方も結構変わっているような、」

 あ。

「まぁ、確かにそうかもしれませんが。えっと、そんなことよりもですね、その加連川さんは何だってピース……ええっと、貴方方の元に居るんですか?」

「どういうこと?」

「つまり、想像が難しいんですよね正直。汐路さん達のような集団が、秘密を一緒に守って共謀してくれる魔術師を何処からか捕まえてくるだなんて。それこそ、私を見つけてくるのに苦労したのと同じ様に、」

「ああ、それは、」

 何故か困ったような顔を見せた汐路は、その彼女なりの窮地を誤魔化そうとしたのか、手許の冷めきった苦そうな湯呑みを摑んで飲み干してから、

「ちょっと腐れ縁と言うかなんというかでね、カレンと私。ええっと、私が居るとアイツにとって都合がいいと言うか、悪いというか、」

 なんだ煮え切らないな、と私が思っていると、この部屋の、硝子面が煤けた掛け時計をふと目に入れたらしい汐路は、突然、落ち着かない様子で立ち上がって、

「いつの間にか結構な時間、か。私はどうでも良いけどセンセを巻き込む訳に行かないから、そろそろ寝仕度始めましょ。シャワー、私の後と先のどっちが良いとか有る?」

「ええっと、じゃあ後で。」

「では、お先に。」

 そう言うと汐路は、色気の無い簞笥からもぞもぞタオルやら下着やら寝巻きやらを取り出して、玄関の方の風呂場へ向かって行った。……、うん。確かにさっき、風呂場と言ってたよなあの人、シャワーコーナーとかじゃなくて。それにもかかわらず今の言い種と言うことは、湯船を張る気はどうやら更々無いらしい。まぁ数日くらい入りそびれても我慢出来なくはないが、なんかいちいち嫌になるなぁ。

 一人になって急に所在なさげとなった私は、汐路のせいで突然散らかった卓袱台の上を何となく眺めてみた。木目の荒野の一隅にて突然一夜城のように築かれた我楽多がらくた山の中で、大小の湯呑みからなる天守と三階櫓が並んでおり、その城下のひろい原野には、二人で使った翡翠色の丸灰皿が池のように広がっている。そしてそこでは、汐路の、ルージュ痕の残って紅らんでいる様に見える吸い差しと、私の純白な儘で仏頂面な吸い殻が、縁に力なく掛かって互いに頭を垂れていた。その睦まじい様子を見ていると無性にまた一本吸いたくなり、出来れば明日どこかで久々に煙草を買おうと、私は小さく決意したのである。あと、ビールも少し。

 つまり、今日時点はそういう手持ち無沙汰を解消する手段の持ち合わせが無いので、私は仕方なしに、汐路の立てる水音を耳の慰めにして少し思索へ耽ってみた。汐路と、加連川。昔からの縁で繋がっている魔術師コンビと言われると、龍虎会のトップ二人を髣髴とさせられるが、魔女と言うのはそういう古い縁に頼りがちなものなのだろうか。或いは、そういう縁が魔女を魔女たらしめるのだろうか。いずれにせよ、あのやしきで体験させられたようなスペクタクルな展開というのは、もう勘弁願いたいものだ。そんなものはもう二度と得なくて良いので、しっかりと、ピースメイカー或いは汐路個人と縁を作っておくと言うことだけは、この仕事を通じてしておきたい。今後災炎の魔女を追う上で、情報技術のプロと言うのはきっと心強い協力者になるだろうから。もしかすれば、逆に私から何か依頼することすら有るかもしれない。

 そうやって一歩ずつ進んでこそ、私は小玉の命と駒引さんの思いに報いることになるだろう。邪悪であろうとも、これは、私なりの真剣な誠意である。

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