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 遠かった。一人で来いということだったし、前回の話のように大雨に襲われる予定も別に無かったので、車も借りず私はいつもの愛機でパタパタとクライアントの元まで向かったのだが、いやぁ流石にちょっと遠すぎたぞ。卵山県って言うから、まぁ何とか行けるかなぁツーリングがてらと思っていたが、向家との県境じゃないか最早。お蔭で、途中でスタンドに寄ってリザーヴタンクへ充力チャージしてもらう羽目にすらなってしまった。ああ、職業魔術師としてのプライドが、

 まぁ、そんなちっぽけな私の自尊心はどうでも良い話だろうし、さっさと乗り込むことにしようか。どうせ何日か掛かりの話になるので初日は何時に来てもらっても構わないと向こうには言われながらも、十五時近くになってしまった後ろめたさを早く解消したいのである。

 やってきたのは――ええっと、ひい、ふう、みい、――十五階くらいありそうな、目映く陽光を照り返す空色の立派なオフィスビルで、周囲の田舎臭い風景に倣っているのは異様に巨大な駐車場のみと言う、なんだか、豚骨拉麺にブルーベリーを一粒ポテンと零したみたいに悪目立ちした建物だった。

 駐車場の入り口辺りで先方に到着を伝えようと、スクーターを停めて伝話器を取り出してみたのだが、ビル本体が遥かに遠く、もうちょっと近付いてから聯絡した方がいいか、しかしそうしたら私の愛機は何処に停めればいいんだ、などと悩んでいると、閑静極まりなかった後ろの道路から走行音が俄に響いてきた。嫌な予感のした私が、よいせ、と苦労しながらスクーターと自分の躰を通路の脇に寄せると、果たしてその音はこの駐車場へ元気に進入して来たのである。ああ、退いておいて良かったと胸を撫で下ろすと、その轟音の主、真っ黒なスーパースポーツ・バイクはしかし通りすぎてくれず、私の居場所を巻き込むように停止した。

 なんだなんだかつあげでもされるかと、陽を浴びたヘッドライドの硝子が眼光のように煌めくのにすら戦きつつ身構えていると、ライダージャケットを纏ったその乗り手は、真っ赤なフルフェイスを外してその顔をあらわにして来たのである。ヘルメット内の湿気で藁のように纏まってしまった茶色い髪を手早く解しながら、何処で売ってんだそんなもんと訊きたくなる、正確な長方形のレンズの嵌まった眼鏡の向こうから、しっかりとした、しかし控えめの化粧の施された慎重な目で彼女はこちらを見つめてきていた。目鼻立ちは比較的整っており、その瞳はやや秀でた眉骨を庇にして深く蔵されている。年は駒引と同じくらい、つまり私より十くらい上だろうか。

「もしかして、貴女が加々宮先生で?」

 ファイティングポーズを取りかねない勢いであった私は、その言葉に緊張を解き、

「ええっと、そうですが、……すると貴女が、」

「はい。弟さんとお話させて頂きました、汐路しおじ紗智夜さちやです。今日から宜しくお願い致します。」

 そう言ってから、彼女は着ていたライダージャケットを手早く脱ぎ、バイクのトランクの中へ放りこんでしまう。しかし、意外だった。銀大から聞いていた話からすると、なんかもっとこう反社会的というか、あるいはファンキーな恰好をしているような人だと思っていたのに――通勤にそんな化け物みたいな馬力要らないだろうと言うバイクに乗って現れたことを除けば――、着ているのは白無地のワイシャツと、背広に見紛う鉛色のパンツスーツだし、なんならネクタイまでしている地味さなのだ。会社勤めだからってそこまでの恰好を女身でしないだろう普通、という意味では、有る意味一周回って反骨的なのかもしれないが。というか、そもそも会社勤めじゃない筈だろアンタ。

 汐路は、自分の巨大なマシンを押し始めながら、

「丁度良かったです加々宮先生。駐車場所も含めて御案内しますので、そのままこちらへ。」


 私の、汐路の転がしているそれに比べて十分の一くらいの排気量しかなさそうな愛機の駐車位置は、案内され始めてまもなくの場所だったが、汐路が自分のバイクを停めたのは大分歩いてからであった。つまり、私のスクーターはビル本体から大分遠い場所に追いやられ、彼女のはビル入り口間近の一等地なのである。うーん、別に構わないが御挨拶な扱いだなぁと思いながら、彼女と共に御立派なビルの中に入ろうとした時、

「あ、」

 汐路は、提げていた、これまたサラリーマン(サラリーウーマン?)らしい武骨な鞄から、紐付きのIDカードを二枚取り出して、その片方を私へ寄越して来、

「うっかりしていました、これ使って下さい。首に掛けて、お外しにならないように。」

 ああ、こういうのかぁ。見たことあるけどなんか収監時の囚人とか家畜聯想れんそうして嫌いなんだよなぁと思いながら、私は渋々頭を通した。

「では、適当に私の所作を真似しながら、ついてきて下さい。」

 そのカードを見せたり掲げたり翳したりと、色々しながらビルの入り口やその中の守衛所やゲートをどうにか通りすぎると、まもなくエレヴェーターホールに突き当たった。待ち人も他に無く、しかも丁度一機が扉を開けてピカピカと待っていてくれたので、これ幸いと二人で乗り込んでいく。

 閉じられた籠内右方、ボタンの前に陣取った汐路はぽつりと、

「良かったですよ本当に、丁度誰も居なくて、」

「ええっと、そうですね。早く着けますし、」

「と言うか、ですね、」

 汐路は、自分の左腕を立てて庇のようにすると、その蔭で、楽器でも演奏しているのかと言う凄まじい勢いでエレヴェーターの階層釦を操作し始めたのである。私が漸く「は?」と漏らした頃には、その運指を止め、自身のIDカードを、壁の、読み取り部分が有るだなんて見た目からは絶対に分からない箇所に押し当てた。

 まもなく、エレヴェーターが上昇し始める。

「内緒のフロアでしてね、これから私達が行くの。他社の、堅気の方々が同乗されていると直接向かえなくなってしまうんですよ。仕方ないから近所の階で降りて、という手は無くも無いですが、これがまた時間を喰って大儀で。」

「え、ええっと、」私は、呻くように、「内緒のフロア? そして、そこに通ずる為の、こんな奇特なエレヴェーターの仕様、というか改造? えっと、そんなものが、何故利用出来ているんですか? このオフィスビルの、一居住企業テナントに過ぎないのであろう貴方達に、」

「ああ。それは簡単な話で、このビルのオーナーって、私が設立しておいたペーパーカンパニーなんですよ。」

 私が、「……はい?」とだけ漏らすと、此方に振り返った汐路は口角を上げ、初めて表情らしい表情を見せた。

「言ってしまえば、……これは、私が建てたビルなんですよ。私達の秘密基地をかくす為にね。」

 ピンポーン、という間の抜けた音が響くと同時に、扉が開かれた。外の照明が汐路の彫り深な顔に当たり、その笑みに劇的な陰影を齎している。これは、魔女の笑顔だ。

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