そうして連れ込まれた衣装部屋は、事前には、黒い魔女服に埋め尽くされた如何にも陰鬱な場所だと想像していたのだが、しかし、確かにそういう一角は有れども、全体的にはきらびやかで、種々多様な衣服がぶら下げられていた。

「ええっと、ここで待ってなさいな。確か子供用のは、」

 もう二十一なんだけどなぁ、と思いながら自分の背丈を呪いつつ、周囲を見渡してみる。左方に、実用性を考えてなのかそれとも洒落なのか、虹の色調を再現するような順序でイヴニングドレスが並んでおり、またその上方にちょっと作り込まれた棚には、それぞれのドレスに対して見繕われたらしい帽子やグローブも並べられていた。

 それらの一々を眺めつつ、色彩の組み合わせの妙について考えている間に、駒引が帰ってきて、

「はい、お待ち。ちょっと着てみなさいな。」


 むず痒い。それが、一等の感想だった。黒、正確には黒紫一色の衣装の両袖に腕を通しきった先には、何の機能があるのか分からないひらひらした薄布が待ちかまえていて、私の手首や甲の辺りを絶え間なく擽るのだ。足首の方も、足の運び方によっては布に撫でられる。そして履かされたヒール靴のせいでそもそも歩きにくくて仕方なく、また、何よりもこのヴェールだ。顔の大部分を隠すべく切り出されて垂らされたその前布は、目的を遺憾なく達成しており、その結果、当然に前がまともに見えやしない。なんだ、この恰好によって日々何かの訓練でもしているのか、虎川は?

「どうかしら? 特にその首飾り、中々の珍品なのだけど?」

 そう言われて、私の胸の辺りでふわふわ浮いている、楕円体状の宝石を見下ろした。絶妙なバランスで魔力による浮力が与えられていると言うこの宝石は、私の胸許へ付かず離れずで蠢いており、その機構も一職業魔術師として興味深い。しかし、それよりも私の心を摑んだのは、その宝玉自体の美しさであった。翠玉色の透明な光りの海の中で、原色の赤き薔薇が燃えている。この極彩色の対比だけで息を呑もうというのに、その薔薇の花弁状の赤の隙間からは、また深い、しかし清い青が透けて来ていたりして、その果て無き光の微細が、私を何処までも魅すのだ。だが、この深淵な魅力も一側面に過ぎず、つまり光の当たり方或いは覗く方向が変わるとそれは一瞬の内に姿を変え、例えば赤と黒が地獄の風景のように入り交じったような姿を見せたり、また別の方向からは、爽やかな青と緑が南国蝶の紋様のような景色を描く嵐の中に、時折熾火のような金色が入り交じってくるという様子にもなったりして、私は、つい、陶然としてしまった。

「あらあら、夢中だこと、」

 と揶揄からかってくる駒引に対して、しかし、私は大真面目に返してしまう。

「なんか、私、ジュエリーとか大して興味なかったんですけど、……だって、正直ああ言うのって見栄とか社会的地位を示す為のもので、今日日、硝子玉に気の利いた加工をすれば同じ様なものが手に入るという事実に抗っているだけの、只のエスタブリッシュメントの亡霊だと思っていたので。……でも、これ、本当に凄いですね。本当に、綺麗。こんな綺麗なものが、この世に存在出来るだなんて。何だか、……永遠に見続けられそう。」

 駒引は、何を言うか少し考えたらしく、間を置いてから、

「大人の趣味を解する様になると言うのは、素晴らしいことだね。でもちょっと気の毒なのは、貴女はそれを生涯手に入れることは有るまい、……つまり、その宝石って――――くらいの値段がするってことなのだけど、」

 生涯年収と言っては大袈裟だが、しかしその三分の一くらいの価格をさらりと明かされた私は、その宝石をつまもうとしていた手を急いで引っ込めた。

 駒引は、ふふ、と笑ってから、

「確かに脆い方の宝石だけど、触るくらいなら大丈夫かな。でも、良く分かってないジュエリーの本体をべたべた触るのは賢明でないから、今後気をつけなさい。これはクライアントとしての註文と言うより、年長者としてのアドヴァイスだけど。

 で、確かに綺麗でしょう、そのブラック蛋白石オパール。ウチとしても自慢の逸品なのだから。」

 ん? ブラック? どうみても一面極彩色で、黒なんかには見えないが、というかオパールって白い石じゃないのか? ブラックオパールってなんだ?

 こんな私の当惑を、明らかに駒引は愉しみながら、くすくすと、

「まぁ、とりあえず着せてみたけど、普段からその恰好である意味も無い、か。食事するのにも邪魔だろうし、来た時の服にまた戻ってもらえるかな。」

 私はまず第一に、恐ろしさに駆られて、首飾りを突き返した。そんな私の不様を見届けた駒引は、満足そうにそれを取り戻し、何処かへしまいに行く。

 しかし、実に複雑な宝石だった。その美しさは本当に比類なきもので、もしもあれを手に入れられるのなら、何事でも犯してしまうかもしれない。そして、この真に迫った譬喩は、しかし龍虎会では正しく実際のことかもしれないのだ。その実力、言い換えれば暴力を振るうことで、地位と贅とを積み上げてきたこの集団は、あの宝石に相当する高の資金を稼いで、或いは絞り取ってくるのに、どれだけのことを他者へ齎したのだろう、どれだけのものを、他者へ要求したのだろう。それを思うと、あの美しさへ向けていた純粋だった陶酔に、嫌悪が混入してくる。しかしその嫌悪は、単に悪漢や傍若無人な様に向けるような単純なものでなく、寧ろ死別や葬儀に対して向けるような、神聖な性格を帯びたもののように私には感ぜられた。その理由を少し考えたが、きっとこういうことなのだろう。私は、これから魔女になろうとしているのだ。安寧の、光に満ちた法と秩序の世界から一歩踏み外して、力と利害によってのみ関係の成立する悪魔の巣のような世界に飛び込もうとしているのだ。だから、力によって宝石を得てきたと言うことに対する嫌悪に、憧憬や敬意という衣を無意識に纏わせたのだろう。

 これを思うに、虎川愛用の恰好を私にもさせたと言うのは、魔女にならんとしている私に対する最高のイニシエーションだっただろう。私に、漆黒の、お伽話の魔女に相当する衣装を纏わせてみ、その靴にも布にもあまりに慣れぬその様が、魔女たる生き様はこれまでの人生とは違うのだと自覚させ、そして極め付けに掛けさせた、あの罪の香りのする宝石が、私の中にこの様な暗い覚悟を惹起したのだ。

 そんなことまで駒引は考えていなかったということについては、賭けても良いが。

 

 結局元の恰好に戻されたところで、駒引は腕の時計を確認すると、

「頃合い、だね涼っち。夕餉を頂きましょう。」

 ああ、もうそんな時刻か。

「ええっと、銀大に何も言われなかったので身一つで来たのですけど、私の衣食住ってどうすれば、」

「ああ、お構いなく。全部用意しておいてあるから。こっちに来なさいな。」

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