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 昨夜の汐路さんの言葉や相好に偽りが有ったなどとはとても信じられないということと、彼女がここから消えた瞬間にこの不行儀が為されたこととに鑑み、私は一つの直観を得ていたが、とにかく、出来る限り不機嫌で気の太いように聞こえる声音を選んで、

「何の真似ですか? 不快なんですけど、」

 安辺がこれ見よがしに口を窄めて口笛を鳴らし、加連川は強く笑った。間近でそうされるので、耳障りだ。

「凄い、気が強いんだね先生。」

 そう、加連川の言うようなことはなく、実際には心臓の搏動がとんでもない大きさになっていたのだが、気弱な態度がこの情況を切り抜けるのに助けにならないと思った私は、気丈を演じたまま、

「用件を早く言ってくれませんか?」

「ああ、御免なさい。まぁ、一言で言えば、これから私達サチコのこと見限るから、ちょっと先生にお手伝いして欲しいなって。」

 やはり、内ゲバか。

「その過程を通じて、サチコの溜め込んでいるお金全部貰って来られる筈だから、それの山分け分、つまり二割を先生にも差し上げる。それを報酬として、是非手伝ってもらいたいなぁって。」

 私は、神妙げに頷く振りをしつつ、自分の手の届く範囲を見渡しながら、

「つまり、私が汐路さんから複写した魔術を利用して、彼女の情報資産や預金やらを全部奪ってしまおうと言うことですか?」

「そうそう。まぁ、実際のクラックは野郎共三人がするからさ、先生は防火壁だけ無効化してもらえれば、その間に、」

「成る程、」

 私は、無線式のマウスを摑むと、思いっきり安辺の方向に向かって放り投げた。のわ、と喚いて身を反らす彼の様子へ、加連川の注意が奪われたことを祈りつつ、身を全力で撥ねさせて頭突きを後ろへ喰らわす!

「うべ、」

 その勢いのまま立ち上がり、振り返り、蹌踉よろめめいていた加連川の顔に裏拳を一発かました。そして、そのまま出口に向かって駈け始める。

「このアマ、」

 と誰からともなく聞こえてくるが、小道世と陣内は席に着いたままで、立ち上がっていた安辺は島の向かいであり、私を追い始めるのに一拍遅れた筈であった。間に合えと念じながら、見かける物品を目茶苦茶に後方へ投げつけつつ、私は例の粗末な扉へ全力で向かい、そして、ノブに手を掛ける。急いで開き、通り、閉じ、近くに有った箒を閂の様にえ、またその他雑多な什器を押し当ててバリケードを急造した。

「おい、開けろやもやし女!」

 と向こうから、恐らく安辺の怒声が聞こえてくるが、無論無視して、私はその場を離れた。急いで、逃げ果せねばならぬ。巫山戯るなよ、アイツら。私と汐路が、固く手を結んだばかりの我々が、何か裏切るとでも思ったのか?

 すぐに扉に突き当たったので、開く。そして周囲を見渡すが、ここで私は思い出した。例の秘密基地部屋に通される時は、私はいつも目隠しをされた状態で、わざと冗長な順路を辿る汐路に導かれていたのである。つまりここはその迷宮の只中であり、私はまるで勝手の分からぬこのフロアを通じ、なんとか脱出せねばならないのだった。

 乱暴に、バリケードを破壊しようとしている音が仄聞こえてくる。急造したあれが、そう長く持つとは思えない。私は、とにかくそこら中の扉を手に掛けてみることにした。

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