34
開かない。開かない。これも、……どれもこれも!
秘密基地部屋の辺りを巡って一周するように作られた廊下であったが、そこへ墓碑のように整然と設えられた夥しい扉達は、しかしいずれもしっかりと施錠されており、必死にノブを回そうとする私をガチャガチャと嘲笑うのであった。
物理的な鍵での施錠のみでなく、魔導的に、つまりIDカードを要求してくるドアも有り、汐路から預かって提げている私のカードを当ててみたりもしたが、当然通してなぞ貰えずビービーと露骨な警告音を鳴らすだけである。
絶望的な気持ちで頭を抱えるが、ふと、気が付いた。ちょっと待てよ、こういう施錠って、バイクに乗る時と同じ様だったりしないのか? つまり、魔力が防火壁を通れるかどうかで、
汐路から預かった魔術を行使すべく、カードの代わりに右手でそこへ触れると、うって変わった心地よい録音音が解錠を私に知らせてくれた。同時に、例のバリケード扉が弾ける音と、クリアになった「オラァ!」という怒声とが私の耳に聞こえてくる。時間が無い。私は、転げ込むようにしてその中へ入り、扉を閉じて内から施錠した。
中は、魔灯も点いておらず完全に闇だった。腰の砕けた私は、扉に背を預けながら、自分の口や鼻を手で押さえて荒い息の音を必死に殺そうとする。強い跫音が通り過ぎて行った時は、胸の鼓動が常軌を逸し、躰全体の方まで撥ねさせてしまった。
「どこだどこだあのモヤシ、」
という安辺の憤ろしげな声と、
「あの餓鬼、……殺してやる、」
という加連川の恨みがましげな声が、扉を貫いて聞こえてくる。後者は妙にくぐもっており、私の裏拳で何かを破壊された彼女が顔を庇っているのかもしれなかった。
「おい安辺。見つからねえんならいっそ、先回りしてエレヴェーターとか非常階段の前とかの出口を見張った方が良いんじゃねえのか?」
「お、良いこと言うな陣内のオッサン! じゃあ、アンタは階段の方だ!」
どたどたと駈け足の音がそれに続いた。不味い。非常に不味い。
どうすればこの窮地を突破出来るか、見出さねばならぬ。明らかに酸欠な頭で、私は必死に考え始めた。そもそも、わざわざ部外者の私が居るこの時に、内ゲバを決行した理由はなんだ? 明らかだ。汐路の魔術を複写した私を、利用する為だ。しかし、すると何故だ? 何故私でなければならなかった? 汐路に刃を突き付けるのではなく、何故紛い物の私でなければならなかった? 汐路が極端に喧嘩の腕が立って手強いなんてことは無いだろうし、そもそも、やって来る複写魔術師が私のような小娘であるだなんてアイツらには想定出来なかっただろう。ならば、私を待たずとも汐路を脅迫すれば良いではないか。昨日見えた彼女の痛ましい躰は、特に鍛え上げられなどしていなかった、というかあんな傷を抱えていたら、大した運動は出来ないのではないか? ならば、特に、若く男身で明らかに躰を鍛えている安辺が居れば、暴力で汐路を圧倒することは容易であっただろう。何故だ? 何故私にこだわった? なんなのだ、私と彼女の違いは? 一つ有るなら、彼女は、私の知らない多くを知ってしまっているだろう。情報技術の用語とか、仕組みとか。しかし、そんな事がこの話で意味を為すだろうか。何せアイツらは、騙くらかして、とかではなく、堂々と「汐路を裏切る手助けをしろ」と述べてきたのだ。ならば、私の技術者としての無力は特に魅力ではなく、寧ろ足枷にすらなっただろう。では、他に何か有るだろうか、彼女が知っていて私の知らない何かが。例えば、このフロアの構造は私は全く知らない訳で、それでこうして逃げ損ねている訳だが、しかし、そんな、私を取り逃がす事態なぞ、心配するか? あり得ないだろう。それなら、もっとしっかり私を拘束した筈だ。となると、別のことか。私と彼女の違い。彼女が知っていて、私の知らない、
ふと、思い出し、挙げそうになった声を必死に抑えた。加連川だ! 私は、あの女のことを殆ど何も知らない! アイツについて、汐路は二日前の夜、煮え切らない様子で私に結局教えてくれなかったが、あれは、部外者で、そして初対面であった私に語るのは躊躇われる何かを隠そうとしていたのではないか?
すると、私のすべきことは、
「なぁ、この部屋って見たっけ?」
「……あー、そうね小道世。」
扉一枚の向こうから、聞こえてきた。私は急いで部屋の中を文字通り暗中模索し、隠れられる物陰を探す。
「で、どうやって開けんだっけな。」
「本当はサチコのIDだけで開くんだけど、私、アイツから予備としてコピーのカード預かっててさ、」
無情に、解錠された。棚の影へ潜んでいる私の目の前へ、廊下の魔灯からの光の筋が、死神の持つ利鎌の白刃のごとく不気味に伸びて来る。跫音が近付いて来、ヒール靴かららしいそれは、この招かれざる者が加連川の方であることを示していた。
「せんせーい、居るの? 居るならさぁ、今なら許してあげるからさぁ、」
相変わらずくぐもっており、未だ顔を押さえているらしい加連川の声の内容を、私は完全に無視しつつ集中した。後二歩、近付いて来たら、
意を決し、飛び出す。左腕を、殴り掛からんとするかのごとく振り上げていた私を見て、眼を円かにした加連川は、顔の高さまで両手を上げる防禦体勢を咄嗟に作ったが、それを想定していた私は、淀みなく、その内の右手を、私の方の右手で覆うように摑むことが出来た。すぐに意味を悟ったらしい加連川は、「この糞餓鬼、」と叫んで振り払おうとしてくるが、私は意に介さずに力を籠め、その致命的かもしれない魔力の発露を妨げつつ、彼女の胸許の恒星への飛翔を続ける。汐路に施された野性な訓練によって研ぎ澄まされていた私の感覚は、人体と言う矮小な空間など、いとも速やかに渡りきり、そして、複写を完成させた。
「この、」
私が物理的意識を取り戻しても、未だ腕を目茶苦茶に暴れさせて振り払おうとしている加連川は、無茶が高じてバランスを後方へ崩し、足を滑らせ掛ける。私は、これを見逃す訳に行かず、空いている左手でその顎を思いっきり押しやった!
見事に顚倒した加連川は、まともに頭を打ち据え、「が、」と悲鳴一発上げて動かなくなる。
此方に近寄ろうしていたようだったが、この加連川の不様を見て少し怯んだらしい逆光の中の黒い人影へ、私は、獣の爪のように指を撓めた右手を向けつつ、
「小道世さん、でしたっけ? 複写が完了しました、命が惜しくば、私を外まで案内して下さい!」
これしか、無かった。加連川の魔術が、何か致命的なものであり、それに対抗するのには汐路の力が必要であると言う、頼りない予想に賭け、私はそう叫んでみるしかなかったのだ。自分が複写してきた魔術が何なのか、まるで知らないままに、私はそれを必死に掲げて道を拓こうとしている。哀れな、道化のような虚仮威しだった。
しかし、実際の効果は覿面で、小道世は
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