22

 ゆさゆさと、体が揺すられている。眩しい。不快なので止めて欲しかったが、何故かまともな言葉が口から出ず、せめて顔を顰めて身を捩ることで意志を表明してみせる。そうすると襲いかかってきていた手が離れてくれたので、私はまた安心して気を休めようとしたのだが、掛け蒲団が引っぺがされた。

「涼、どっか痛いとか苦しいとか有るの?」

 駒引の声だ。寝起きでピントが合わないが、多分呆れ顔をしているのだろう。ああそうか、私は、昨日もこの邸で彼女と一緒に、

「いや、あー、大丈夫でふ。」

 あーあ、舌が回らない。

「なら、さっさと起きて。で、全速力で身支度済ませて頂戴な。私、外で待っているから。」

 それだけ言って、駒引が去って行く。結局、最後の朝までアイツに蒲団を引っぺがされたなぁ。昨日までと違い、子供みたいにケラケラ笑いながら叩き起こされた訳ではなかったが。これも、呼称に関するのへ続く、私のことを認めてくれての変化なのだろうか。それとも、昨日のことをいたわっての、……昨日の、

「う、」

 つい、呻き声を出してしまった。しかし、なんだっけ。ああ、そうだ。駒引が全速力で出て来いと言うので、今は昨夜のことを思い返したり悔やんだりしている暇は無く、さっさと着替えをせねばならないのだった。こんな効果まであの人が考えていたら流石だけど本当にそうかは微妙だなぁ、などと思いつつ、私は贅沢にも部屋内に設えられているシャワーコーナーへまず向かった。


「遅いんだけど、涼、」

「流石に、体も洗わない訳に行かないですって、」

「ああ、」駒引は、私の湿った髪へ巫山戯て手櫛を通しながら「そう言えばお風呂サボったんだっけ、失礼失礼。

 で、まぁとにかく行こっか涼、急がないと!」

 何処へ、と問うても答えぬぞ、とでも言いたげに駒引が足を速めたので、私は大人しくついて行った。

 結局通されたのは、例の、玉座の間であった。王者たるマザーの威信を高める為か、彼女の力を誇示すべく、床から天井に届かんばかりの巨大な窓が一方に張られているのだが、今、そこから、なんと、……燦々とが差し入って来ている。暇なのか、龍虎会の若手らしいのもちらほら佇んで、窓の外を眺めつつ床に影を伸ばしていた。

 そんな麗らかで平和な光景を見て、私は自分の頭を両手で抱え、

「や・ん・で・る・じゃ・な・い・で・す・かー!」

 窓の外を見ていた連中がぎょっとしてこっちを見てくる最中、あっはっはと駒引は大笑いしていた。私がとかとか呻き出すと、彼女が漸く、私へ耳打ちしてくれるに、

「いやぁ、止んじゃったね雨。まぁこれ正直私のミスだから、涼は気にしなくて良いよ。沙羅っちみたいにずっと雨女たらせるんなら思いっきり私の魔力叩き込めばいいんだけど、貴女みたいな場合だと加減が難しいんだ。具体的に言えば、昨夜の内に貴女の手を握っておかなかったのが失敗だね。

 そもそも、もうじき沙羅っちが帰ってくるから本当に問題にならないし。」

 まぁ確かに、厳戒態勢も作らずにのんびり風景を眺めている連中が居る以上、実際大した話じゃないんだろうが。

 背筋を伸ばした駒引が、尋常に戻した声量で、

「それに、悪いことばかりでも無くてね。雨女たる力が丁度切れたってことは、この後すぐに帰ってもらっても貴女の街がびしょ濡れになったりしない訳なんだよ、涼。」

「ああ、そういうのも有りましたか、」

「さ、私達も窓の方行きましょ。」

 人を押さんばかりの勢いを駒引が見せたので、大人しく私も大窓の方へ寄った。見えて来た景色は、しかし正直、いとも退屈なものだったのである。熾烈な雨で生態系が完全に破壊されているらしく、小鳥の啼き声が聞こえてきたりもしないし、そもそもまともな樹木や草が見えない。苔か、あるいはそれに毛の生えたようなちびた緑がケチ臭く蔓延はびこっているだけだ。しかし、駒引は、とても幸せそうな柔和な顔でそんな風景を眺めていた。常に薄闇と雨に囲まれたこの邸から一歩も出ることなく己が責務をこなし続けて来た彼女の目には、こんな貧しい自然も名画の如く映るらしい。

「綺麗、本当に、」

 そう、恐らくは情動を漏らすように呟いた駒引は、硝子越しに、日頃浴びることの無い陽光へその身を晒していた。しかし、メイド服と言う大袈裟な服を着ている為に、その露出は手を除けば首許や顔に限られており、私が自然とその横顔へ視線を向けると、驚くべきことに、駒引は一筋涙を零してまで見せたのである。しるし純白の上を走った水滴は、それを捕らえようとした駒引が手巾ハンカチを取り出すべくやや身を捩ると、弾みで彼女の頰から離れて床の敷物へ落下した。落ちた先は丁度柳色の布地の箇所で、濡れて色が深まったことで、まるでそこに緑が芽生えたように見えてくる。

 当てを無くした手巾をひとまず頰に宛てがってみている駒引は、そのまま貧相な、しかし神聖な自然風景を暫く眺め続けていたのだが、ふと、その表情に影が差した。不粋に対して苛立ったようなその様子から、何が起こったのかと久々に風景の方を見ると、ああ成る程、黒雲が立ち籠め始めている。そして、直に驟雨が降り注ぎ始めた。いや、余りに急に降り始めたので驟雨と称してしまったが、実は、この先半永久的に降り注ぐ、竜王の雨なのである。

 気が付けば、窓の外だけでなく私の周囲も騒がしくなっていた。龍虎会の若手たちが忙しなく蠢く中、

「マザーのお帰りだね。迎えに行きましょっか、涼。」

 その顔は、いつの間にか普段の不敵さを取り戻していた。


 虎川――と呼ばれている例の女性――とは、ホールの辺りで出会でくわした。頭のヴェールは剝いでしまっており、連れている中の一人に持たせているようである。

「あらあら、」駒引が駆け寄り、一刻も早く〝阿耨達池〟の力を吐き出しきりたいのか、虎川の右手を捕まえて離さない。「お帰りなさい沙羅っち。怪我とか、変なこととかは、」

「無いさ、ウーラ。何も案ずることは。」

 その返事は、一拍遅れていた気がする。久々に駒引相手に彼女の親友を演ぜねばならないことで、何か臆したのだろうか。

 そんな彼女はきょろきょろと見回し、思い出したようにやや視線を下げて私を見つけた――いや、流石にそんなチビではない筈なのだが。

「ええっと、」

「加々宮、」と助ける駒引。

「そう、加々宮よ。どうだったかな、我が邸の住み心地は。何せ長く過ごすことになるのだ、気に入ってくれると、」

「あー、ちょっと待った沙羅っち。」握ったままの手を揺さぶって駒引が窘める。「加々宮先生は、もう帰るんですって。今こっちに向かっている、迎えの弟さんが到着次第。」

 怪訝げにした虎川が、

「何故だ?」

「何故って、……まぁ後でお話いたしますわ、我らのマザー!」

 虎川はこれを聞いても表情を変えなかったが、少し思い巡らす様子の後に、ふっとそれを緩めて、

「まぁ、それもお前が計らったことなのだろうから、間違いは無いんだろうな。」

「ええ、。」

 印象的な、光景であった。威圧的な魔女服と傲岸な態度を纏った、或いは纏わされた虎川は、その実なんら力もなんら知識も持たずこうして適当に遇われているのに対し、家政婦長用としてちょっと気の利いた程度のメイド服を着ている駒引は、龍虎会の全てに対する実権と責任を握っているのである。虎川と言う空疎なマリオネットを駒引が贅沢に弄んでいるようにも思えてしまい、その生まれ持った呪いによって人生や精神を歪まされてしまった彼女が、せめてもの救いをこの人形遊びに求めているのかもしれないとまで、私は思わされた。

 或いは、もう少し健気なものかもしれない。つまり、死に別れた友を悼む為に彼女へ似せた人形を拵えて愛でるというのは、葬の風俗としてそこまで奇妙なものでもないのではなかろうか?


(第二章、了)

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