21
とりあえず例の豪勢な寝室へ連れて来られた私は、椅子の上に置かれ、そのままぐったり伸びてしまった。
「どうなさいます? 吐きますか? 洗面器とか、」
「いえ、」私は、何とか首を振って、「お水、貰えますか? うんと、もう嫌となるほど、」
水差しで届けられたそれをグラスへ注ぎ、一気に飲み干した。冷たさが口の中で沁み、食道や胃も拒絶を起こそうとするが、叩き込むようにして何とか嚥下する。荒い息を
「お目に毒と言うか何と言うか、……一体全体、側仕えもなんであんなことをわざわざ貴女の前で、」
その、どこまでも的外れな気遣いを聞き続ける余裕の無かった私は、椅子から起き上がれもしなかったくせに、
「もう、大丈夫です。大丈夫ですから、どうか一人にさせて下さい。」
しかしナミは、私に何か有ったら責め上げられる立場らしく非常に悩ましげにし、結局私を椅子ごとえんらこらと、固定伝話器の所まで苦労して運んで見せた。
「少しでも不味くなったら、絶対に掛けて下さいね。」
彼女はそう言って残し、私はやっと一人になれた。
私をここまで打ちのめしたのは、当然、そんな、少女のようなスクウィミシュな未成熟ではなかった。もっと複雑で高慢な、具体的に述べれば、初対面の小玉に対して大口を開けて脅かすことで音声発信器を隠し果せたと言う、ややもすれば生涯心の中で武勇伝として自慢にしてしまったであろうあの出来事が、あの嬉しさが、あれだけ不器用で、あれだけ私を助けてくれた小玉の生涯を終わらせることになり、ひいては彼女の生きる目標であった、彼女の家族の貧しさを救うと言う仕事も、不可能としてしまったということである。後に彼女を死に至らしめることとなる、あのトリックを、しかも彼女の人生の負い目が形成した気弱さを衝いてという悪辣なものであったそれを、私はついさっきまであれだけ誇りにしていたのだ。なんと愚かしく浅ましい誇りであったのだろうか!
そうやって一人喘いでいると、扉が開かれた。駒引だ。
「涼。お風呂、一緒にどうかな。もう、疎う理由は無いだろうから、宜しければと念の為訊いてみるだけだけど。」
私は、一応ちょっと考えたが、やはり、
「済みません。そもそも入浴出来るような状態じゃないかも、です。」
駒引は、うんうんと頷いてみせ、
「じゃ、私も今夜は良いかな。たまには、朝シャワー浴びるとかで誤魔化しちゃお。」
そういうと彼女は、有無を言わさず私の身を抱えて見せた。その病的に白い肌に反し何かしらで鍛練を積んでいるのか、駒引は綽々とそのまま私をベッドに運んでしまう。明かりを消してから、彼女ももぞもぞと入り込んできた。
ふう、と息を吐いてから、暗闇の中で、
「一応言っておくけど、別に、貴女に意地悪したくて彼女を殺した訳じゃないからね。」
「分かって、ますよ。」
「あれも、アタシに課せられた仕事、誰が死に誰が生きるかを決めねばならないという責務の一つ。今回の涼にやられたこと自体は、まあアタシ個人としては舌を巻いて寧ろ好もしいと感じたけど、でも、例えば爆弾とかそれこそ銃器だったら、アタシか沙羅が死んでいたのだからね。沙羅、というか沙羅っちなら、何とかならないことも無いけど、……でも、アタシは絶対に死ぬ訳には行かないんだ、この組織の為に。だから、ああ言うのに対してだけは、死を以て断ぜねばならないんだ。龍虎会全体を、護る為にさ。」
洟を啜るような、音が聞こえてから、
「馬鹿な子だったよ、渚もさ。」
私は首を曲げて、駒引の方へ視線をやった。闇の中に、鼻筋が山脈のように秀でているのが辛うじて見えるだけである。
その麓の、口許の辺りの影が蠢いて、
「でさ、何故貴女にあれを見せたのか。それは、貴女に、貴女の行動の結果を余す所無く知って欲しかったから。そう、大したことなさそうな話でも、とにかく他者を嵌めたりするならば、その結果は存外に凄まじいものになりうると一度知っておいて欲しかったから。例えば積荷一つくすねただけで、被害者の運び屋は造反を疑われやっぱり殺されるかもしれない。また、その積荷の不足が、誰かに致命的な結果を齎すかもしれない。これが、法に縛られず、自分や組織の正義で行動する時にどうしても纏ってくる責任、あるいは副作用なんだ。
涼。貴女は、災炎の魔女を捕らえる為にこんな世界へやって来たと言った。多分そうしたら、貴女は誰も殺す気は無かったのだと思う。でも、今日有ったように、貴女にそんなつもりは無くとも、貴女が多少なりと無法なことをするなら、その行動は誰かの死や破滅に繫がりうる、そう、知っておいて欲しい。そして、これを知って後悔するなら、足を洗った方が良い。或いは、忸怩を転嫁出来るように、大人しくウチの軍門に下った方が良い。……彼女を殺した私が言うのは本当に奇妙なのだけど、でも、この私の心からの忠告を、心に留めておいて欲しいんだ。」
私は、天井の方へ視線を戻した。
「ひとつ、お訊ねしても良いですか?」
「何?」
「何故、さっき殺そうとしたくらいの私を、そこまで思って下さるんでしょうか。」
「そうね、」真剣そうな、間が置かれた。「まず、アタシは、殆どの場合殺してたくて銃を撃つ訳じゃない。護る為に殺さねばならぬから、そうするだけ。……やってらんないから、つい口では威勢のいいこと言ってみることも有るけどさ。仮に、アンタがアタシの秘密をどこかに売っ払って、それを買った奴らのせいでウチが――と言うか多分アタシが――少なからずの被害を受けたりしていたらさ、そりゃ涼、アンタを八つ裂きにしても足りないよ。でも、そういうことが有った訳じゃない。アンタは何もしてない。ただ、その知性で見出し、狡猾さによって担保した情報を、そんなこと百も承知なアタシの前で再提示しただけ。何も、起こっていないんだ。なら――逃してしまうのは本当に残念だけど――アンタを恨む理由は特に無い訳で、そうしたら、殺す理由も恨む理由も無いアンタのことを心配するのは、尋常な態度ではないかな。アンタのこと、結構好きだったのは本当だし。
それとね、……どこかで羨ましいんだと思う、普通に、生きていられる連中がさ。私は、修羅の道しかなかったから。だから、涼、多分アタシは、アンタに普通に生きて欲しいんだよ。これは、アタシの独り言だけどね。」
つい漏らした
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