19

 私は、要求されてもいないのに両手を挙げ、

「待って下さい、駒引さん、」

 少し、吃った。

「何? 何で? どうして? 何故私に、貴女を数秒だか数分だか生き永らえさせる必要が有るの? 貴女の立場からですら、そんな僅かに生き延びる意味なんて特に無いのではなくて? なら、良いじゃない。私は、私の秘密を探り当てた馬鹿者を消すことで、龍虎会の安全を確保出来る。貴女は、さっさとこの怖ろしい情況から救われる。ウィン・ウィン・コンディション、望ましい結末と言うやつよ。さあ、早いこと幕を引こうじゃないのさ!」

「いえ、」私は、必死に首を振った。「違います、ここで私を撃ち殺せば、貴女に大きなデメリットが生ずるんです。」

 駒引は、顔だけは愉しそうに笑いながら、

「はあ? 貴女が余計なことを知り、そんな貴女をこの場で撃ち殺すことで、何が起こるというの? 別に、何も起こらないでしょう。そりゃ死体の処理に面倒くささは無くもないけど、それは発註先を間違えた勉強代として受け入れてあげるから、さっさと往生なさいな!」

 私は、喉を擦り切るほどに、必死で、

「駒引さん! まず、前提が間違っています! 私を殺せば、私の暴いたことを封印出来ると言うその奢りが!」

 まず苛立ちを、続いて訝しげを顔に泛かべた駒引の前で、私は自分の髪の中を探り、それを取り出して見せた。

 そのまま、駒引へ差し出すようにし、

「分かりますか?」

 駒引は、近眼の人間が頑張っているかのように目を搾ってそれを見つめ始め、数秒後に、

「はぁ? ……なんで!?」

 私は、またホールドアップの姿勢に戻りながら、

「御存知ですか駒引さん、流石、見識がお広いですね。

 そうです、発信器です、集音機能付きの。失礼ながら私、ここに来てから聞こえてきたことを、全部送り付けていたんですよ。」

「誰へ!? アンタの弟!?」

 図星だが、私はしらばっくれて、

「それは言えませんけど、とにかく、私がこのまま消息を絶てば、受信者はその内容を然るべき場所へ流してしまうことになります。それが当局なのか、メディアやウェブなのか、はたまた貴方方の商売敵なのかは、彼らの判断次第ですが。

 ……こういうのはどうですか、駒引さん。私を殺さずに帰してくれれば、見返りに誰へも口外しないままにしてあげますよ。」

 半ば茫然としている駒引は、最早銃口を下ろしてしまい、音高い荒い呼吸の合間合間に、

「何故? どうして、そんなものが持ち込めている? 身体検査は、ちゃんとさせた筈じゃ、」

 私は、つい口角を上げてから、

「あの時の小玉さん、検査の最後に私の頭の方へ手を伸ばして来たので、ちょっと脅かしたらたじろいでそのまま通してくれましたよ。」

「あの、……間抜け!」

「と言う訳で、私はこっそりこんな機器を、貴方方との約束に反して持ち込んだ訳ですけど、……でも、お相子ですよね? 銃で脅されて帰してもらえないなんて、こっちも聞かされてなかったですから。」

 デスクの向こうに佇立したままだった駒引は、暫く固まった後、椅子を引き出して座り込んでしまった。諦めや疲労の色が、顔に濃く滲んでいる。

「じゃあ何、貴女が一緒のお風呂嫌がっていたのって、」

 私は、漸く両手を下ろして、

「あ、分かります? はい、髪の中に仕込んでいたこの発信器を付け外ししているのを、脱衣所で見咎められる訳にいかなかったからなんですよ。お腹にちょっとした傷が有るのは事実ですけど、正直別にコンプレックスにするほどのものでもないので、」

「でも傷自体は本当に有ったから、初日のお風呂でも自然に貴女はそれを隠す素振りを出来ていた、と、」

「はい。そしてその直前、唯一貴女と一緒に脱衣所を使った時に、私が出来る限り貴女から距離を取ったのも同じ理由です。このを、見つかる訳にはいかない、と。」

「そういえば、……そんな事も有ったね。」

 駒引は天井を仰ぎ、額に左手を宛てつつ、

「最っ低。こんな、綺麗に出し抜かれたのなんて久々、いや、初めてかも。」

 明らかに殺意の熱を失った彼女へ、私は、

「駒引さん。どうでしょう、私はこれからも龍虎会からの依頼は請け負うつもりですので、取り敢えず家に帰させて頂けませんか? そこらの複写魔術師に依頼をすると余計なことが漏れるかもしれない、という懸念は、もうどうせ知りつくしてしまった私を使えば回避出来るでしょうから。」

 これは、私を捕らえたがった理由の一つを勝手に推測した上での言葉だった。

 駒引は、目を閉じてじっと考え始めた。眉を寄せた苦悶の表情を泛かべた首を二三度振る、ということを何度か繰り返してから、漸く、

「条件が有る。」

「なんでしょう。」

「まず、今回のお金は支払えないかな。」

「何故?」

「貴女がそんなものを持ち込んでいたのは、明確な契約違反だからね。」

「契約の委細は知りませんけど、でも、そうなるとどう説明するんですか? 銀大に、」

 駒引は、う、っとした顔で黙った。発信先が本当は銀大である以上、当然彼はこの話を――きっと物凄くどぎまぎしながら――全て聞いているのだが、そんな事は駒引は知らない訳で、ならば、銀大が受信者と言う真実を隠し通す為に、詐欺的に指摘せねばならない点だった。

「絶対彼は不審に思いますよ、何で支払いが行われなかったのかって。余計な疑りを抱く人間を減らす為に、つまりこの話を私と貴女と発信先の三者の中で閉じる為に、ここはすっきりお支払い頂いた方が良いと思うのですけど、」

「ああ、分かった分かった、私の負けだよ! どうせウチとしちゃ大した額じゃない、してやられた仕返しにちょっと意地悪したかっただけだから、払うよちゃんと!」

「そうして頂けると助かります、今後の銀大の意欲の為にも。」

「正直、すず、アンタにさせた飲み喰いの方がずっと高くついたしね。」

 ……恐ろしい話だな、おい。

「で、こっちは真剣な条件。今後、何らかの形で私の秘密が他所よそに露見して、かつ、アンタ達のせいじゃないと確信出来ない場合、……その時こそ、私はアンタをぶち殺す。」

 つい退け反ってしまったが、しかしすぐに気を取り直し、出来る限りの笑顔で、

「勿論です。それくらいでなければ、私を解放して頂いたことに対して面目が立たないでしょうから。」

 駒引は、龍虎会の真の首魁は、神妙な顔でまた少し黙り込み、そしてその後、

「うん、良いでしょう。私は何も知られていないし、貴女も何も知っていない、そんな貴女は明日普通に帰って行く。これでいい?」

「はい、この上無いかと。」

 彼女は、溜め息に続いて、

「それだけのことを握っておいて、……要求が、単に帰宅かぁ。ちょっとがっかり、つまり命に賭けてもこの邸を去りたかったと思われたのが、正直悲しいね。銀大っち以外に家族も無いって聞いていたのに、」

「ええっと、私、どうしても遣りたいことが有るんですよ。」

「もしかして、……〝災炎の魔女〟?」

「あれ、御存知でしたか?」

「なぎっちがなんか資料庫あさってたからね。あれ、貴女に見せる為でしょう?」

「ええっと、はい。そうなんです、私、〝災炎の魔女〟を捕まえてやりたくて。そもそもこういう危ないお仕事を請け始めようと思ったのも、その為でして、」

 駒引は、うんうんと頷いてから、

「成る程ね。そうしたら、ウチで子飼いにされている訳にもいかないのか。」

「はい。どうしても、今後多くのと関わらないと、」

 あ、

「ええっと、駒引さん、」

「ん、なんだい?」

「うっかりしてたんですけど、そういう訳なので、私、無事に魔女を取っ捕まえたら、引退しちゃうつもりなんですよ。こういう、表立てないお仕事からは。なので、さっき龍虎会からのお仕事を今後もお請けするとは言いましたが、」

「ああ、」駒引は、幸いにも笑ってくれた。「パートナーを潰しまくってくれている災炎のについては、ウチもどうにかしてやりたいと思っていたんだ。守りばかり上手い私らとしては、大した行動を取れていなかったけどね。だから、貴女が本当にアイツを叩きのめしてくれたなら、いいよ。それ以降は涼のこと諦めてもいい。本当はお礼したいくらいだから、その分ってことで。」

「有り難う、御座います。」

「ま、夢みたいな話で、期待していないってのが正直な所だけど、……でもまぁ、頑張りなさいな。ウチとしても、協力出来る時はするからさ。」

 私は、もう一度お礼を述べてから、

「ところで、なんですけど、」

「まだ何か?」

「ああ、いえ、これはどうでも良い話なんですが、……駒引さんって、〝ムネッチ〟とか〝アノクダッチ〟って言葉聞いたこと有ります?」

 駒引は、表情を少しだけ引き締めてから、

「何故?」

「いえ、……駒引さんが呼称に付ける『〜っち』ってやつ、そういう所と関係有るのかなぁ、って。」

 これを聞いた駒引は、深く座り直し、満足げに自分の顎を撫でながら、

「いやはや、凄いね涼。頭の回りが良いだけじゃなくて、教養も中々だ。逃したのがますます惜しくなっちゃうよ。

 で、そうだね。知っているも何も、私の魔術の名前は〝阿耨達池あのくだっち〟だからね。」

 私は、軽く握った拳を自分の口許へ持って行って、両三度小さく頷いてから、

「阿耨達池。伝説上の、人間界の全ての源であり、また、幾度も恵みの雨をこの国へ齎した竜王も住まうていたという池ですよね。」

「そう、洒落た名前でしょう? まぁ他の魔術師と同じ様に、私が付けたんじゃなくて勝手に泛かんできた名前なんだけどさ。」

「確かに、小粋ですよね。自分自身が直截に雨を齎すのではなく、自身が養っている竜王が、つまり魔力を注ぎ込んだ相手が、雨を齎すのだ、という。

 そして話は戻るんですけど、……『〜っち』って呼称、もしかすると、余り良い意味で使ってませんよね?」

 駒引は、くすくす笑った。

「そうだね、涼。『』という意味を籠めているから、至上の池である阿耨達池を自称する私からすれば、『お前は私よりも下だ。』という意味になっているね正直。」

「何人か、ええっと、霞さんと雫さんでしたか、については『〜っち』と付けていませんでしたけど、」

「そうそう。あの二人は私の腹心でとても信頼しているからね、そんなを使わないのさ。」

「すると、先程から貴女が私を呼び捨てにしているのは、」

「光栄に思ってくれて、良いと思うよ。うん、私は貴女を認めたよ、涼。」

 複雑な言葉だが、素直に喜んでおくことを私は選んでおいた。

「しかしそうすると、駒引さん、貴女は虎川さんを蔑称で呼んでいるということですか?」

「ああ、それは、」ちょっと、間が空いてから、「まぁここまで知られちゃ話しても良いか。うん、今の沙羅って、四人目なんだよね。」

「……はい?」

「この間涼に話したじゃない? 私がどういうな人生を送ってきたのかについてさ。あの話は、殆ど真実だったんだよ、実際には私と沙羅の役割が逆だったけどさ。そう、つまり、適当に排出せねば近くに居る誰かしらを勝手に雨女にしてしまう私は、あの話の通りに蔑まれていたし、私と沙羅が手を組んでこの組織を組み上げてきたのも本当なんだ。でも、引き籠もっている私と違って、表に出る雨女役はやっぱり危ないみたいでね。あの沙羅は、ある時ウチの反対組織に襲われて、そのまま死んでしまった。

 ……で、それ以降は、適当に最低限の魔力を持った、適当に沙羅に似ている女を見繕って、雨女役に宛てがっているだけなんだよ。継承の儀式によってマザーの力を新たな依り代に移らせた、とか身内には適当なことを言ってさ。だから、本当の、つまり若かった、まだまだ弱かった頃の私を支えてくれた『沙羅』には心から感謝しているけど、でも、それ以降の沙羅については、『美味しい思いさせてあげるから矢面に立ってね♡』って合意を取って雇っているだけだから、まぁそりゃ私からの敬意も高が知れるって感じ。寧ろ大事でしょう、お前が持ち上げられているのは見かけ上だけなのだ、と、日々の呼称で呪ってあげるのはね。

 だから、正直、涼へ今回の話を依頼した時も、予備の『沙羅五号』が手に入ればいいなぁって、気持ちはちょっと有った。……おチビさんが来ちゃったから、そっちの宛ては完全に外れたけどね。」

 思わぬ話を聞かされた私は、ちょっと整理してから、

「なんだか、……残酷、な話ですね。」

「勘違いして欲しくないけど、死んでしまっても良いや、とか、死んでくれた方が良いとか、歴代の沙羅に思ったことは一度も無いよ。安全は、最優先の事項にしてる。でも、こちらは雨を降らせる女で、向こうはの戦闘向け魔術師だったりするから、外で襲われたりするとどうしても、さ。」

 駒引は、目を逸らして寂しげな表情になった。あの日、食卓の燭火の向こうで見た赤子の顔だ。

「ようは、命の選択、つまり誰が死に誰が生きるかを決めなきゃ行けない、そういう立場なんだよね、アタシって。……もっとさ、他の皆みたいに、それこそ無能力者みたいに普通の人生を歩めればこんなことしなくて良かったんだろうけど、でも、どうしてもこういう生き方しか見つけられなくてさ。この、呪わしい、生まれ持った魔術のせいでね。」

 彼女は、言いきってから数秒置き、それから私の方をじっと見つめつつ、

「涼。」

「……なんでしょう。」

「貴女、こういう、魔女染みた、つまり非合法な仕事って多分まだ経験浅いよね。」

「……舐められると思って話していませんでしたが、正直今回が初めてです。」

「なら、私は、ここを去る貴女に餞を送りたい。魔女たるとは、どういう意味なのかを今から知らしめてあげたい。ただ、少しばかり刺戟しげきが強いかもしれない。……どうする?」

 駒引の表情は、これまで一番荘厳で、ここでうべなってしまうと、つまり彼女からの劇薬を受け取ってしまうと、恐ろしい目に遭わされるのだぞと警告してくれているかのようであった。しかし、逆にその荘厳さが、私に手渡そうとしてくれるその劇薬に籠めた真摯な思いを物語っているかのようでもあり、それを抛つことは、魔女たる我々にすら許されない、人道的な大罪であるように私には感ぜられたのである。

 神妙に、頷いてから、

「頂きたいと、思います。」

「よし、ならば、ここに残っていなさい。」

 そう言うと駒引は、例の白銀色の伝話器を前ポケットから取り出して、廊下に退いていた連中を呼び寄せた。

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