20

 興奮して話し込んでいた私が意図せず前の方へ寄っていたことも有り、呼び出された兵隊や使用人達は、自然と入り口の辺りへ蟠ることとなった。

 駒引は、特に彼らへどうしろとも言わず、

「まず、ええっと、まぁどうせ後で全体へ流れる話だけど、手伝ってくれた皆には今伝えておこうかな。涼は、というか加々宮先生は、結局明日お帰りになることになりました、と。ただ、今後普通にお仕事を依頼することも有るだろうし、お客様としていらっしゃることも有るかもしれない。まぁそれくらいに思っておいて。」

 これを聞かされた彼らは、不思議そうな顔もする者も居れば、うんうんと頷く者も有り、十者十様という有り様であった。列を為していた時の仏頂面とは全く異なって驚くが、緊張しないで良い場面ではこの程度に人間臭いのかもしれない。

「で、……涼、ちょっとそれ投げ寄越してもらえる?」

 ……うん?

 少し躊躇ったが、別に今更壊されても――金銭面以外で――困ることは無いので、素直に発信機を駒引へ放ってやった。

「ああ、有り難う。で、なぎっち、前へ出なさい。」

 呼ばれた小玉は、仰天したような顔を見せた後、おずおずと私の脇の辺りへ進んだ。この動きに呼応するかのように、駒引は立ち上がっている。

「なんでしょうか、側仕え、」

「これ、なんだと思う?」

 ……あ、

 小玉は必死に目を凝らし、OKサインの要領でつままれているそれの正体を定めようとしていたが、痺れを切らした駒引が、

「これ、音声の発信器なんだけど、」

「ええっと、はい、」

「涼が、髪の毛に隠して持って来たって言うんだ。」

 これを聞いた小玉は、らいに撃たれたように呻き声と痙攣を露呈してから、腰を殆ど直角に曲げて、

「も、申し訳ありません側仕え!」

「いや、申し訳ないとかいいから、顔上げて。……うん、そう。で、確認なんだけど、こちらの加々宮先生の身体検査を担当したのは、」

「私、です。」

「そうだったよね、うん。

 で、その時、頭部のチェックは、」

 観念するかのような声音で、

「怠り、ました。」

「触っても?」

「……いません。」

 気の毒で聞いてられないな、と思った私が、つい小玉の居ない方へ視線を逸らすと、その刹那、凄まじい轟音で耳が劈かれた。後方からの騒めき、すぐそばからの呻き声。そして、唯一静かになった正面では、発砲したばかりで湯気を立たせている、エディプス四○○○を構えた駒引が立っていた。恐る恐る、足許へ目をやると、右の、膝から先が肉屑と化して消滅した、小玉が血溜まりの中で蠢いている。

「なぎっち?」傲然たる声音で、「あんたのドジ癖についてはとっくに諦めていたし、まぁ一所懸命ではあるからいつかは何者かになってくれるでしょう、と思って見守っていたんだよ。だから、多少の粗相は気にしないで笑って済ましていた。

 でもさ、アンタさ、……これだけは怠るなと言ったことが有ったよね? つまり、マザー或いは龍虎会の安全に関わることだよ。身体検査も満足にされていない人間を、お前のせいで、我々はマザーの所へ通してしまったんだ。これはね、アンタ、笑って許せる範囲を余りにも超えている。」

 駒引は、続けた。

「もう一つ訊いておこっか、なぎっち。私がアンタの足を撃ち抜いたのは、何でだか分かる?」

 顔を苦痛と疑問で顰めつつ足許で喘いでいた小玉は、なんとか膝立ちまでは姿勢を直したものの、しかしそこからは視線を駒引へ返すのだけで精一杯だった。

「時間切れ。」再び、銃口が向けられる。「そうやって跪いてもらわないとさ、……頭を撃ち抜こうって時に、他の皆を誤射しちゃうかもしれないでしょ?」

 目を逸らす隙は、与えてもらえなかったのだ。エディプス四○○○の銃口が落雷のように光ると、その次の瞬間には、小玉の頭が爆ぜていた。彼女の、気弱で健気な精神を象っていた脳は、今や、血の赤と肉のあかの乱れ交じる中で、柔らかな乳白色の破片を無防備に晒している。そして残された、四肢の内の三つは、己の死に気が付かぬまま、いや寧ろ、失われつつある命を必死に留めんとして心臓の搏動を助けようとしているかの如く、懸命にばくんばくんと顫えていた。血の、死の、あるいは命の薫りが、彼女の本当の薫りが、私の鼻をしたたかに搏つ。

 駒引は、連射による自身の肱への負担に顔を顰めながら、しかし素早く携帯伝話器を取り出していた。これまでに私へ見せていた白銀色のそれでは無く、赤と黒のツートンカラーの、ずっと小型な伝話器を。その小ささが、充力器を内蔵していない、つまり魔術師として用いねばならない機種であることを私に理解させた。

「FF? どっち? ああ、奈津美なつみの方か。いやまぁどっちでもいいけど。ええ、私、ウーラだけど、ええっとさ、新鮮な死体有るんだけど、どう、要らない? 二十代前半で病歴とか確か無し。 え? いやだから新鮮だって、三十秒くらい前に殺した。え? そんなこと言ってもしょうがないじゃない、今さっき殺すこと決めたんだから。……うん、うん。そう、後腐れ無いっていうか、消滅してくれた方が何かと安全な死体。……うん、分かった、じゃあ取って置くね。はーい。」

 この通話の間、部屋の中に居る他の連中の様子を窺ったが、蒼ざめる者、顔を顰めつつ口許を押さえる者、ちらちらとドアの方を見て退出を願っている者と、一様にまるで勇ましくなかった。

 ただ、二人だけを除いて。

「霞。雫。それ、大冷凍庫のどっかに放りこんどいて。まだ空き有った筈だから。」

「承知しました。」

 どちらからとでもなくそう言ってから、無表情な彼らは大袋を何処からか取りだし、血肉にまみれることを厭う素振りも見せず、小玉の亡骸をせっせとそこへ詰め始めた。

 駒引は、銃と赤い伝話器を仕舞い込んでから、

「いいかな、皆。私は、なるべく貴方達に慈悲を与えたいと思っている。多少ヘマをされてウチが損しようが、あるいは私が、いやマザーでさえも、幾らか不快な目に遭わされようが、窘めはすれど、それで終わりって決めてる。

 でもね、どうしても譲れないこと、許せないことも有る。その失敗が、どうにも手抜きとしか思えず、またその手抜きが、龍虎会やマザーの安全をこぼつものであれば、私はそれを絶対に許せない。今回の小玉なら、加々宮先生の頭に手を突っ込んだが見逃した、と言うならまだしも、頭部に触れてすらいないというのは、私の指示に明らかに反していた。その原因が怠けだろうが気弱だろうが、とにかく私はそれを決して許せない。

 日頃馬鹿なことも言う私だけど、でも、私の仕事は、この龍虎会を護ることなんだ。如何に手を汚そうが、如何に心を殺そうが、どんな手を用いてもこの場所を護ることなんだ。この仕事を危うくしようと言う者は、絶対に許さない。」

 黙々と作業を続ける雫と霞の立てる布擦れ音以外には、何も聞こえない、何も起こらない、血なまぐさい静謐が暫くそこにあった後、駒引は、声の大きさだけは絞って、

「以上。皆、今一度銘肝するように。」

 それから、すっと表情を和らげつつ、私の方を見つめ、

「どう、涼? もう休んでもらって構わないのだけど、今夜も私と一緒の部屋のままで良い? それとも、」

「いえ、」

 私は、何とか返事をしようとして、それが引鉄となり、胃に凄まじい痙攣が走り、施された夕食を思いきり口まで戻してしまった。懸命に、それを押し返そうとする。この嘔吐をこらえることが、私が魔女になる上で不可避な試煉しれんであり、かつ、小玉の生と死を無下にしない為の唯一の方法であると、私には何故か確信めいて感ぜられたのである。栗鼠のように頰をふくらませていた私は、複数回に分けてなんとか全てみ込み直し、口の中の米粒のような異物感や、呼気に吐瀉物の臭いが混じり入ることを気にする余裕も無く、ただ、駒引を見据え、しっかりとした声で、

「宜しければ、是非今夜も御一緒させて下さい。殿。」

 私のこの醜態を余すことなく、つまり目を逸らさずにじっと見届けていた駒引は、神妙に一つ頷いた。

「分かった、それじゃ後でね。じゃあ皆、もう散っていいけど、ええっと、ミナっち、――ああいや女のが良いか。そうしたら、ナミっち、加々宮先生の面倒をちょっと見てもらえる?」

 崩れるように膝を着いた私は、ナミと呼ばれた女性に支えられるようにして、その血腥い部屋を漸く後にした。

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