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 その後それぞれの造反者を縛り上げた私達は、本来は全員目の届く所に転がそうとしたのだが、いかにも重労働になってしまうのでせめて加連川だけは秘密基地部屋に運び込み、それ以外の野郎達はその場に放置しておくことにしたのである。私が、憔悴しきった加連川を狭いシャワー室に叩き込んで戻ってくると、丁度汐路はどこかへ伝話を掛けていた。

 短くなかったそれが終わると、汐路はぽつりと「お待たせ。」とだけ言い、適当な椅子に座り込んでいた私へ、しゃがみ込むことで顔を近づけてきてから、

「本当、有り難うセンセ。私なんかに味方してくれて。カレン達に与した方が、身も安全だし儲けられもしたでしょうに。」

 私は、つい、照れを隠すように理窟っぽく、

「ええっと、どうでしょうね、それは。もしも全てが終わっていたら、私は加連川さんに始末されていたような気もしますし。だってそういうつもりだった方が、貴女の不在を衝く意味が大きかったでしょうし、それに、仲間だった貴女を棄てるのにも拘らず、完全に他人な私には約束通りお金を寄越して解放するだなんて、そんな、辻褄の合わないことなんて有るでしょうか?

 でも実際、一日早かったら分からなかったかもですね。あれだけ私に打ち明けてくれた汐路さんを裏切るなんて、私にはどうしても出来ませんでした。……いつかピースメイカーに依頼をしたいって約束は、反故になっちゃいそうですけど。」

 汐路は、回転椅子に掛けながら笑った。

「あはは、そうだね。流石にもうアイツらと組む気になれないから、今日で解散かな。でも、ピースメイカーではなく汐路紗智夜としては、貴女を手伝わせて貰いたいよ。

 ……うん、お金なんか要らない。戦友として、共に仇敵を討つベく戦わせて貰いたいな。」

 私は、この言葉を、疲労に満ちた躰で心地よく聞いていたが、ふと思いだし、

「そう言えば、私の方への依頼ってどうします?」

「え? ……あー、」

 彼女は、躰ごと椅子をくるくる揺らしながら、

「あー、あまりの騒ぎに忘れてた。そう、まだ先生に何もしてもらってないじゃん。」

「一体、どういう御用命で、」

「いやさ、」何と無しに上を見上げながら、「言ってたじゃない、私の情報が残っちゃっている場所が一箇所有るって。」

「ああ、昨晩聞いたような、」

「病院なんだけどさ、つまり、あんな目に遭った私を治療してくれた病院。そこに私のカルテ情報とか残っている筈なんだけど、どうでも良いと思っててすっかり忘れてて、そうしたらシステム大改修が入っちゃって、私一人じゃ突破出来なくなっちゃったんだよね。つまり、クラックの為に二箇所の防火壁を同時に解除しないといけなくなったんだけど、さっきカレンを助けたみたいに消し飛ばす訳にはいかないんだよね、そういう痕跡を残すことで私らの侵入が露見すると不味いから。だから、そっと触るしかない。二箇所の離れた場所の防火壁へ〝非武装主義者〟の魔力を同時にこっそり及ばせるしかないんだけど、……その為には当然、非武装主義者が二人必要でね。」

「そういう、ことでしたか。なら、ええっと、今からやってしまいます?」

「いや、……難しいかな。私と貴女が没入して防火壁を解除して、そして少なくとももう一人、コンピューター操作して攻撃を実行する奴が必要なんだよね。しかも、肝腎の攻撃用スクリプトが未だに完成していないって言う、……これは単に、私の未熟のせいだけど。」

 汐路が気恥ずかしげに顔を逸らした所で、突然、入り口のドアの音が鳴った。私と彼女が立ち上がって緊張すると、へらへらした安部の姿がそこに見える。

「よう紗智夜姫、お元気?」

 私が銃口を向けると、

「待った待った待った! もう抗う訳ねえだろ! 先生、アンタが居たらもう敵わねえよ! というか、今のアンタなら別に要らねえだろそんなもん!」

 と喚きながらも、此方へ歩み寄ってくる安辺へ、汐路は、

「で、糞野郎、何か用? というか、何で拘束解けてる訳?」

「ああいや、」と、安辺は言いながら、汐路に何か投げ渡した。

 彼女は、それを矯めつ眇めつしながら、

「小賢しいね、まだ刃物持ってたんだ。」

 折り畳まれたその、兇器と言うよりも何か便利な工具に近いらしい矮小なナイフは、汐路の手の中で弄ばれ、奇妙な団子虫が観察者の興味が去るのをじっと耐えて待っているかのようだった。

「人を拘束する時は、ちゃんと持ち物全部確認してそういう小道具没収しなきゃ駄目だよ、ボス。」

「参考にさせていただきますわ、下種野郎。」

「で、これで本当に俺は丸腰になったから安心しなよ。」

「安心安全から最も遠いような人間の口が、良く言うこと。で、逃げもせずに何の用?」

「ああいや。ボスが先生をお呼びした目的、まだ達成してないって思いだしてさ。」

 軽口を淀みなく返していた汐路が、ここで初めて黙った。その、バツの悪げな顔に向かって、

「いい加減見せてよ、ボスのスクリプト。ちゃちゃっと直せるかも知れないからさ。」

 汐路は躊躇っていたが、しかし結局無言で立ち上がり、島の向かいに回って自身のコンピューターを操作し始めた。安辺と、そして銃を携えたままの私がそれを追う。

「これ、何だけどさ。ここがどうしても四百番台返してきて、」

 安辺は、すぐに、

「ああ、駄目だこりゃ。明示的にクレデンシャル使用をトゥルーにしないとクッキートークン送らないんだよ、この関数。」

 そう訳の分からないことを言いながら、汐路から奪ったキーボードを凄まじい速度で打ち、私からすると完全に意味不明な三行を追加した。

「これで、いけると思うけど?」

 汐路は、なにやらかちゃかちゃと操作し、そのスクリプトを何らかの形で起動したらしかった。そして、返って来た結果に満足したらしく、無言でうんうんと頷いて見せる。

「それ見ろ。で、他に懸念は?」

「いや、大丈夫。他の問題は今日一日で潰してたから、ここだけ。」

「へえ、……やるじゃんボス。こんなつまらないケアレスミス以外は、完璧に仕上げてただなんて。」

 安辺は、画面を覗く為に曲げていた腰を伸ばし、

「で、どうする? 信用してくれるなら、お二人がファイアーウォール凍りつかせている間に、俺がそれ発火させちゃうけど?」

 ディスプレイに向いたままの汐路は、頰杖をつきながらぼんやり逡巡していたが、椅子を回して振り返り、毅然な調子で、

「最後の命令として、お願い出来る?」

「よし来た、任せろ。」

 

 幻視の中の飛翔を繰り返し、私は漸く、言われた通りのアドレスの防火壁まで辿り着いた。夥しい数の通信がやって来、半ばは通り、半ばは弾かれている。

 気押すようなその威容を眺めながら、

「こっちは、着きました。」

「私も、目の前。」彼女も没入しているせいか、返事が少し遅かった。「安辺、準備は?」

「いつでもオーケー。」

「じゃ、触って、センセ。」

 その言葉に従って、幻視の中で一歩進む。あの厳めしい防火壁の姿が、みるみる内にかそけくなり、そして、消えた。

「いけます。」

「こっちも、……ゴー! 安辺!」

「諒解!」

 安辺が何かを打鍵する音が聞こえると、幾条の、他のそれとは違う迫力をどことなく漂わせながら闇の中を走る通信が、私が失わせたばかりの防火壁の有った場所を通過して行った。そして何故か、そんな訳が無いのに、その着弾点から、何か小気味の良い爆発音が聞こえて私の耳朶を搏ったように感ぜられたのである。

「済んだぜ、ボス、」

「良し、先生、帰ってきて!」

 私は、幻視の視点を一歩退かせて、元通りに防火壁が聳え立って胡乱な通信を撥ね退けるようになったのを見届けつつ、現実の方へ帰ってきた。

 そして、すぐに例のマフピストルを安辺へ向ける。

「おいおいおい、何処まで信用してないんだよ!」

「当たり前でしょ、」困憊している汐路の声だ。「私ら、こうして没入している間殆ど完全に無防備になっちゃうから、恐くて仕方なかったんだよ本当は。つまり、私らを陥れようとしたばかりの男に、身を委ねていたようなものだったからね。譬えばアンタ、ついさっき斬り掛かってきた理容師に、髭を剃らせる気になる?」

「いや、だから申し訳ないからこうしてせめて贖罪しているんじゃねえかよボス! 本当に逆らう気なら他の連中の拘束解いてたけど、そんなことしてねえだろ!」

「まぁね、うん。私からナイフを盗み直さないかは心配してたけど、そうもしなかったみたいだし。」

 汐路は、コンピューターへ手を伸ばす為に曲げていた背を、思いきり椅子へ委ねて、二三度心地良さそうに揺れてから、首だけ持ち上げて安辺の方を見やりつつ、

「感謝するよ、邨夫むらお。」

 呼ばれた彼は、目をぱちくりさせながら、

「気持ちわりいな、なんでいきなり下の名前で呼ぶんだよ。」

「なんで、だろうね。」

 彼女は、連続で目一杯魔術を行使した疲労に打ち拉がれるように、そのまま寝入ってしまいそうな程だったが、携帯伝話器が鳴ったことで目を醒まし、手早く応じた。

「はい、こちら汐路の紗智夜。ああ、ウーラ。どうだった? ……ああ、そう? うん凄く助かる、ありがと。じゃあ、今は死ぬ程立て込んでるから、これで。」

 彼女は伝話を切ると、気怠げに立ち上がり、抽斗から金槌を取り出した。何をするのかと思いきや、今没入していたばかりのコンピューターを、なんと目茶苦茶に打ち据え始めたのである。

 目の前のそれが辛うじて原型を失い始めた頃、息の上がった彼女は、目を剝いている私へその槌を渡そうとしつつ、

「パス。残りのは先生やっといて。」

 私は、取り敢えず受取りながら、

「ええっと、」

「今話がついてさ。このビル、というかその名義を持ってる幽霊会社、龍虎会にあげちゃうことにしたんだ。つまり、もう不要なんだ、この場所は。ピースメイカーが跡形も無く分解するんだからね。そうしたら、うん、余計なデータは残せないから、少なくともコンピューターは全部ぶっ壊しておかないと。と言う訳で、御免だけど宜しく。」

 汐路はそう言うと、また寝入ってしまいそうな姿勢で椅子に沈んだ。安辺の残っている手前本当に寝つく訳にもいかないとは覚悟しているらしく、同時に睡魔や疲労感と戦っているようでもあったが。

「おうおう、名に負うピースメイカーの棟梁様が、まるで原始人みたいな方法採るねえ。」

「データ破棄は物理破壊が最強、アンタも分かってるでしょ。」

「ま、そうだけどさ。」

 そういう技術的な要請も有ったのかも知れないが、本当にそれだけだったかと私は槌を振るいながら訝しんだ。つまり、彼女のこれまでの生涯の末に、彼女の悲劇や努力の結実として結成されたのであろうピースメイカーというチームから去る、と言う重要な出来事に対して、彼女は何か劇的な効果を持った儀式を挿入したかったのではないか? チームの構成員としての自分達が全幅の信頼を置いて、そして実際作業の殆ど全てに於いて使用していたのであろう道具を手ずから破壊することによって、これまでに積み上げてきたものとの訣別を、彼女は実感したいと願ったのではないか? 今私も感じている、手の柔肌が木に擦られる痛みと、肩の疲労とを通じて。

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