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「結局、加連川さんの魔術はどういうものなんですか?」

 歩きながら私がそう問うと、汐路は足を止め、潜めた声で、

「私と逆。つまり、『防火壁を強制的に張る』という魔術ね。対象を選ばない、つまり空間に対しても出来るから、直接触れていなくても短い距離なら事実上貫通して影響させられる。」

 私は、納得して頷き、それ以上の説明が無用であることを言外に汐路へ伝えた。諒解したらしい彼女は、放っては置けぬと言う残りの二人を探すべく、また緊張して先へ進み始める。

 つまり、そう言うことだった訳だ。その強さは勿論体質や性差によって個々で違えど、とにかく人体、より言えば生命体の中を魔力が必ず走っているのだから、それは生命活動に必須なもので、妨げられてはいけないのである。神経と関わりが深いのではないかという学説を何かで見たことが有るが、実際、安辺は、突如無茶苦茶に躰中へ張られた防火壁によってにされたことで、完全に神経系の制禦を失い、結果破傷風患者の様な激烈な症状に襲われたのだろう。そして、防火壁による被害である以上、やはり、汐路が居れば物の数でなくなってしまう訳だ。……、の話だが。

 その後、私は、曲がり角の前でふと足を止めた。不思議そうに振り返って此方を見てくる汐路へ、何と言ったものかと私は悩んだが、結局、

「汐路さん、お願いが有るんですけど、」

 私の少し大きめの声を、窘めることも無く、

「何?」

「もう一度、貴女の魔術を複写させてもらえませんか?」

「え?」

「恐ろしくて、さっきから、私の仕出かした光景が脳裡から離れなくて、……こんな怖い魔術、もう少しでも持っていられなくて、」

 汐路は、眉を寄せたが、しかしすぐに何もかも緩めて、つまり優しげな顔を作ってくれつつ右手を差し出してきた。

「手早く、ね。」

「はい、」

 

「済み、ました。」

 そう、汐路へはっきり宣言すると、騒がしい二つの跫音が曲がった先から駈け込んできた。汐路は此方へ速やかに退きつつ、その主へしっかり相対する。当然のように、加連川と陣内であった。

 果物ナイフを陣内に譲っている加連川は、自棄になったのか血の跡の残る口回りをもう押さえておらず、耳障りに高笑いしてくる。曲がった鼻柱が、その顔に逆説的な威を加えていた。

「サチコ! 元気? 元気だったのね、あは、安辺に刺し殺されなかったんだ、やるじゃん!

 そしてさ、加々宮先生、アンタって本当に優しい娘だね! あは、自らそうやって武器を棄ててくれるだなんて!」

 汐路は、苛立たしげに、

「屑だね、アンタ。」

「は? 当たり前でしょ、屑しか居ないんだってここは。どいつもこいつも、社会の階段と法と安寧と道徳から望んで逃げてきた、屑塗れなんだって! アンタもその口でしょうが、紗智夜! 好き好んで、こんな汚らしい所を拵えたんでしょう!?」

 血管を癇走らせる汐路へ、愚かにも、更に加連川は捲し立てた。

「そう。私達無法の者は、何でもするんだよね、紗智夜! 欲しいものの為ならなんでもさ! そうだから、私はこの陣内も、、挙句の睦言の中で説得してこうして協力してもらってるんだ。つまり、女の武器を使った訳だよ。だって、使えるものならなんでも使うべきなんだから、私達悪党は! 甘ったれたこと言ってんじゃないよ、紗智夜。アンタが、そういう努力や工夫を怠っていただけでしょう!」

 こんな話を堂々とされる陣内も災難だったろうが、そんな事よりも、汐路のことを想うと本当にいたたまれなかった。已むなく魔女へ身を窶し、そしてその直前に女としての性を全て無残に奪われていた彼女へ、こんな言葉は正しく最悪であり、案の定、汐路は明らかに冷静を失って、

「カレン!」

 ナイフを、握った。その手も、声も、そして脣も、漲る忿怒に顫えている。

「殺してやる、アンタだけは八つ裂きにしてやる!」

 この凄まじい反応が想定外であったらしい加連川は、明らかに気圧されていたが、なんとかある程度は立ち直って、

「ま、待ちなさいな! こいつが目に入らなくて!?」

 大童おおわらわで取り出されて突き付けられる代物は、怒りに支配された汐路すらも立ち止まらせる威力があった。一丁の、年代物マフピストル。銃器としてよりも骨董の価値の方がずっと高そうなそれは、カタログスペックの性能を残しているのか甚だ疑わしかったが、人を殺傷すると言う根本性能だけは、この近距離であれば果たしそうであった。

 その威に多少の冷や水を浴びせられながらも、未だ昂ぶる汐路は、

「なに、そんな玩具に頼るなんて、カレンらしくないじゃないか。」

「アンタら二人が忌ま忌ましく〝非武装主義者〟になっていなければ、私も私自身の魔術で貴女達を葬って、――じゃなかった、慄え上がらせてあげたかったけどね! まぁ、でもいいんじゃないの? 私が手配して、私があがなって、私が私の魔力を籠めて発砲するのだから、この玩具による死は私による死なんじゃないかな、紗智夜!

 そう、私がもしも平和な事務員としての人生を送り続けていたら、そんな伝手もそんな金も、そしてこの銃に籠められるだけの魔力出力も培わなかっただろうから、これは私だ、……私の力なんだよ、そうでしょう紗智夜!」

 ずっと、熱を放つ二人の魔女の横で已むなくむっつりしていた陣内は、漸く口をここで挟めて、

「というわけでだ、サチコ。そのナイフを棄てて大人しく投降してくれないか。戦力はこっちが上だ。……別に、俺達はお前を殺したい訳じゃないんだよ。」

「そう、そんな事したい訳じゃない。ただ、貴女の溜め込んでいるお小遣いと、目星をつけている何箇所かの金をまるきり頂ければそれだけでいい。勿論、それには貴女か先生のお力が必要でしょうけどね。

 さあ紗智夜、大人しくなさい! 命が惜しくば、加々宮先生かアンタ、どっちかの身柄を人質に寄越しなさいな!」

 忌まわしげに顔を歪める汐路の横へ、つまり一歩先へ、私は踏みだした。そして、そのまま歩みを止めず、加連川の方へ向かって行く。

「ちょっと、先生!?」

 加連川は、にやにやしながら両腕を低く広げ、私を出迎える。この腕の動きは本来友好を示すものであろうが、顔に泛かぶ好戦性と、右手に携えた小銃が、その善良性を黒々と上書きしていた。

「賢明ね、先生。冷静な判断は、我々法に護られぬ悪党に於いて重要だからね。」

 私は、まるで、その拡げられた腕に抱かれることを期待しているかのような距離まで詰めてから、

「ええ、」

 良く化粧に描き込まれた目を見据え、こう言った。

「全く、同感です。」

 そして、矢庭に右手を加連川の豊かな胸許へ当て、全力で魔力を発射する。

 その勢いで後ずさった私へ、きょとんとした顔を一瞬見せた加連川だったが、須臾の内に理解したらしく、予感の恐怖に顔を歪め、やがてまもなく、絶叫しながら顚倒した。

「あ、が、」

 空間を経ずに直截叩き込んだせいか、安辺の時よりもその痙攣はずっと壮絶で、白目を剝き、弓のように背を反らしたかと思えばまた伸ばし、そして反らし、という繰り返しによって幾度となく頭を打ち据え続け、その度に呻き声を漏らしている。

「え、」後ろから、汐路の疑問が飛んで来た。「ちょっと、先生どういうこと? カレンの魔術を今更行使したってこと? どうやって、」

「ああ、」私は、彼女へ振り返って、「御免なさい、ちょっと嘘きました。確かに貴女の右手をさっきお借りしましたが、……握っただけで、別に複写しなかったんですよ。」

 私は、元の向きの方へしゃがみ込んで、哀れな魔女の顔を良く見ながら、

「私、別に優しくも愚かでもないんですよ、加連川さん。人の気配がしたので、わざと聞こえるように会話しながら複写の振りを演じてみましたが、……存外お人好しですね、貴女も。あんなものを信じて、至近距離への接近を許すだなんて。」

 加連川は、苦悶だけでなく怒りも籠めて目を瞠り、歯も喰い縛ろうとしたようであったが、激烈な引き攣りがそれを許さず、凍えているかのように戞々かつかつ歯を打ち鳴らすような有り様であった。

 身動ぐ気配がしたので、私は加連川の銃を奪い、屈んだままそちらへ突き付ける。

「ストップです、陣内さん。……別に殺したい訳じゃないですから、大人しく。」

 逃げようとしていた彼は、この、射手に経験が無いことによって撃てもしない銃に凍てつかされ、大人しく膝を着いて両手を挙げて見せた。すると、汐路はすぐに飛んで来て、加連川の助命を始めたのである。この余念の無い慈悲は、事態が最早収拾されたことを能弁に表していた。

「何とかなりましたね、汐路さん。」

 魔力の注入を続ける彼女は、頻りに瞬きする横顔を此方へ晒しつつ、

「先生、……なんか、凄いね貴女。完全に、見逸れてた。まさか、そんな強かだったなんて、」

 私は、とうとう腰が砕けて尻餅を搗いた。

「私なりに必死に頑張った、だけですよ。」

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