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「涼ちゃん、私、行儀の悪い冗談言う人嫌いよ?」

 これ以上もなく親しい知己ちきの、躰の底から出してくるような突然の低い声は、聞く者を戦慄させるのに充分なものであったが、しかし、銃口やナイフを向けられて鍛えられた私もこれくらいでは挫けぬようになっていた。

 二三歩、退しりぞいてから、

「冗談だったら、どれだけ良かったでしょうか。……いえ、間違いだったら、どれだけ良いでしょう。鎗田さん、私に暫し論ぜさせて下さい。そして、私の間違いを指摘して、私の無礼を叱り飛ばして下さい。それが、……貴女があの魔女であると言う、つまり父さんと母さんの仇であるという妄念に囚われた、私が、今一番必要としていることなんです。」

 鎗田さんの顔は、綜合そうごう的には殆ど凍りついたままだったが、人間味、具体的には私をいたわるような含みが、僅かに及んで来てもいた。

「じゃあ、取り敢えず言ってみなさいよ。その、妄念とかいうのの根拠を。」

 私は、息を深く、一つずつ吸い吐きしてから、

「まず、私が逮捕された理由なんですけど、……ここ最近の、災炎の魔女の犯行時刻に於いて、私の現場不在証明が確保出来なかったからだったんです。」

 彼女は、眉を非対称に持ち上げてから、

「自業自得よ。後ろめたいことなんかして、つまり人に言えないことばかりしてるから、そうやって無駄に疑われるのだわ。」

「鎗田さん、混ぜっ返さないで下さい。私への説教は、後で良いんです。今は、貴女が被告人なんです。

 話を戻しますけど、つまり、鎗田さんも今仰った通り、私が非合法な魔女として活動している間に、災炎の魔女の犯行が繰り返されたんです。」

「ええ、それで?」

「それで、じゃないですよ。」

 私は、飛び降りるような気持ちで言葉を継いだ。

と言うのは、……鎗田さん、筈ですよね?」

 彼女が、鼻翼を怒らせつつ顎を少し上げる。口許も緩んでいるが、笑んだと言う訳でなさそうで、事実、特徴である笑窪も浮かんでおらず、つまり、ただある種の衝撃で顔の統制を失ったようだった。

「だって、つい最近になって一人営業を再開するまで、より具体的に言えば、少なくとも私が二度目の魔女稼業から帰って来るまでは、貴女はお店の営業を私に頼っていたんですから。

 つまりです鎗田さん、私のアリバイが無かったと言うことは、……貴女のアリバイも、無かったんじゃないですか? 少なくとも、貴女の唯一の公然とした仕事であるファウンテンは、その間営業していなかった筈ですよね。」

 粟立った苛立ちが、彼女の声音に纏わってきた。

「ええ、そうね。その論理は認めましょう。でも、? アリバイの無かった貴女が災炎の魔女でないのと同じ様に、私にアリバイが無いことは、それだけでは何の根拠にもならないわ!」

「確かに、そうです。でも、取っ掛かりとしては中々のものではないですか?」

「そう言うからには、……まだ、話したいことが有るのね?」

「はい、沢山。」

「呆れたこと。」

 そう言うと鎗田さんは、片付け中のうずたかい荷物の中から、慣れた弦楽器を一搔きするかのような澱みない仕草で紙煙草を一本取り出し、そのまま悠然と点火した。彼女に喫煙習慣が有るとは知らなかったので、驚かされる。

 火を点けたくせに、以降は手を下げたまま、まるで口を付けず、

「大体、何を言っているのやら。炭酸飲料を作るだけの魔術師である私が、そんな、人を殺めるだなんて大それたこと、」

「それですよ、鎗田さん。それです。」

 明後日を向いていた彼女の目が、再び此方を射貫いてきた。

「鎗田さん、それなんです。私が貴女への疑いを抱いてしまった、もう一つの強い理由がそこなんです。つまり、貴女の魔術、〝カーボネートラヴァー〟って、本当は、いとも効率的に人を殺傷出来るのではないですか?」

 漸く、鎗田さんが一口煙草を呑んだ。その厳しい顔から吐かれる白煙に、負けぬようにして、

「貴女の魔術は、炭酸瓦斯操作、つまり、二酸化炭素の操作と言うことですよね? 気体操作が可能であるならば、それを対象へ思いきり吸わせることで、意識や命を失わせることは容易だったのではないですか? つまり、二酸化炭素の濃い空気とは、充分な酸素の含まれていない空気なのですから。酸欠は、それ自体が猛毒である筈です。」

「へえ、なかなか勉強しているのね。感心しちゃうわ。」

 善向きな激情を見せることは有っても、こんな毒を帯びた皮肉を吐いてくる彼女を見るのは初めてだった。凍みていた表情はとっくに解凍されているが、それを為した熱を負いて滲み出ているのは、私がこれまで彼女に見出したことの無い、何か悪しき情動だ。

「大体、理窟を振るうのなら、もう少し道理に従って考えたらどうなの? ねえ、涼、貴女、数知れない程私を複写して、その何十倍、いや、もしかしたらそれ以上の回数、私の魔術を行使して来た筈でしょう。なら、分かるでしょうに、私の魔術に、そんな威力なんて無いってことを。発泡ジュースを作るのが、やはり、せいぜいだと言うことを。

 ねえ、貴女、一度でも、誤ったら私やお客さんを窒息させてしまうな、と感じたこと有った? 無いでしょう? たとえば、そう、方位を計る時に、自分の磁石が地軸を乱すことを心配する馬鹿なんか居ない。そんな杞憂は、無駄でしかない。それと同じこと。私の魔力が何百倍に増幅された時に、人を殺められるようになったとしても、現実問題ではそんなもの何の意味も為さない! そうでしょう!」

 荒らげられる声音に籠もる気炎へ、幾らか臆しつつも、私はまっすぐ挑戦した。

「鎗田さん、貴女の言っていることは、透徹しているようにも聞こえます。確かに、貴女の魔術を複写したからって、何か危険性を感じたことはです。また、試しに何度か全力を籠めてもみましたが、事実大したこと有りませんでした。

 ですが、そう、……鎗田さん、私は、まさに先日貴女と約束した通り、、つまり、そういう、貴女の魔術を行使したことが無いんですよ!」

 私の籠めた言外の刃は、息巻いていた彼女を貫いた。茫然と瞠られた目の上へ、しかしすぐに、再びあの不穏な炎が灯り始める。

「鎗田さん!」私は、その火が燃え盛ってしまうのを恐れるように、焦って叫び込んだ。「つまりです、〝災炎の魔女〟は、その名の通り炎と共に兇行を働いてはいますが、実際にはその火災によってでなく、予め、煤を伴わない瓦斯による窒息によって人を殺めておりました。これは、私の推測ではなく、法医学によって確乎と見出されている事実です。

 すると、直接人を死に至らしめる為に点ぜられたのではない、にもかかわらず必ず伴われていた、この炎は、他の不可欠な役割を担っていたんじゃないですか? 鎗田さん、例えば、……その場のさせて、魔術の威力を致死的にする為に!」

 黙って聞き続けている彼女は、何時しか、私を睨みつけていた。この、魔女に相応しい、切っ先の煌めきのような眼光は、最早殆ど自供であったが、しかし、それでも私は、纏め上げねばならない。言葉の、始末をつけねばならない。

「鎗田さん、私の述べているのは、謂わば全て状況証拠です。ですが、貴女が自首するなり、私が通報するなりすれば、然るべき物証を、あの忌まわしい警察共が取り揃えてくれるでしょう。流石にあれだけ人を殺せば、収集された物品も夥しいでしょうから。つまり、……私が何か間違っていなければ、貴女は結局終わっているんです。

 さあ、……早く反駁して下さいよ、私を、叱って下さいよ、鎗田さん! 私は、認めなくないんですよ、嫌なんですよ、……貴女が、父さんと母さんを殺しただなんて! あれだけ笑顔と情を私へ向けてくれた、他でもない、貴女が!」

 私の、嗚咽のような糺弾を浴びせられながらも、しかしこちらを見据えたままだった彼女は、じっと、また煙草を一吸いし、それから寛然と煙を吐いた。この情況に及んでも、尚も私を憚って顔を背けてから吐煙する挙止が、日頃の彼女の優しさを思い出させ、この想起が、今私と対峙している無上の毒婦が、本当に、何かの間違いではなく、あの鎗田玲子その人なのだと改めて思い知らせてくる。残酷な、確認だった。

 彼女は、漸く口を開いた。

「涼ちゃん、私、今とても苛立っているのだけど、何でだか分かる?」

 私が、この難解で突拍子の無い問いの意味と狙いが分からずに、毒気を抜かれて固まっていると、今度こそ、腹の底から響いてくる様な、凄い声が彼女から発せられたのである。

巫山戯ふざけんじゃないわよ、矢田野やたのりょう。アンタの親父とお袋が、そんな、殺したからって蔑まれる筋合いの有るような、上等な人間だった?」


 私は、ずっと勘違いしていた。先程から鎗田さんの目にほの見える炎は、怒りや癪の類いだと。でも、違った。実際にそこへ泛かんでいたのは、窮しての自分勝手な激情などではなく、寧ろ然るべき敵へ臨んだことによる、きよい軽蔑と敵愾だったのである。

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