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 銀大の奴、肝腎な時、例えば龍虎会で虎川らと対峙した時なんかは頼もしかったりしたのに、なんか普段は緩いんだよなぁ。そう言う所は嫌いじゃないけど、しかし、彼が本来こなすべき役割を考えると、寧ろ平常時にシャキッとしていた方が良いのだろうに。

 そんな事を考えつつ、適当に人の居ない場所を探して公園内を彷徨さまよいながら、

「しかし、どうやって、私が今日ここで働いていて、しかもそろそろ店仕舞いが遠くもないってことを把握していたんですか?」

 汐路さんは、こちらへ視線も寄越さず、

「蛙への、『お前はどうやって水の中で呼吸するのだ?』、みたいな愚問だね、先生。」

 この人くらいのクラッカーに掛かれば、その程度の情報はどこかから綽々と浚って来られると言うことか。恐ろしいなぁ、おい。ファウンテンの口コミか何かを漁るのか?

「ま、実は、普通に弟君が教えてくれただけだけど、」

 なんじゃそりゃ。

 結局、公園北端のベンチに私達は陣取った。鞄を探り始めた汐路さんの前髪の一部が、水気のせいで鴟尾の様に撥ねている。これを指摘したものか私が悩んでいる内に、彼女は、鞄から取り出した大袈裟なノートのような物を自分の膝の上に載せた。それが開かれると、なんと、液晶画面やキーボードが出て来たのである。

「ええっと、それってなんですか?」

「ああ、膝上コンピューター。ちょっと珍しいかもね。」

 チームの解散によって端末を失ったことで急遽買い求めたらしいそれは、新品然とした金属な輝きが美しく、打鍵する汐路さんの指捌きもどこか得意げに見えた。

 彼女は、引き出してきた画面の表示をうんうんと眺めてから、

「センセ、伝話器持ってる? 私にちょっと掛けてみてくれるかな。」

「ええっと?」

 私が、良く分からないままに従うと、彼女の穿き物のポケットから振動音が響いたが、汐路さんはそれを完全に無視しつつ、画面表示の変化をただ注視し続けていた。

 何かに納得したのか彼女が細かく頷いたので、私は勝手に切ってしまいながら、

「何事ですか?」

「ああ、いや。今、近所に有る人工的な魔力を、つまり通信とかをこのマシンで拾っているんだけどさ、私の伝話器と、センセの伝話器と、あと天網ヘヴンズネットしかないから大丈夫だね、って。つまり、盗聴とか心配しなくて良さそう。」

「へえ、……流石、そういうところは慎重ですね。」

 空返事をしつつちょっと悩んだが、結局、素直に訊いておくことにした。

「済みません。その、『へぶんずねっと』ってなんですか?」

「あれ、知らない? 防火壁の一種で、薄い代わりに広範囲へ展開出来るんだけど、具体的には、転移魔術を妨碍出来るんだよね。元々は、国境とかに張る為に開発されたやつでさ、」

「あー、」

 そういう話、小玉に聞かされていた様な気がするな。……いや、私が勝手に穿っただけで、聞かされてはいなかったか?

「要所とかに、魔女、或いは単に下手糞な転移魔術師とかが突っ込んで来ると大変なことになるから、そういう大事な場所には絶対に天網が張ってあって、そして、都内だと大抵の公共施設にも一々張ってあるんだよね。」

「成る程成る程、」

「つまり、改めて説明すれば、有って当たり前の通信系しか今この辺には有りません、と。という訳で、心配なくセンセとお話出来るかな。」

 そう口では言う汐路さんだったが、画面表示は切り替えず、また、そこから目も離さなかった。私と話す間も、盗聴や録音の類いを警戒し続けるつもりらしい。この手の、急所を知悉したようなさりげない気遣いに、日頃はそれこそ水を撒かれるほど野暮な彼女の、技術者としての洗煉や矜恃が垣間見えてくる。

「で、お仕事、って言ってましたけど、」

「そう。勿論、後ろめたいやつ。」

 私は、ちょっと居住まいを正してから、

「具体的には、どういう話ですか?」

 彼女は、まず、無言で鞄の中から質の良い紙のプリントアウトを二葉寄越して来た。

 受け取って読み進める私へ、説明を覆い加える調子で、

「これまでに比べれば、随分まっとうだと思うよ。何せ、徹頭徹尾人を救う為の仕事で、市民の誰一人哀しまないからね。」

 確かに、そうではあった。違約云々報酬云々については噛み砕ききれていないものの、ざっと全体を読んだ感じでは、今回私に手伝いを求めている魔女達は、合法的な手段では救いきれない病人や怪我人を助ける為に日々活動しているようなのである。

 しかし、

「ええっと、汐路さん、……この人達、市民、つまり、はただ救っているみたいですけど、……でも、」

「そうね。」

 再会後、しとどを嘆いたり画面を眺めたりで忙しかった汐路さんが、ここで漸く私と目を合わせた。初めて見る、眼鏡にも紫煙にも隔たれていないその直な両目には、今、道楽を勧める調子と身を案ずる調子とが渾然と泛かんでおり、更にその上では、濡れた睫毛が謎めくようにきらめいている。

「センセが信心深かったりするなら、あるいは緩々ゆるゆるとした無宗教者なら、やめておいた方が良いと思う。つまり、死者を冒瀆することに後ろめたさを幾らかでも見出すならね。でも、もしも、私みたいな無神論者で、特にそういうのを感じないと言うなら、ちょっとお勧めしたいんだ。退屈しないことは、保証するよ。」

 別段スリルは求めてないのだが、と思う私へ彼女が畳み掛けるには、

「〝FF〟と縁を作っておくのは、色んな意味で悪くないことだと思うしね。」

 ……えふえふ。どこかで、聞いたような名前だった。

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