26

「じゃあセンセ、そっちに掛けて下さいますか。」

 そうやって、黒髪の女性のデスクの反対側に位置していたテーブルを汐路に示される。反対側と言うことで、つまりそっちは右方であり、彼女の放り投げた服が思いっきり載っかっていたのだが、「何これ邪魔なんだけど、」と汐路自身がすぐに退かしてくれた。なんだ魔女ってのは頭おかしい奴しか居ないのか。

 一般的に下座と言われる方へ試しに座ってみると、案の定汐路は何も気にすることなく反対側の最上座に陣取ってきた。カモフラージュ用の一発芸として、社会人然とした衣装や振舞いは心得ているものの、本気で信奉する気はどうも無いらしい。いつの間にかワイシャツの釦目茶苦茶外しているし。留め直す時、カードの提げ紐巻き込むなよ。

「さて、今回は本当に有り難う御座います加々宮先生。」私に対する叮嚀は変えないらしかった。「まず、あっちに居る野鄙な連中が、

「おい聞こえてんぞサチコ!」

「ええい、五月蝿いよ陣内じんない! 今先生とお話してるでしょうが! アンタよりもずっと繊細な方なんだからね、」

「なんで会ったばかりのお前がそんな事分かんだよ、」

「アンタのが世界平均よりずっとずっと上じゃなかったら、この世はとっくに終わってるよ!」

 さっきからのこの手の遣り取りはへらへら笑いながら行われており、本気で言い合っている訳でないのは明らかなのだが、聞かされている此方としては「あはは、」とか適当に反応するくらいしか出来なかった。

「で、ええっと済みません加々宮先生。とにかく、あっちに固まっている三人が、謂わば実行部隊って所ですね。と言っても、実行部隊じゃない人間は一人しかないんですけど、

 そんな唯一が、向こうに座っている彼女です。彼女は、秘書と言うかマネージメントと言うか、外との遣り取りを行ってくれています。あと、買い出しとかの雑用もですけど。」

 銀大みたいなものかなぁ、と私は勝手に想像した。

「ただ、彼女にはもう一つ重要な役割が有り、謂わばリザーヴタンクも担ってもらってますね。」

「ええっと、オートバイとかのリザーヴタンクと同じ意味で良いですか?」

「……ああ、加々宮先生もバイクで来られたんでしたっけ。そうですね、それと同じ意味です。いえ、この手のソフトウェア技術者って、――というかそもそも技術者って、どうも男連中の方がなりたがるらしくて実際平均的な適正も高いことが多いんですけど、でもだからって全員男で固めると、機器充力が切れたり絶たれたりした時にどうしようもなくなっちゃうことが多いんですよね。なので万一の為に、魔術の適正を持った女性を余計に一人、なんらかの役割で抱えておく、というのは、ウチみたいなお天道様に顔向け出来ない情報技術屋ばかりでなく、正々堂々と商売している連中も良くやっていることなんです。」

「へぇ、……そういう、普通の会社と同じ様なこともするんですね。」

「そりゃ、我々も彼らも一番良い方法を選択しますからね。必要が無ければ、奇なんててらいません。」

「で、ええっと、他の皆様の役割は教えて頂けましたけど、」

「ああ、私が残っていますね。……はい、私がこのクラッカー集団、〝ピースメイカー〟のリーダーである、所謂〝魔女〟の、改めまして汐路です。ウチの手口は、私の魔術を大きな武器としておりまして、今回は加々宮先生のお力を借りてそれを増幅し、以前から遣りたいと考えていたことがバシバシ出来れば、と。」

「ええっと、クラッカーというのは、……所謂、ハッカーのことなんですよね?」

 食べ物とかじゃなく、と言う馬鹿な言葉は飲み込んでおいた。

「いわゆるのかどうかはともかくとして、まぁ、大間違いでは無いですね。市井の方が〝ハッキング〟と聞いて想像するような手口や攻撃行動によって利潤を得て幸せに生きている。それが、我々です。」

 そんな、蜚蠊かハイエナみたいな自己紹介で良いんだろうか。

 私の心配を余所に、汐路は身を乗り出してきた。

「しかし、今回は本当に助かります。今まで、全然見つからなかったんですよ、貴方の様な、魔女の複写にも付き合ってくれる複写魔術師なんて。」

 私は、素直に首を傾げつつ、

「そういえば、どうやって私の名前を?」

 銀大の仕事の遣り方が気になったのである。

「ああ、ウーラの大将からの紹介で。」

 ウーラ? 聞いたこと有るような、無いような、

 私は、椅子をがたんと鳴らしてしまった。

「こ、駒引こまひきさん!?」

「はい、あの方とは良くしていただいておりますので。平たく言ってしまえば、戦友みたいなものです。」

 思わぬ所で駒引さんの名の出てきたことも驚きだし、私があそこを去ってから二日か三日で、私のことをこの汐路に紹介していたという手早さも驚きだった。出来れば協力するよ、と確かに言ってはいたが、まさかそこまでしてくれているとは。

「というわけで加々宮先生、貴女がどういう方なのかはウーラ氏から全部聞かされていますので、そのおつもりで大丈夫です。」

 いやそのおつもりで大丈夫な訳ないだろ、『いやぁ、加々宮って餓鬼に私の正体バレちゃって。実は私って――』なんて言う訳ないんだから、全部は伝わってないだろ。

「それに、私共の方でも、勝手に先生のこと調査させて頂きましてね。」

 うん?

 汐路は、何処からか取り出してきた紙資料を手繰りながら、

「例えば、先生の〝加々宮〟って、生まれ持ったお名前じゃないですよね?」

 は?

「ええっと、そう。先生の御父母が亡くなられて、その後伯母の加々宮秀美さんの養子として、」

 ここで手許から目を浮かせた汐路は、漸く私が相当苛立っていることに気が付いたらしく、顔に泛かべていた得意げを一瞬裡の内に凋ませた。

「汐路さん、……依頼先の来歴を勝手に漁って、挙句面白がって披露するのがクラッカーの流儀ですか?」

 なるべく毒の無い声色になるよう努力したが、成果は怪しかった。

 とにかく汐路の反応は、日頃は悪にして繊細な技巧を紡いでいるのであろうその両手を、今ばかりは頼りなく宙へ何となく浮かしながらの、

「まず、不快にさせてしまったことについては、ただ謝罪させていただきます。ですが、ウチの方針として、関わる人間の情報は、私共のクラッキング技術を以て徹底的に洗ってしまうんです。胡乱な――或いは誠実すぎる――人間を一度ここに通してしまったら、二年も掛けて建てたこの秘密基地ビルも台無しになってしまいますから――ただのオフィスビルとしてなら使って行けるでしょうけど、

 というわけで、はい、『勝手に漁るような流儀か?』については、ぐうの音も出ません。私達は、申し訳ないですがやっております。ただ、これは対象を攻撃する為でなく、寧ろ対象を信頼する為に已むなく行っていると御理解下さい、そして、貴方方御姉弟のことは実際信頼させていただきました。

 で、もう一つの件ですが、はい、ここで読み上げてみせたのは、確かに行儀の良い話ではなかったですね。こちらについてもお詫びいたします。言い訳をさせて頂ければ、ウーラ氏から貴女は磊落な方だと聞いておりまして、私がお会いしての印象もそうだったので、『個人の事情に無遠慮に踏み込む、というブラックジョーク』として受け取っていただけるかなと言う私の奢りも有りました。申し訳ないです。」

 私は、戦いたい訳では無かったので、

「ええっと、そうですね。正直私の性格分析はそんな所だと思います。ただ、ですね。感傷的な話じゃなくて、実利的な問題が有るんですよ、私達が書類上は伯母の養子である、ということが広く露見しますと、」

 汐路は、資料に再び目を落とし、恐らく私の出生名を確認してから、

「成る程ね。」

 と、ここだけ口調を変えて頷いた。

「となれば加々宮先生、御安心下さい。我々は本来悪戯半分に情報を流したりしません。そんなの、喰い扶持をみすみす垂れ流すに変わりない愚行ですから。それに、先生のことは、今回の依頼がそこそこ成功裡に終わればパートナーとして見做させていただきますから、その情報を売ったりはしませんよ、国を買えるような額でも積まれようとね。そこの仁義は、通します。我々の、殆ど唯一の仁義です。」

 私は、一旦視線を落として、一応ちゃんと考えてから、

「となれば結局、……貴方方が必要によって私の過去を調べ、それに私が驚いた。これだけですね。正直に仰ってもらえたので寧ろ良かったですし、なんと言うか、こちらこそお騒がせして済みません。」

 汐路は、紙束を脇に放り、由有りげに口角を上げ、

「御理解、感謝します。」

 とだけ言ってくれた。

 ここで、そろそろ堪らなくなった私が、

「ええっと、一つお願いしていいですか?」

「はい?」

「口調、出来たら崩して頂けませんか? 貴女の方が一回りも年上のようだというだけなら耐えられたんですけど、貴女のお仲間との砕けた会話を聞かされたり、また、貴女が駒引さんの盟友の一人と聞かされると、そんな方に敬語を使われてしまったりするのがどうしてもむず痒くて、」

 汐路は、ふっ、と笑って、その奇妙な眼鏡のブリッジを中指で持ち上げてから、

「一回りってのは中々正確で、私のほうが十一歳年上だよ、貴女が二十一歳だからね。

 で、とにかく諒解いたしました加々宮センセ。確かにウーラに可愛がられたらしいし、なら私もそんな感じにお相手するのが自然なのかな。」

 突然、遠くから、

「お、良く言ってくれました先生! 有り難う御座います! いやぁ、ボスの気持ち悪い上っ面だけの慇懃聞かされ続けて、こっちはさっきから気がれそうで、」

安辺あんべ! 生意気なことばっかり言ってると、アンタの家のウェブブラウザの閲覧履歴も引っこ抜いて、この部屋に張りだしつつお負けに全世界にも公開するよ!」

「えー、それは卑怯だってボス。何が卑怯って、やり返そうにも俺、ボスのその手のあられもない履歴一ミリも見たくないんだけど、」

「私だって、別に見たくてアンタの引っこ抜いてくる訳じゃないよ。」

「え、じゃあなんです? 見たくもないのに覗いてくる変態なんですか? いやぁ困ったなぁ、こんな人がリーダーなのなら良い転職先探さないとなぁ、」

「何さ、餓鬼の頃から脛に傷作りまくって、こんな場所しか行き先無いくせに。」

「えー、じゃあ綺麗な脛の奴なんかこんな所に採ってこられるんですかー?」

 汐路は、渋い顔になりつつテーブルを何度か指で敲いた後、

「ええい、負けた!」

「よっしゃぁ、俺の勝ち!」

 何の勝負だよ。

「なんか、……仲が良い、で良いんですか皆さん?」

 汐路は、困ったように苦笑いして、

「多分、そう。……まぁ、少なくともこう言うコミュニケーションがウチの流儀かな。」

 安辺と呼ばれた彼は、向こうの島で一等若く見え、というか銀大よりも若いくらいの年齢ではないか? あの年で、既に行き場所が無いくらいに、か。

 汐路にとってはこれくらいの騒ぎはやはり茶飯事らしく、彼女は次の話題に移ろうとしていた。

「じゃあ、センセ、あまり情報技術のことは詳しくないって聞いていたのだけど、」

「はい、そうですね。……銀大から、その辺りの聯絡は行ってませんか?」

「海豚がどうのこうのって、だけ。……御免なさい、正直意味が良くわからなくて、」

 嘘だろあの馬鹿

「というわけで、これから簡単にテストさせてもらえるかな加々宮センセ。お仕事をスムーズに進める為に貴女の知識レヴェルを確認したいだけで、仮に全問不正解でも恥ずかしい話では無いから。そもそも、魔術師としてお喚びしているのだしね。」

「ええっと、はい。」

「一問目、……『ハローワールドを好きな言語で書いてくれ』と言われたら出来る?」

 ……は?

「ええっと、言葉の意味が全くわかりません。」

「じゃあ、WWWの意味は?」

 ……あー、聞いたことは有るけど、

「えっと、分からないです。」

「では次、HTTPの意味は?」

「……それも、聞いたことしかないですね。」

「四問目、TCPの意味は?」

「……聞いたことも無くなりました。」

「じゃあ五問目、IPの意味は?」

 お、それはなんとなく、

「えっと、アレじゃないですか、プロバイダー! ウェブを家に引いてくる時に契約するやつ!」

 汐路は、一度きょとんとして、その後感心するような素振りで、

「あー、そっかー。それもIPっちゃIPなのか。ある意味正解と言えるかも、」

「言えねーよボス! そりゃIPだろ!」

 遠くから飛んで来たその安辺の声に対して、汐路は指を軽快に鳴らしてから、

「あ、本当じゃん。安辺、もしかしてアンタ天才?」

「気が付きました? 今月から給料倍にしてくれていいですよ。」

「何言ってんの、私なんて一回も給料もらってないのに贅沢言うんじゃないよ。」

「アンタが事業主みたいなものなんだから当たり前だろ! というか、給料と言う名前じゃないだけでしこたま金持ってるんだろどうせ!」

 私は、この人達そろそろ面白くなってきたなと思いながら、

「ええっと、汐路さん、」

「ああ、失礼、えっと、第六問はどうしようかな、」

「いや、というか、これ以上意味有ります? 多分一つも当たらないですよ私。」

「あー、」

 汐路は、自分のだらしないワイシャツの襟を漫ろにぱたぱたしながら少し考えて、

「じゃあ最後にこれだけ。テストと言うより質問になるのだけど、センセが乗ってきたオートバイの認証、というかロックって、」

「ええっと、魔術波形ってやつです。男の人とかが良く乗ってる、鍵を差し込むのじゃなくて。」

 汐路は、嬉しそうに頷いてから、

「OK。なら、実技はそこそこなんとかなりそうかな。」

 と述べると、その直角眼鏡を右手の親指で持ち上げつつ、直の視線で自分の腕時計を確認した。

「ねえ、野郎共。私もう帰っても良い?」

「なんでだよサチコ。まだ十七時にもならねぇ、っていうかお前来て一時間半で帰るつもりかよ!」

「いやさ小道世、そりゃ私は朝まででもなんでも良いけどさ、私らの不健康の権化みたいな生活にセンセを巻き込むものどうかなぁって思わない? 私は思うんだよね、デリカシーが有るから、誰かと違って、」

 ……そういえば、

「えっと汐路さん、」

「はい?」

「チェックイン/アウト時間とか有ります? 私の宿泊先、」

 今回の案件、着替えの類いは持参して来たが、宿の手配は全て(銀大が)クライアントに任せてしまっていたのだった。と言う訳で、私としてはとてもまともな質問のつもりだったのだが、これを発するや否や、向こうの野鄙な島で爆笑が一つ起こったのである。

 私が、苛立つというより、きょとんとしていると、

「はっは! 是非俺らにも教えて下さいよボス! 紗智夜姫の居城は、何時何分からチェックイン出来て、ルームサービスは何が頼めるんですか?」

「私の帰宅からチェックイン可能で、私の出勤までにチェックアウト、そんでお望みなら安辺、アンタの貧相なのをちょんぎって油で炒めたげるよ!」

 ええっと、え? 何、まさかまた?

「あー、」叫び終わった汐路が、申し訳なさそうな顔で、「というわけで、センセには私ん家に泊まってもらうことになっててね。綺麗な部屋じゃ無いけど、どうか御勘弁を、」

「なんだって、また、」

「いや、理由は色々有って後でお話するんだけど、」

 何をそこから継ぐのかなぁと待っていたのだが、しかし汐路は立ち上がって、

「ねえ皆、やっぱ私今日帰るね。家で先生に色々説明とかしてくるからさ。」

 そう言いながら上着やら鞄やらを取り纏め、そして、また例の目隠しを矢庭に被せて来て私を呻かせたのである。

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