17.常識的にダメ



 徹夜で書類を終わらせた二日後、また僕は机に向かって書類仕事をしていた。

 ペンが白く上質な紙の上を走り、どんどん黒いインクで汚していく。

 誤字をしたら書き直しになるので集中して間違わないように慎重に慎重に文字を記す。

 遥か昔異世界人がこちらにもたらした言語がこの国の言語の元となっている。

 それと似た言語は今代の勇者であるワタルの元居た場所でも使われているらしく、だからこそこちらの人たちと不自由なく会話することができた。

 やはりかなり差異はあるらしいものの、慣れればなんの問題もないとワタルは言っていた。


「ふぅ……」


 王族に渡す書類を書き終えた僕は、万年筆を置いて背もたれに体を預ける。

 あとはインクが乾ききるのを待つだけだ。

 僕はコーヒーを一口含むとそれを飲み干して窓の外を見る。

 今日も平和だ。

 こうして耳を澄ませば小鳥のさえずりが――


「帰って。ここはわたしとキノアが働いてる部屋。今キノアは仕事中」

「公爵家令嬢として安全なところにいるだけですわ。そちらこそコーヒー出してるだけですし帰ったらいいと思うわよ?」


 さえずりが……


「おいおい、二人ともその辺にしろよ。そんなことより魔法について教えてくれ。最近行ってる孤児院の子に教えてくれって頼まれてるんだけど――」

「今忙しい。勇者は静かにしてて」

「そうですわ。今わたくしは重要なことを話してますの」


 さえずり……どこへ行ってしまったというのだろう。

 僕はいつまでもいがみ合うヨナとシファ様を見て辟易とする。

 二人だけでも煩いのに、それにおしゃべりなワタルまで追加されてしまってはもう収拾がつかない。どうしてこう示し合わせたように集まってしまったのだろうか。シファ様とワタルに関しては完全に意味不明だし、ヨナも今日は仕事ないから好きなことしてていいよって言ったのに結局来てるし……。

 仕事中は努めて音の情報を遮断していたが、仕事が終わって一息吐くとどうしても気になってしまう。


「ねぇ、みんなどうしてここにいるの?」

「わたしはキノアのサポートが仕事だから、書類仕事だからといって仕事に来ない理由にはならない。それに、この部屋にある本の半分くらいは読んだことないから読んでみたいし」

「うん、ヨナの言い分はわかるよ。シファ様は?」


 というかこの部屋にある本の半分は読んだことあるのか。貴重な本とかも多いし難しい本ばかりなのにすごい。さすが勇者パーティーの魔法使いだ。


「わたくしは……そう、社会見学ですわ。仕事風景を見て勉強してましたの」

「ヨナとずっと言い争ってた気がしますが……まぁいいです。ワタルは?」

「ん、オレか? オレはキノアに仕事を持ってきたんだけど、忙しそうだったから終わるの待ってから話そうかと思ってたところだ」

「うん、文句言ってやろうかと思ったけどちゃんとした理由だったんだね。ごめん。

 でも、できれば仕事があるなら僕の仕事を遮ってでも部屋に入った時に言ってほしかったな。

 仕事ってなに?」


 脳を雑談モードから仕事モードに切り替えて、話を聞くためにソファーに移動する。

 向かい合わせに置いてあるソファーにワタルとシファ様が並んで座っていたので、僕は空いていたヨナの隣に座った。

 一瞬ヨナの体がピクリと動いた気がしたが気のせいだろう。


「ああ、具体的な指令書はこれだ。とりあえず読んでみてくれ」


 ワタルに差し出された紙の封を切って中身を確認する。

 何度かそれを確認して、思わずため息が出た。

 仕事の内容は、『王都周辺に現れるという噂がある特殊な魔物に関する情報収集及び、実在した場合の討伐』らしい。

 たしかに魔物の『噂』程度では騎士団や軍を派遣することもできない。魔物の討伐は基本的に市民に任せている仕事のため騎士団も軍もその必要性を低く見積もっており、なかなか動こうとしてくれないので、こういう案件が宮廷魔法師に回ってくることはよくある。

 たまたま空いていたのが僕しかいなかったのだろうが、それにしてもわざわざ勇者を伝令役に伝えてくるのはおかしい。

 普段なら担当の職員が届けにくるのだが。


「うん、大体わかったよ。でも何でワタルがこれを?」

「実は昨日、その『特殊な魔物』とやらにとある貴族の乗った馬車が襲撃されて、護衛が数人死亡したうえ馬車が壊れたらしくてな。ビビった貴族連中が何としてでも倒そうとしてるらしい。だからオレもキノアと一緒に働くことになった。建前上は『騎士団から派遣された応援戦力』って扱いになってる」

「そこまでするなら普通に騎士団がこの仕事やればいいのに」

「騎士団としては正直戦力を動かしたくないんだ。パリムゾン占領が相当悪夢になっているらしく、都市内部から騎士を出そうとしない。軍は軍で今魔族に対して牽制のための軍を動かしてるからあまり余裕はない。

 だけど貴族は対処を求めてくる。そこでオレとお前が妥協案だったってわけだ」

「ああ、なるほど。宮廷魔法師の調査に最高戦力の『勇者』を派遣したって形なわけか。それなら人数は使わず貴族にはやってる感を演出できるね」


 最高戦力が防衛から外れるという不安はあるものの、どうせ王都近郊の調査なわけだしあまり問題にはならない。大人数を動かすとなると帰還するのも時間がかかるが、僕らのように個人単位で動く人ならそれほどの時間はかからない。大勢で足並みをそろえる必要も、装備のチェックも、規律的な行動も必要ないからだ。


「ならもう行こうか。幸いまだ十時半だし。こうしてる間に犠牲が出て文句言われるのは面倒くさい」

「たしかにな。じゃあオレはちょっと準備してくるから。そうだな……十一時に一階のエントランスに集合で」

「わかった。ヨナも準備して。ネックレスも忘れずに」

「うん」


 ワタルとヨナがソファーを立ち、僕もそれに続いて席を立とうとする。

 そんな中一人の少女がバンと机を叩いて立ち上がって、僕のことをジィっと見ながら、


「わたくしもついていきますわ! 宮廷魔法師の仕事について見学します!」


 などとおっしゃった。


「……は?」


 いや、全く意味がわからない。

 それはヨナもワタルも同じらしく、二人とも『ぽかん』という擬音が似合う顔をしていた。

 だがシファ様はそれが名案だと信じてやまないようで、うんうんと勝手に納得している。


「いや、ダメですけど」


 気まずい静寂を切り裂くように、僕はわくわくした顔をしているシファ様に向かってそう言った。


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