7.冷たい鍵でも



 そこからは少し大変で、大臣に報酬を変えてほしいとお願いしたときは本当に緊張したが、どうにかその条件は受け入れてもらえたし、勇者の計らいでマスターキーを使ってキノアが帰る前の執務室に入れてもらえた。

 緊張を紛らわすため部屋に置いてある魔道具を見ながら待っていると、ガチャリと扉が開いてキノアが入ってくる。

 キノアはわたしがいることは想定外だったようで、暫くわたしの顔をじっと見た後に目をごしごしと擦る。

 わたしが何を言おうか考えていると、先にキノアが口を開いて、


「……初めまして・・・・・。君は、ヨナ……でいいんだよね?」


 とキノアが言ってきた。

 「初めまして」ということはやはりキノアはわたしのことを覚えていないのだろう。それも当然だ。むしろ彼のことを覚えているわたしのほうがおかしいのだから。

 仕方ないとわかっていてもこちらは覚えているのに初めましてと言われることはなかなか心にくるものがある。だがそれを表に出すわけにはいかない。「実は小さい頃に――」なんて急に言い始めたら気持ち悪いと思われるのは確実で、そうなってしまったら仲良くなるなんて夢のまた夢になってしまう。

 だから、わたしは深呼吸をした後に緊張して噛みそうになるのを抑えながら何とか言葉を紡ぐ。


「うん。ヨナ・ウェストリン。これからよろしく」


 わたしがそう言うとキノアは「はぁ」と溜息を吐いてソファーに深く腰掛けると、どこか遠くを見て黙ってしまった。

 僅かな衣擦れの音が煩く感じるくらいの沈黙に耐え切れなくなったわたしは、キノアに背を向けて器具の見物をする。

 一緒に働くことを王から許可されているので特に問題はないはずだ。

 どれも興味深い魔道具たちだったが、中でも特に目を引くものがあった。試験管がセットされた状態で止まっているその魔道具は、複雑なダイヤルが備わっていて、結果を記した紙が出てきそうな穴がある。

 何に使うのかさっぱりわからないそれがどうしても気になってキノアに「ねぇキノア。この機械はなに?」と尋ねる。


「ああ。それは――って、何いるのが当然みたいな顔してるのさ」


 いつの間にか手元に資料を持ってきていたキノアは、説明を始めそうな雰囲気を出した後に思い出したかのようにそう言ってくる。わたしはそれに対して先程自分で考えた答えを返す。


「王様には許可を頂いてるから問題ないはず」

「さようですか……はぁ……君さ、僕が書いてるこれが重要機密とかだったらどうする気なの? これはただの資料だからいいけど」

「わたしは王の許可を得ているから問題ないはず」

「確かにそうかもしれないけど、重要な資料とかだったら困るんだよ」

「? わたしもこれから一緒に仕事をするから問題があるとは思えない。わたしが資料を外に漏らしたとしても、一緒に仕事するなら漏らすことにデメリットしかないからそんなことはしない」


 そもそもわたしには誰か話す相手がいるわけではないし、特に問題があるわけもないのだが、キノアは何か納得がいかないようだ。


「僕は君と一緒に仕事をする気はないよ」


 冷たいその一言で、心が痛くなるのを感じた。たしかにわたしはキノアの意思を無視してここに来た。だが、そんな冷たい言い方をされなくてもいいと思う。自分で言うのも恥ずかしいがわたしは勇者パーティーに選ばれるくらいは優秀だし、仕事の手伝いくらいはできるはずだ。


「そうはいってもキノアと一緒に仕事をするのが仕事だから」

「わかったわかった。じゃあ君はちゃんと仕事してるってことにするから帰っていいよ」


 ぶっきらぼうなその言い方に、悲しさを通り越して怒りすら覚えてくる。

 いや、あくまでもわたしは押し掛けた側だ。それはわかっているけど……そんな扱いしなくたっていいと思う。


「そういうわけにはいかない。

 あと『君』って呼ばないで。わたしにはヨナ・ウェストリンっていうちゃんとした名前がある」

「わかったよヨナさん。とはいえ僕の仕事でヨナさんに任せられるものはないから適当に本でも読んでて」


 キノアはそう言うと椅子から立ち上がって本棚から『新版魔術論』の初級編から上級編までの三冊と、『応用魔術論』の計四冊を引っ張りだしてくる。

 そのタイトルを見て本当にキノアは何もわたしのことを覚えていないのだと痛感させられる。それは、わたしの人生を変えた大きな出来事だったのに。


「それはもう全部読んで理解してる」


 辛くなったわたしはキノアから目を背けて本棚を見る。本当は今すぐ駆け出してしまいたいが、今更後には引けない。気分転換に本でも読もうと別の本を本棚から取ったところ、


「……へぇ」


 と、今日一番感情が乗ったキノアの声が聞こえてきた。それは声というよりかは息に近かったかもしれないが、わたしに興味があるのだと期待を持たせるには十分なほど感情が乗っているように感じた。

 おそるおそるキノアのことを見てみると、万年筆で紙に何かの魔法陣を記している。


「じゃあ、こういう魔法陣で作れる魔法がある。これを解読して、その効果とどの部分が魔法の何を構成しているかを答えてみて」


 キノアから魔法陣を受け取ると、ソファーに腰掛けたわたしは頭をフルに使ってそれを読み取って――思わず感嘆の声を出してしまった。


「これすごい。ベースは火属性上級魔法『炎刃の舞』だけど、それに闇属性を与えることで火力が拡散しないようになってる。

 部分で言うと、ここの部分が魔力の量によって刃の枚数を変更するようになってて、闇属性を付与してるのはここなんだけど、本来は火属性と干渉しないようにするための記号が省かれてて、代わりに二つの属性を示す部分を融合させることによって魔力のロスを最小限にしてる。そして魔法陣自体がかなりコンパクトになるように設計されてるから、さらに必要な魔力が少なくなってる。これを作った人は相当な実力」


 脳内でまとめたこの魔法陣の効果とそのいい点を口に出すと、キノアは目に見えて楽しそうな表情になった。


「うん。大体合ってるよ。読んで理解したって言うのは間違いじゃなさそうだね」


 どうもどうやらわたしはキノアに『使えない』と思われていたらしいが、今の魔法陣の解読で評価が変わったのかもしれない。

 控えめに言っても面倒だと思っているようだったわたしを見る目が、明らかにプラスの方向に変わっている。


「じゃあ……」


 キノアが口を開いて言いかけたその言葉は、乱入してきた何者かの「キノア様!」という叫び声によって遮られてしまった。

 ドアが開いて中に入ってきた女の顔を見た瞬間、何故かわたしの中の本能がそれを敵だと認識する。

 そして、残念なことに――わたしにとって、その認識は何も間違ってはいなかったのだ。


「どこも変なところはありませんの? おかしなことはされてないわよね?」

「……離れて」


 キノアにペタペタ触るその触り方と声と表情。それは間違いなくキノアに対して友情や興味以上の感情を持っているそれで、わたしは思わず女をキノアから引き剥がして、「あなた誰?」と尋ねてしまった。


「あら。勇者パーティーの魔法使い様じゃありませんか。わたくしは公爵家三女ソーレ・シファですわ。

 貴女式典の最中という断れないタイミングを利用してキノア様に近づこうとするなど無礼ですわよ。恥を知りなさい」


 やけに敵対的なその言い方に、わたしはイラっとくる。穏便に済まそうかとも思ったのだが、それはやめた。

 代わりに、今ピンときたことを口に出す。


「……ああ、あなたがあのシファ家三女様。シファ家三女がとある魔法使いの部屋に押し入って迷惑かけてるって聞いたことあるけど、キノアに迷惑かけてたの。どの口が恥を知りなさいとか言ってる?」


 わたしがそう言い返すと、シファとかいう女は頬をぴくぴくと引きつらせる。

 そして、何かが爆発するようにわたしに暴言を浴びせてきた。

 わたしもそれに対抗して暴言を言い、段々頭が茹で上がって冷静さを失ってしまう。

 お互いに幼稚な暴言を言い合っていると、急に視界の端に自分に向かって飛んでくる何かをとらえた。

 戦闘で鍛えた反射神経で思わずそれを避けると、それはソファーの背もたれに当たって座面に落ちる。

 どう見ても何かの鍵だとわかるそれに首を傾げつつ拾ってみると、いつの間にかローブを羽織っていたキノアは、


「それ、この部屋のスペアキー。僕はちょっと用があって部屋を開けるけど、思う存分言い争ってていいよ。一応この部屋防音だし。帰る時には鍵閉めて帰ってね。明日返してくれればいいから」


 と言ってドアの前まで素早く移動する。


「え?」

「じゃ、そういうことで」


 わたしが困惑しているのもおかまいなしにキノアは部屋から出てどこかへ行ってしまう。

 これを目の前の女ではなくわたしに投げたということは、つまり明日もまた会ってくれるということになる。

 となると、わたしはとりあえずはキノアに認められたということなのだろう。先程まで怒りで茹で上がっていた頭が、別の意味で茹で上がってしまいそうになる。


 金属特有の冷たさがあるそれを、わたしはぎゅっと握りしめた。


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