31.わたしと彼女の会話



「うん、なかなか。ちゃんと魔法の練習してるのがわかる」

「は、はなして!」


 相手の左手に吸い込まれた右手が、ずっと相手に掴まれたままになっている。

 動かそうとしてもびくともしないうえに、ぎりぎりと拳を握り潰そうと力を込めてくるのでかなり痛い。

 抵抗しようと思い蹴りを放つが、それは相手の結界に阻まれてダメージになることはなく、かえってこちらがバランスを崩すだけだった。

 パンっと足を払われて、受け身が間に合う前に床に叩きつけられる――と思った瞬間、何か暖かいものに体を抱きかかえられてなんとか転ばずに済む。

 よく知っている匂いのそれは、まぎれもなくキノアで、どうもどうやら転びそうなわたしを受け止めてくれたようだ。


「はい、ストップ。エルナさん、あまり遊ばないの」

「え?」

「仕方ないなぁ。やめる」


 少女はそう言うと、身にまとう結界を解除して、ソファーに腰掛ける。

 キノアはわたしの体を解放すると、少女と向かい合うように座った。

 よくわからない状況に戸惑っていると、キノアに「ヨナもとりあえず座って。説明するから」と言われ、とりあえずその通りキノアの横に座る。


「彼女は?」


 少女がわたしのことを見ながらそうキノアに尋ねる。

 キノアは一瞬固まって悩んだ後、「宮廷魔法師のヨナ。元勇者パーティーの魔法使いで、今は僕と一緒に仕事をしてる」と答えた。


「そっか。キノアもボクたち以外と一緒に仕事するようになったんだね。

 ボクは、キノアの母親代わりのエルナ・イドミザール。今日はキノアの様子を見に来た」

「……転移魔法で、ですか?」


 少し冷静になったことで、少しずつ状況が理解できてきた。エルナとかいう少女がこちら側に来た魔法は、わたしは実際に見たことはないものの、おそらく転移魔法と呼ばれるものだろう。理論自体は火属性の魔法の最終形態として証明されているものの、そのあまりの複雑さと、魔法への理解度が要求されることから、実際に使いこなせる者は一握りしかいないと言われている。

 そんな魔法をわざわざキノアの様子を見るためだけにくるというのが信じられなかった。


「うん。だって遠いし」

「ヨナ、この人は僕の師匠の一人で、ぶっちゃけ僕よりも断然強いよ。転移魔法程度、なんの苦でもないらしい」


 あまりにも常識とかけ離れているそれに、わたしは絶句するしかない。

 キノアにすら勝てる未来が見えないのにこの人はさらに強いのか。それが本当なら、わたしが殴り掛かったのは今にして思えば無謀としか言えない。


「いえい」


 無表情のまま顔の横にピースサインをつくるエルナさん。

 もはや自分の常識や何かに当てはめようとするのは諦めた。


「……わたしは、ヨナ・ウェストリン」

「へぇ、猫の獣人なんだ。猫は可愛げがあっていいね。両親のどっちが獣人なの?」


 わたしの猫耳を見ながら尋ねてくるエルナさんに、緊張しながら答える。


「あ、えと、お父さんが」


 基本的に獣人というのは両親のどちらかが獣人だとその特徴が五割の確率で遺伝し、わたしの場合はお父さんから獣人を受け継いだ。

 まぁ、魔法の才能とかはお母さんのほうから――というか、お母さんのほうのおじいさんからの遺伝っぽいけど。


「なるほど。これはキノアも夢中になるわけだ。キノアは無類の動物好きだから」

「え?」

「ちょ、ちょっとエルナさん!? きゅ、急になにを――」

「よく路地にいた猫を撫でようと試みてたじゃん。逃げられてたけど」

「そ、それは――」


 わたわたと慌てるキノア。

 その珍しい様子を見て、少し悪戯心が湧き上がってくる。


「……わたしの耳、触る?」


 この前同じことを言ったときもそうだったが、自分で言ってみて少し恥ずかしい。でも、それ以上にこう言ったらどう反応するのかが気になった。

 キノアは一瞬ピタッと固まった後、視線をさ迷わせて――ゆっくりとわたしの耳に手を伸ばした。

 優しく触れるか触れないか程度のその触り方はとてもくすぐったい。

 とはいえ、強く触られたら刺激が強くて耐え切れなさそうなので、わたしは顔がキノアに見えないようにしながら耐える。

 別に触られるのが嫌なわけじゃないのだが、普段フードで隠しているうえに、耳を触ってくれるような友人が今までいなかったので、触られるのに慣れていない。そのせいで他の獣人の耳よりもかなり敏感になってしまっている。


「な、長い」

「あ、ごめん! つい……」


 さすがに耐え切れなさそうになってきたのでそう言うと、キノアは慌てて手をどける。


「ずっと触ってみたくて……夢中になっちゃった」

「そこまで触りたかったなら言ってくれればよかったのに」


 別にキノアに触られるなら嫌じゃないし、それくらいの頼みは聞くつもりだ。

 とはいえあまり長く触られるのも困るが。

 触られすぎたせいで落ち着かなくなった耳をフードで隠すと――目の前に座るエルナさんが、無表情を崩して微笑ましそうに見ているのが目に入った。


「ああ、そういう――」


 一人納得したようにそう呟いたのが聞こえて、わたしは顔が赤くなるのを感じる。

 間違いない。絶対にわたしがキノアに抱いている気持ちに気付いた。そうわたしの中の勘が言っている。


「じゃあボクはあんまり長くいるとお邪魔かな」

「お邪魔?」

「キノアにはわからない話。ね?」


 急にこちらに同意を求めてくるエルナさん。

 どう反応したらいいかわからず曖昧な反応をとっていると、「あ、そうだ」とエルナさんが言って、ローブの裏側をゴソゴソを漁る。

 ……ローブの中が見えて初めて分かったが、この人、とても大きい・・・。身長はわたしのほうが大きいのに、胸部の脂肪の発育にこんなに差が出るなんて……。

 あのシファとかいう女も大きいけれど、この人はそれ以上に――いや、これ以上考えるのはやめよう。わたしだって平均くらいはあるし。

 別に負けてるからって気にしてない。


「ほい」


 エルナさんは何か小さいものをキノアに向かって放り投げる。慌ててそれを受け取ったキノアは、それを見て小さく首を傾げた。


「指輪……?」


 黄色っぽい小さな宝石が取り付けられた指輪は、質素なデザインでありながら底知れぬ存在感を放っていた。

 魔法使いだからなのかもしれないが、指輪から強い魔力の波動を感じる。高名な魔法使いが作ったといわれて納得せざるを得ないような、国宝と言われても納得できるような、そんな感じの魔力だった。


「うん。渡しておいてくれって。『危なくなったら魔力を流すように』って」

「マスターから?」

「そう」

「わかった。マスターがわざわざ渡すってことは何か意図があるんでしょ?」

「あの人の考えてることはボクには難しい」

「だよね」


 そんな会話をしながら指輪を右手の中指に嵌めるキノア。キノアに合うように作られたと言っても不思議ではない――実際そうなのだろう――ほどその細長い指にピッタリだった。

 違和感がないかを確かめるためだろうか。キノアは何度か指を閉じたり開いたりする。

 ところでよくキノアの話に出てくる『マスター』って誰だろう。勇者は知ってるみたいだけど教えてくれなかったし、キノアに聞いてもきっとはぐらかされるだろうという予感があった。おそらくキノアが『客員宮廷魔法師』になる前に所属してた何かのトップの人なんだろうけど……全く想像がつかない。

 マスターと呼ばれるくらいだからキノアより年上なのだろうか。でも、エルナさんはどう見てもわたしたちと同世代なのにキノアの師匠と言っていたし……よくわからない。長命種のエルフなどには見えないが、きっとそうなのだろう。


「じゃあ、ボクは帰るね」

「相変わらず要件すんだらパパっと帰るんだ……」

「だって今クランハウス誰も留守番いないんだもん。早く帰らなきゃ。

 ……まぁ、キノアも仕事嫌になったらいつでも帰ってきてね」


 そう言って、背伸びをしながらキノアの頭を撫でるヨナさん。

 キノアはそれを恥ずかしそうに振り払うと、「もう子供じゃないんだから……」と呟いた。

 とはいえあまり嫌そうに見えないのは、キノアがエルナさんのことを信頼してる証なのだろう。

 エルナさんもそれをわかってるのか、「素直じゃないなぁ」と言って、魔法を展開する。

 莫大な魔力が魔法を形作っていき、やがてそれは空間を繋げて、どこかもわからない建物を円の先に映し出した。


「じゃあ、また。

 ……ヨナ、だっけ? 身体強化とか魔法の練習とかもそうだし、もう一つのほうも頑張って・・・・


 エルナさんは冗談か本気かもわからない声色でそう言うと、素早く空間の繋がった場所を通って向こう側へ行ってしまう。

 空間はすぐに元に戻り、何事もなかったかのような静寂が部屋を呑み込んだ。


「『もう一つのほうも頑張って』って、どういう意味……?」


 それが気になったのか、こちらを見てそう尋ねてくるキノア。

 わたしは少し恥ずかしくなりながらも、「秘密」と答えた。


 だって――さすがに本人に言えるわけない。


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