30.わたしの休日……



 朝起きるとまず真っ先に顔を洗って歯を磨くところから、わたしの一日は始まる。

 そうして魔法使いのローブ――店員に頼んで一番似合う物を身繕ってもらった――を羽織ると、髪を整えて部屋を出る。

 キノアはわたしが猫の獣人だって知っているし、それを認めてくれているので、フードを被る必要もない。それに――


「ふふっ」


 わたしは首に下げたネックレスを見て思わず笑みをこぼしてしまう。

 『うん、似合ってる。かわいいよ』とキノアが言ってくれた時のことを思い出すと、なんとも言えない嬉しい気持ちになる。

 とはいえいつまでも鏡の前でニヤニヤしていては今日の目的が達成されない。せっかくの休日なのだ、仕事以外でキノアと親睦を深めるいい機会だろう。

 わたしは食堂に行って朝食を食べると、もう一度歯を磨いて、もう一度身だしなみを整えて、それからわたしの向かいの部屋のドアの前に立つ。

 仕事のある日なら起きている時間だが、休日も起きているかはわからない。仕事でもないのに勝手に部屋に入るのも憚られて、合鍵は使わずにノックをした。

 どうか起きていてくれますように。

 その願いが通じたのかはわからないが、少し間があってから「どうぞ~」と気の抜けた声が聞こえてくる。

 ドアノブを回して部屋に入ると、ローテーブルの上には本が積まれていて、ソファーに腰掛けたキノア(いつもはシャツをしっかり着ているのに、今日は私服を着ている)がこちらを見て意外そうな顔をしていた。


「どうしたの? 今日仕事ないけど」

「うん、知ってる。一緒に出掛けようって誘おうと思って」


 断られたらどうしようかと少し緊張しながらそう言う。

 キノアは本を閉じると、「あー……」と少し声を強張らせて首元に手を持っていく。


「えっと……明日なら空いてるけど、今日はちょっと用事が入ってるんだよ」

「あ……そう、なんだ」


 申し訳なさそうにそう言うキノアに、わたしのほうが申し訳なくなってきて、「大丈夫。じゃあ明日にしよ」と返す。

 突然押し掛けたのはわたしだし、今日じゃないとできないわけじゃないから問題はない。昨日、キノアが公爵家に呼ばれた後にたまたま会った元勇者パーティーの人に、いい料理屋を教えてもらったから一緒に行こうかと思っただけだ。

 別に明日でも何も問題はないし。ただ少し残念な気はするけど――予定があるんじゃ仕方ない。


「うん、じゃあ明日ね。詳しいことはまた明日でいいかな?」

「いいけど――何でそんなに焦って……?」


 わたしがそう尋ねると、キノアは「あはは、何でもないよ~」と頬を引きつらせながら言う。

 怪しい。怪しいけど、そこを突っ込んで尋ねて面倒くさい女だと思われるのは嫌なので、何も言わずに執務室から出ようとする――が、突如執務室の中に凄まじい量の魔力が発生して、思わず身構えた。


「っ!?」

「あー……」


 大規模な魔法が発生することがわかるほどの魔力の量。この部屋はおろかこの周りの部屋全てが吹き飛ぶのではないかという密度の魔力は、どんどんと魔法の形に姿を変えていく。

 急に訪れた緊張感のせいで脳がいつもよりも高速で働くため、意識が引き延ばされるような感覚に陥る。

 そんな中、何故かキノアは隣で諦観の表情を浮かべていた。何か思い当たることでもあるのだろうか。だとすればそこまで警戒しなくてもいいのかもしれないが――これほどまでに高密度の魔力を目の前にして、警戒するなというほうが無理だった。

 わたしがキノアに尋ねようと口を開けた瞬間、その魔法が完成して、空間が半径二メートルほどの大きさの円状に裂けた・・・

 裂けた空間の先には全く違う部屋が見え、一人の少女が円状に裂けた空間をくぐってこちら側へやってきた。

 翡翠色の髪に、桃色の目。わたしよりもかなり低い身長に、何を考えているか読み取れない表情。

 優し気な顔立ちをしているキノアとは対照的に冷たさを感じさせるが、不思議とどこか似ているように感じる。


 と、思っていたのも束の間。急にその女性が手をキノアに向け、発動の予兆を感じる間もないほど速く魔法を放つ。

 反射的に体が動いて結界を構築するが、魔法が構築した結界に届くよりも先に、キノアが別の魔法で相殺した。

 魔法を撃ってきたあの少女は敵だと判断して、わたしは身体強化を使うと体に結界を纏わせて守りながら少女との距離を詰める。魔法の構築速度では勝てないので、身体強化で魔法を使わせずに制圧するのが一番だ。基本的にわたしは後衛で魔法を撃つのが得意だが、だからと言って体術や武術ができないわけではない。『魔法は身体能力と大きく関係する。身体強化を使いこなすことが、魔法を上達させるためには最も必要だ』とは最強と名高い魔法使い『夜霧』の書いた本に書いてあった言葉だ。


「ふっ!」


 息を吐きながら一気に距離を詰め、思い切り振りぬく拳で相手の腹を狙う。

 全く抵抗の素振りを見せないそれは確実に当たる。そう確信していたが――


「ふぅん」


 そう、どこか感心するようでいて、余裕さを見せつけるそれが聞こえたかと思うと、わたしの右手は相手の左手に掴まれていた。



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