43.見覚えのある天井だ
頬に風を感じて、意識が浮き上がる。
ゆっくりと瞼を開けると、心なしか傷だらけになっている気がする、見覚えのある天井が目に飛び込んできた。
首だけ動かして左右を見てみると、そこはやはり僕の執務室だった。
ここで戦闘があったのだろう。部屋中がボロボロになっていて、壊れたものが部屋の隅にまとめて積み上げられているが――無事なもののほうが少なかった。
体をゆっくり起こすと、野営の時に使っている毛布がずり、と体から落ちる。寝袋の中に気絶した人間を入れるのは難しかったのだろう。寝袋を敷布団にしていたようだ。
横を見てみると、並んで敷かれた寝袋にヨナが寝ている。すぅ、すぅ、と規則的な寝息が聞こえてくる。
『夜霧』を使って魔族を倒した後から記憶がないが、ヨナが無事でよかった。ヨナがここまで運んでくれたのだろうか。いや、流石に転移魔法もなしにここまで運んでくるのは――
「起きたみたいだね」
「うわっ! ま、マスター?」
「後処理がひと段落したから帰ってきたんだけど――ちょうど起きたみたいだね」
転移魔法で部屋に直接登場したマスターは、悪戯っぽく笑うと、廃品になったソファーになんとか座れるスペースを見つけて、そこに腰掛ける。
起き上がろうとする僕を手で制して、
「調子はどう?」
と問いかけてきた。
「いつも通り――って感じです。若干、身体怠いですけど」
「『夜霧』って最初使うとき疲れるからそのせいだろうね。気絶したのはキノアが初めてだけど。やっぱり体質かな」
「……僕ってそんなに変な体質なんですか?」
「たぶん全世界探しても同じ体質の人は見つからないだろうね。まぁ、いつか教えるよ」
「そう言ってもう十年くらい経ってるんですけど……」
「いつかわかるよ、いつかね」
はぐらかすというには雑すぎるそれに、僕はそれ以上問いただすのを諦めた。こういうふうな言い方をするマスターは意地でも口を割らないことがわかっているからだ。
無理やり問いただそうとしても僕じゃ勝てないし、本当にどうしようもない。何度も模擬戦をしているが、未だに一勝どころか攻撃を入れることすらできていないし。ほんと、無茶苦茶な強さだ。
「ほんと、理不尽な人だ……」
強さはあるし、知識もある。見た目だっていいし、金もある。理不尽なほどに全てを持っている男、それがマスターだ。秘密主義なのと基本的に面倒くさがりなのだけはどうかと思うけれど。
「理不尽? 何が?」
「マスターです。秘密主義なくせに無駄に強いせいで、強引に聞き出そうとしても聞けないのがずるいなって」
「僕これでも『宝石の勇者』の息子だし、強いのに関しては遺伝だから。秘密主義って言うところに関しては否定するけど」
「いや、秘密主義でしょう」
「……そんなことない、はず。ないよね?」
「あります」
そう言うと、わざとらしくショックそうな顔をするマスター。
悪い人ではないし、嫌いでもないんだけど、やっぱりどうもこの人のことが苦手だ。尊敬はしているが、どうも胡散臭いというか――何考えているかわからなくて怖いところがある。
自分が秘密主義なことだってわかっているうえでわざとふざけた態度をとっているだけだろうし、この人と話しているとなにが本当かわからなくなってくる。
「まじかー、ショック……
あ、そうそう、一つ言わなきゃって思ってたことがあるんだ」
「なんですか?」
「今度、少しレーツェルに帰ってきてくれないかなって思ってさ」
「レーツェルにですか?」
「うん。王様にも話は通してあるから。大丈夫、ちゃんと迎えには行くからさ」
「それはいいんですけど――なんでまた?」
レーツェル自治領はマスターが管理している土地で、二つある『紺色の霧』の拠点の一つ。ちなみにもう一つの拠点はイナナス王国の王都イナスにあり、こちらは『紺色の霧』として活動を始めた当初使っていた建物がそのまま使われている。僕は基本的にこの二つの拠点を行き来して生活していた。というのも、転移魔法が身近にある僕らにとってはどれだけ距離があっても関係なく、「それなら過ごしやすいほうに居たいよね」というマスターの意思により、その日の天気や季節などによってどちらにいるかを変えていた。
閑話休題。
レーツェルに帰る、という意味はわかったが、どうして帰る必要があるのかはわからない。連絡事項があるなら今言えばいいし、わざわざ帰って何をさせようとしているのだろう。
とはいえ、秘密主義のマスターのことだから答えてくれないかもしれない。そう思って尋ねたのだが、意外なことにマスターはすんなり答えてくれた。
「ああ、『夜霧』使えるようになったんでしょ? だから、その訓練しなきゃいけないじゃん。ほら、やっぱりやってみないとわからないコツとかあるからね」
「別にドランツ王国内でもできるのでは?」
「人の土地に穴あけるのは忍びないし」
「……穴あける前提なのおかしくないですか?」
「いやまぁ、前科あるし」
「ああ、そういえばそうでしたね。魔法ぶっぱなして湖作ったんでしたね」
「あはは、若気の至りだよ。湖って言っても世界地図だと見えないくらいのサイズのやつだし」
「普通そんな強力な魔法撃つことないですからね?」
「もう400年前のことだから時効だよ」
「今いくつでしたっけ?」
「えっと、勇者歴が僕の年齢と同じだから――今勇者歴何年?」
「420年です」
「じゃあ今420歳」
まぁ、420年生きてたら今何年かわからなくなってもおかしくないか。
――400年と言われてもいまいち実感が湧かないが、僕も『夜霧』を使って不老になったからそれくらい生きるのか。
なんというか――不思議な感覚だ。
「あ、違う違う。僕の年齢の話をしてる場合じゃないや。レーツェルに来るときに言っておかなきゃいけないことがあったんだ」
「なんですか? ろくでもないことだったら殴りますよ?」
「大丈夫、変なことじゃないよ。ただ、来るときにヨナちゃんと勇者くんを連れてきてほしいんだ。あと――公爵家の令嬢様はどうしようかな。本人が来たいみたいなら連れてきてもいいよ」
「別にいいですけど――どうしてまた?」
「ついでに稽古つけてあげようかなって。ほら、やっぱり僕がまったり過ごすためには、今回襲撃してきた魔族くらいは余裕って感じじゃないと困るんだよ。いちいち僕が色んなところ行くのだるいし。
パリムゾン解放したって聞いてたから勇者くんももう少し頑張ってくれると思ったんだけどね。思った以上に弱かったみたいだ。確かに一対一なら魔族よりも強いみたいだけど、どうも多対一の状況になると弱いっぽいね」
「あー、ワタルはどうも視野が狭くなっちゃうみたいで。パリムゾンは少数の強い魔族での占領だったので戦いやすかったのかもしれませんけど、今回は雑魚魔族が大量に押し掛けてきたので相性が悪かったみたいです」
「要改善だね。ほら、やっぱり勇者っていうのは最終兵器でなくちゃいけないからさ。どんな状況でも敵を殲滅するくらい強くないと」
「勇者の息子が言うと説得力が違いますね。まぁ、そういうことなら連れていきます。
でも、流石に王都空っぽにしちゃって大丈夫ですか? 元勇者パーティーの方々がいるとはいえ、襲撃の後ですしあんまり戦力減らすのは――」
「んー、たぶん二回目の襲撃はそんなすぐはないと思うけど――一応この国の重鎮たちには非常時に僕に連絡が来る魔道具を渡してきたから、まぁ大丈夫でしょ。何かあったらうちのクランメンバーみんなで遊びにくればいいよ」
「それ、王都灰になりませんか?」
僕よりも強いクランメンバーたちの顔を思い浮かべて、本気でその心配をしてしまう。今回の襲撃レベルの敵にクランメンバー全員というのは過剰戦力だ。魔族が可哀そうに思えてくる。
まぁ一応良識はある人たちなので王都を灰に変える――なんてことはないと信じたい。「魔族一人ひとり殺すよりも城ごとぶっ壊したほうが早くね?」とか言い出しそうな脳まで筋肉でできてそうな人もいるが、大丈夫だろう。
――大丈夫、だろう。
「ま、流石に全員連れていくのは冗談だよ。適当に二人とか三人くらい送ればいいでしょ。今回に関してはキノアだけでもどうにかなりそうだったし。人質がいたから僕介入したけど、居なかったら全部任せてたよ」
「信頼されて嬉しいと言うべきか、スパルタで辛いというべきか悩みますね」
「喜べばいいと思うよ。
……じゃあ、キノアの調子もよくなってきたみたいだし、僕はもう帰るよ。エルナもそろそろ王城の後処理終わらせてるだろうし」
「もしかして丸投げしてきたんだすか!?」
「面倒くさそうだからね。ギルドマスターの役割は人に仕事を振ることだから。
それじゃ、今度迎えに来るから準備しててね。僕はエルナと合流してから帰るよ」
「は、はい。それじゃまた」
「元気でね~」
マスターはそう言うと、執務室のドア――壊れている――を通って外に出て行った。
相変わらず自由なマスターに僕ははぁ、と息を吐くと、まだ怠い体を癒すためにもう一眠りすることに決めたのだった。
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