第33話 切符
誰もが生まれるときに何かしらの切符を貰うはずらしい。それを抱えて道を通り、壁と屋根に囲まれた場所で眠れる。
貴族なら黄金でもあしらわれているのだろうか、暖かく豪勢な食事や使用人にも囲まれ日々の手間から解放された暮らし、浮いた時間に将来受け継ぐ権力を扱えるよう大層な先生方から帝王学を学ぶ。そんな道を通る切符をもって生まれてくる。
そこまで特等席じゃなくとも別に悪くはないが。パン職人や農地を耕す切符、劇場で華やかな衣装を着て空想の話を演じるなんてのもある。
値段はそれぞれ違うし敢えてそれを破るやつもいるだろうが何かしらの切符は持って生まれてくるもんだ。
だが、俺達のはどうしてなのか無かった。
一応最初は壁と屋根はあった。でもここに座れるはずだと証明して見せるものを持ってなかった。むしろ逆だ。自分の名前があるはずもない空いてる席にビクビクと座っていた。
そういうのをキセルというらしい。切符を持っていないくせにスッと入り込んでいつの間にか混ざっている。詰め寄られれば食事を奪われたり頭をぶっ叩かれたりだ。
居た堪れずに外に出れば何でもない切り株なんかを見つけてこれは俺たちの椅子だと慰めていた。
そしてある日相棒が言ったんだ「キセルより切り株がいい」と。だから連れて走った。二人とも足は速かったから追いつかれることはなかった。そのうち自分たちで書き殴った切符とどこかの椅子を得ることを約束して。
**
木々からひたひたと落ちる雫がひんやりと顔をなぞりゼンキは目が覚めた。ぼんやりと目を開けるとすぐそばに見知った奴のぴしっと畳まれた背中が見える。
耳元まで覆うような深く作られた白い仮面。それを被った2本角の鬼・ミョウキが綱取りの泉のほとりで微動だにせず土下座している。高雅な銀色のミスリルで拵えた軽鎧を着込んだあの女騎士に向かって。
「ミョウキ……?いったい何を……」
「何ってただの土下座だよ。ゼンキが負けた相手に私じゃ無理でしょ」
しかも自分の両手両足は何十周してるかわからないほどロープでがんじがらめに縛られ、芋虫のように這うことしか出来ない様だった。
「てめえら!こいつに何しやがったあ!」
「何もしてません。さっきから顔を上げてと言ってるんですが……いきなり現れてずっとこの調子です」アイナは困り顔で説明する。
「嘘つき」
「は?」
「私のところに戻るって言った。角に誓って負けないって言った」
白い仮面に額は土に埋もれようかというほど深く頭を下げ、その詫びる姿勢でもって縛られた相棒の盾になりながら責める。
「うぐっ。……それは」
「欲かいていっぱい盗ろうとして返り討ちにあったんでしょ。死んじゃえ脳筋。敗北者」
「ぐっ……」
「気まずそうだな」
「うるせえ!」
「えっと、あなたが寝てる間にミョウキから話は聞きました。私たちは貴方たちに危害を加える気はありません。荷物をまとめてさっさと去ります。ただ貴方が起きてからじゃないと要らぬ面倒が増えるかと思ったので」
「やかましく追いかけてきそうだからなお前」
「……聞いたって何話したんだミョウキ」
「色々です。これは癒しのテスタメントだそうですね。どうりで燃費が悪そうなわけです。癒しの力はとりわけ魔力を使いますから」動かぬ鬼の娘に代わって腰に差した杖をポンと撫でながら答える。
「あとは彼女の治療するために杖を狙って盗賊団に入ったこと。その流れで杖を回収した私たちを襲ったこと。その白い仮面は貴方がなけなしのお金で買ってあげたことなんか聞きました」
「お前としちゃ彼女が乗り込んできて戦いに巻き込まれないように転移のパネルを使って場を変えたってのが本当のとこだろ」
「図に乗んな鎖付き。首落としたって首だけで噛みつくぞ俺は」
「結局その杖を餌に盗賊団でこき使われていた事も聞いたが、あの部屋に忍び込んでこっそり使うくらい出来ただろう、お前みたいなのが何で馬鹿正直に従ってた」ゼンキの雑言を気にすることもなくヨカゼは続ける。
「その、そうするには誰かに詠唱をお願いしなきゃいけなくて。鬼は魔力を外に向けて使うのは苦手だし、それに……」
代わって答えた白い仮面がさらに地面に沈むように見えた。
「それに?」
ミョウキはそこで固まり、ゼンキは睨みつけながらも口をパクパクさせるように言葉に詰まる。理由に気付いたのはアイナが先だった。
「貴方たち字が読めないのね。周りの目を盗んで2人だけでは詠唱する呪文がわからない。賊に従って教えてもらうのを待つしかなかった。現にこれは古言葉で書かれてもいるので多少学んだ者でなければ読めません」
「だあああ!何なんだマジでよお!」
「ゼンキ黙って。この人たち見逃すって言ってくれてるんだから。この馬鹿」
あれだけ暴れてた鬼を言葉だけで御する。2人は盗賊仲間というだけでは済まない運命共同体であることは明らかだった。
「……顔を上げて仮面を外してください」
初めてミョウキはピクリと動揺を見せた。
だが嫌も応もない。きりとした声で指示した騎士、フェーズが進んだのだと娘は理解しゆっくりと立ち上がる。その所作は毅然としておりこの場を必ず切り抜けるという決意を伝えている。
「ぬああああああ!てめえええええ!」
くの字から伸び切ったその反動だけで跳ね叫ぶ。こんなに地面から飛び上がる蓑虫がいるかというくらいだったがヨカゼに鞘で軽く叩かれ、どさと落ちると足で背を踏まれ抑えられる。相棒からもまた「クソバカ」と罵られた。
「利かん坊過ぎだろお前……」
「ミョウキ、お願いします」
少し俯くが、鬼の娘は意を決したように仮面のふちに手を掛けた。
ミョウキは白い仮面を外す。
顔の左半分が焼け爛れている。
彼女の眼球は瞼の保護を得られず露出し、剥き出しの赤い頬の筋肉の隙間からは白い歯が覗ける。森のそよ風が当たるだけでも刺激になり沁みてしまうようでミョウキはきゅっと閉じれる分だけ目を瞑る。
耳元まで覆う深い仮面の作りで顔はすっかりわからなかったが、これほど重度の傷病を抱えているとは。2人は彼女の苦患に喉を押しつぶされ、目は泳ぐのを禁じられた。
ただただ痛々しい。
ゼンキはというと仮面が外れた途端に大人しくなり、表情を歪ませ後ろ手に縛られた拳を握り締めた。それはまるで彼女の顔半分の哀切この上ない筋張った赤みに「お前のせいだ」とでも追及されているような後悔と惑乱にも見えた。
「どうしてこんな……」
「……お母さんに」
「は、母親!?」
「暖炉に押し付けられちゃって、オーガなんだからどうせすぐ治るだろって。でも焼け過ぎちゃったみたいで全然元に戻らなくて。才能ないんです私」
そこまでミョウキが暴露したことでゼンキはいよいよ観念したようで「もういい!」と堰を切ったように話し出した。
「こいつが焼かれたすぐ後、俺らは2人で村を出た。ある日、その晩の寝る場所を探し歩いてたら盗賊が野営してるのに出くわしたんだ。戦いの後だったのか似たような火傷で苦しんでる奴がいて、そいつをその杖で治してるのを見た。そんで杖と鬼の治癒力が合わさればミョウキの顔も元に戻るんじゃねえかと考えてそいつらに声を掛けた」
「機を待っていたらタンコブ連中が捕まったんであの館を漁りに戻ってきたわけだ」
「成り行きはもういいだろ。仮面をつけさせろ。だが絶対にそいつ奪ってやっからな」
強い目。同情を貰うつもりは毛頭ないのだろう。許されようとしているのでもない。この上でなお、自分の力で彼女を救うことに微塵の揺らぎも無いようだった。
「仮面でいいって言ってる!」
しかしミョウキは怒鳴った。
だから危ないことはしたくない、普通に暮らせればそれでいい。そう相棒に訴えるような。
だが真に迫るその言葉に「いいわけねえだろうが」と囁くようにゼンキは反論する。
虐待の過去。それによる傷は無理な動機を抱えることになり、見習い程度とはいえ盗賊まで落ちた2人の若者。アイナの瞳は明かりも付かぬ地下牢を映しているような黒が広がったように見えたが、この場に居もしない大人への憤怒は吐かず冷静に返す。
「ゼンキの発想は間違ってはいません。強い癒しの魔法は失った肉すら再生させることがあります」
だがしくじった。そう自分を責めているのだろう。闘争心収まらぬもののゼンキはひとまずこの場の沙汰を待つように首を垂れていたが、今度はヨカゼが問う。
「お前ら『第一世代』か」
「……はい」ミョウキが答えた。アイナには何のことかわからなかったが、この顔を晒させてさらに細かい追及をする気にはとてもなれない。
「そうか。しかし大丈夫か?癒しは結構コツがいるだろ騎士殿」
「……それは問題ありません。実は故郷で同系統のものを使っていた事があります。私こう見えて魔力は結構ある方なんです」
「え?」とぽかんと呟いた2人の鬼にそれ以上の返答は無用とアイナは腰元の杖を抜き、切っ先を鬼の娘の顔に向け螺旋状に刻まれた呪文を詠唱した。
「仏神の恵みに叶う我が流儀、末世の人を救いたまへや」
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