第9話 命令書

 これで本当にいいのだろうか。


 明らかに気まずくないか。


「通常の軍ではないので固いことは必要ありません」


 アイナ自身が名乗っただけで碌に話もしないままと輸送隊長クラッキオに促されとりあえず歩き出してしまった。挨拶も交わさぬまま一行はオギカワ砦の南門をくぐる。


 適当が過ぎるだろうと思ったが、刑軍もなんの違和感もなくそれに合わせている。どう関係を築いたらいいのか唇が重い。背負う鞄が極限まで軽い仕様なのが実に皮肉に感じる。


 無下にするでもなく距離感の取れた付き合い。これがその一つなのだろうか。要は任務に不必要な詮索はしない。無機質な一単位として扱うことが彼らにとって配慮になる……?


 何かの罪を犯して囚人街に移送され、ほかに働き口を斡旋されることなく危険な刑軍の任務に派遣された者たち。素性を探ることになる会話を減らすことに理解はできるが、あまりに機械的ではないか。


 軍と呼称されるもやはり看守と囚人の関係に近いということか。戦友になるのだと、こちらから友好を示すことは有難迷惑なのだろうか。アイナはその行進だけでは探り切れず、少なくとも初対面での表情はとせめて口角を上げて歩く。


 彼らの表情とはどんなものか想像がつかなかった。囚われている事に怒りを振りまく顔か、いつ解放されるかもわからない労役を強いられ絶望しているのか、はたまた境遇など関係なく刹那的に現在を楽しむものか。しかし今しがた出会った刑軍の面々はアイナとは違いなんということもない。互いに無言で歩を進めるがさあ日々の仕事に入ろうかと、穏やかと言ってもいい顔をしている。特別こちらを嫌っている雰囲気も感じない。


 そしてオギカワ砦、どうやら此処はただの軍事拠点というだけではない。住居や商店と思われる数階建ての建物が正面通りを挟んで並ぶ。十分に経済活動もこなせるだろう石造りの街並み。


 門から続く正面通りは馬二頭立てで走らせた戦車でも余裕をもって駆け抜ける幅。今は上から敵へ投げ落としたのであろう両手で抱えるくらいの石がごろごろしているが。右手前に見える建物の壁には矢が突き刺さったままだが旅人を最初に迎える商店だったのだろう、大きく空いた間口の手前に商品棚がそのままだ。


 初任務で顔も今初めてみる刑軍の兵、勝手知らぬ地、浮足立つ頭の中を鎮めるため両頬をぱしんと叩く。いったん落ち着くために私の周りにだけ霧が包んでくれないでしょうかと念ずる。


 初仕事だ、初仕事。凛と振舞わないと。


 だが、それら過去の残影や新顔たちとの緊張と闘うのは束の間のことだった。


「では、これが今回の貴女への命令書です」


 クラッキオに1通渡される。無言で行進したこと然り想像以上に丸投げというか、正直言って中に入ってこれから何をするか漠然としていた。具体的な指標をもらえるのは有難いとアイナはすぐに封を開く。


 しかし、その文面を読むと顔は途端に苦虫を潰し彼女は足を止めた。指揮官が停止したので隊全体もここで最初の指示をするのかと視線を寄こす。



<本陣を確定の後、指揮官は本陣にて待機。刑軍にサルベージを指示されたし。肝心な時以外は動かぬよう>



「私は本陣で待機……!?」


 命令書に押してある判は領主・ミルワード公のもの。「肝心な時」という含みは持たされているが10人に満たない小隊の指揮官に対して本陣を定めてそこから動くな?


 明らかに領主が配慮している。


 勿論私ではなく故郷の父に。この紙から腐ったブロウ・フィッシュのような政治的忖度の臭いがする。この娘に怪我はさせられん、とわかりやすく騎士の任務から突き放してくる。


 冗談ではない。


 この東の端まで飛ばされて、そのうえ地蔵になれと仰る。


 私は贅沢に召物を与えられただけの子犬か?このレイピアも牙さえ足りぬ子犬だからと添え物にされたとでも?


 これほどの距離に離しても父の権威は、私を小さな尻尾を振って回る家の看板として飼いならす気でいるのか。


 囚人の軍を率いることと貴族出身の騎士であること。右も左もわからぬ初日。自分に持たされた属性に振り子のように感情が揺らされているのは情けないが現場にいる指揮官は私だ。仕事に悩むことすら封じるような指示にやるせない苛立ちが沸き上がる。


 不満に満ちた顔をしたのだろう。年長の護衛が命令書をのぞき込み、ふと一度目を閉じ彼女の心情を察する。長年彼女のお付きをしている彼には、その父との距離感と持ち合わせる反発心が透けて見えていた。


「郷に従うというのも1案ですかなアイナ嬢。それに私のような年寄りはなかなか要領がつかめませぬので、いきなり家探しでは足を引っ張るかもしれませぬ。お宝と気付かず壊してしまうかも」柔らかな言葉で主を宥める。


「あ~。複雑な事情をお持ちなようで。ですが刑軍に任せきりの隊は多いです。表立って命令されるのは稀だとしても、定石と言ってもいい。『刻爪』のおかげで脱走者などいませんし、我々が前線へ出張ったのでは刑軍を連れてきている意味がない。それにクソ真面目は疲れます」


 アイナのむくれ面が取れたわけではないが、クラッキオも仕事柄はねっ返る若い騎士の扱いに慣れているのか中立に立った言を吐く。


「此処に居りゃいいじゃねえか嬢ちゃんは懲役金なんてないんだろ。稼ぐ必要がそもそも無い。俺らがブツ集めて、嬢ちゃんが持ち帰る。サルベージってなそういうもんだ」と斧の片割れ。刑軍の者も状況を察したようで口を挟む。自己紹介は要らないが思ったことはずかずか言ってくるようだ。


「監視がないのも気楽でいいしね。怒られるの嫌いだから私」と小太りの槍バート。


「魔物とか出たらどうするんですか。皆で戦わないと」


「それぞれが対処する。無理なら逃げる。どっちもダメならオダブツってな、そういう仕事だぜこれは」


「そだね。固まってるから安全とは限らないし」


 だから待ってればいい――。そこそこ優しげな皆の言葉がメッキとして塗られたかのようにアイナは微動だにしなくなる。ちらちらと上目遣いに視線だけ不満な紙や配下たちの間を行き来させ、反発心と領主の指示を頭の中で戦わせているようだった。


 そして10数秒。彼女はついに腹を決めたように口を開いた。


「……わかりました。刑軍はひとまず自由に動いて構いませんが、我らも待機はしません。サルベージを行います。待っているだけでは仕事を覚えませんし回収量が増えれば私含め隊全体の実績になりますから」


 精一杯力強く言った。


「成績表を気にするタイプみたいだぜ兄貴」と斧の弟イライジャ。


 後でお叱りを受けようとも私に必要なのは任務に対する実績だ。トップスピードで騎士の等級を上げ、伴う力が欲しいのだ。ただ座ってなどいられない。


「ちょっと待って下さい。本陣に居ろとの命令ですよ」ディンゴが疑問を呈する。


「拠点に関しては間口も大きく外を窺えますから、そこの門に一番近い商店らしき建物を本陣の『中心』に。そしてその中心から『1000歩分の距離を本陣の範囲』とします」


 下された命令に「広い解釈」をして妥協点をつくり号令をかけた。クラッキオだけが「おお」とにやけながら感心している。


 ――これは盛大に拗ねている。


 護衛達は、どうしたものかとヴェルネリの反応を伺ったが渋々に彼が頷くとそれぞれ「承知しました」と仕方なさげに応じた。


「加えて今日のところは日が落ちるよりも2時間は早くサルべージを終了としましょう。突発的な問題に皆で対処する時間を設けた計画にします。魔物が出れば派手に音を立てて構いませんので我々を呼んでください。一体となって駆け付け対処します。サルベージに優れているのは皆さんですが、武装が優れているのは我々ですから」


 その言葉にまず同意を示したのはカタナの男だった。なぜか呆れたような顔をしている3億の男。


「別に文句はない。俺たちは詰まる所いつも通りだ」


 他の者も沈黙でもって可と示すようだった。


「こっちはどうする、一緒に動くか?槍と斧2人」


「別々でいいでしょ。お守りが必要な歳の奴はいないようだしね」


「俺らは2人で行くがな。兄弟なもんで裏切られる心配がない」


「わかった。じゃあ集めたブツも基本どおり。自分が拾ったものは自分の稼ぎ。ブツの取り合いで揉めたら騎士殿が仲裁して配分を決めてくださる」


「ええ」「おう」と槍と斧兄弟、仲裁についてもアイナはつんと拗ねたような顔をしたままで「わ、わかりました」と応え刑軍同士での約束事はまとまった。


「よろしいようですな。では私も持ち場に戻るとします。幸運を」


 これ以上若気の至りのとばっちりを食わぬうちにと一礼の後クラッキオが微笑を浮かべながら門の外へに歩き出す。アイナは振り返って見送るが、その間に刑軍までも斧の片割れが「じゃあ俺達も」と添えて4人とも濃紺のロングコートをさっさと砦の奥へ進みだす。


「あ!もう行くんですか!?ち、ちょっと!待ってくださいよ私が隊長ですよ!?」


「結局アイナ様が拗ねただけで終わっちゃいましたね」エリオが頭を掻きながらぼやいた。


「す、拗ねてないっ!」


「……ともあれ、まずはお手並み拝見としか言えませんな。もとより連携など無縁の連中。無理やり言って聞かせて従順になるわけでもありますまい。まあとりあえず我らも、その……『本陣の中心』を確保したら近場を巡って、習うより慣れろでいきましょう」

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