第44話 偵察

 野営した天幕の中、淡い水色の毛布の中で茶髪の女がその髪をかき上げて起き上がる。一糸纏わず眠っていた体が露になると突き出た胸の膨らみにはその美貌を咎めるように爪の痣があった。


 外から食事をと声をかけられたのだ。スムーズに起床が進むよう一皿持ってきているようだ、焼けた卵と薄甘と鹿肉のソーセージの香ばしい匂いを天幕越しに送ってくる。カチンと陶器がぶつかる音がしたのはもう片方でブランデーの瓶も抱えているのだろう。


「ジャック、もうお昼みたいよ」


 一緒に毛布を被っていた男の胸辺りにトスンと軽く手刀を入れると白いシャツを手繰り寄せた。


「寝たの朝方だったろ。まだ眠い」ジャックは木綿の枕に頭を沈めたまま瞼もまだ開かないようだ。


「夜襲されたわけでもなし。ずっと盛ってるからでしょ」


「人のこと言えねえだろルシアナ」


「私が盛ったらあんなもんじゃないわよ。今日は鉱山裏の渓谷に行くんだから。あんな詳細な地図で一か所ぼかされてるなんて絶対裏がある場所、楽しみでしょ?」


「どうだかな。んなわかりやすい秘密だったらジェリスヒルが調べるだろ」


「あの砦の前城主、都市には偽装した地図を送って隠してたそうよ。クロクワのお坊ちゃんが持ってたのは砦でサルベージしたもの。それでさえ詳細を伏せてある。ワクワクするわね」


「へえ、俺より物知りじゃねえか」やっと瞼が開いた。


「なんで扉の外で盗み聞きしてた私が覚えててクロクワの隣で聞いてたアンタが忘れてるのよ」


「あいつ話しなげえからさ。見てくることには変わりねえし。……仕方ねえ。んじゃあ飯食って、前の城主が隠してた一物を拝みに行くかあ」


 ジャックは座ったまま腕を大きく広げ上体の筋肉を伸ばす。鍛錬を欠かさない肉体、本人の好戦性がもたらした大小の戦傷、さして恵まれた体格ではないがこの時代に似合いの騎士のそれだった。


「魔法医を呼んで一度体を綺麗にしなさいよ。瘡蓋だらけじゃ触っても気持ちよくないわ。こんなので戦いの名誉を自慢する男はいけ好かないし」


「そのうちな。体も新品に戻した方が動きやすいのは確かだ」


「この任務が終わったら依頼しましょ」


 刑軍衣装になったルシアナがいつもの赤と黒を基調に染められたドラゴン皮で作られた軽鎧を着せるのを手伝う。アップルトン家の嫡男の鎧は火を通さない、刃も呪いも受け流す最上位魔物の鱗皮で作られていた。


「アルネ、お前も行くんだぞ」パチンと胸当ての金具を止めたジャックは丸いシルエットが残る毛布に指示する。


「へーい」

 

 先ほどまではジャックの体と重なるようにして丸くなっていたのか、今まですっぽり隠れていた金髪の小柄な少年が毛布から這い出てきた。アルネの体には痣はなく刑軍ではない、端正な小顔が寝ぼけ顔で生返事をしている。


「ほら男の子でしょ。さっさと起きる」ルシアナは躾けるようにパチンとアルネの背中を叩いた。


「まだ寝てるならお前の飯は俺が食うぞ」


「嫌っすー」


 そこから三人は数分で着替えて出て行くが、包んで一晩温めたのに一仕事終えた毛布は畳んでも貰えずばさりと捲られたままだった。



**



20名ほどが騎馬で鉱山に沿う様に街道を疾走する。


ジャックと従えた腹心の兵たちは目的地へ至る途中で発見したインプの群れを襲撃していた。


「おら逃げろよ小人ども!」先行しているアップルトン兵が煽りながら軟弱な下級魔物を斬り付ける。この程度の会敵ではハンティングスポーツに過ぎないようでせせら笑いを浮かべている者が多かった。


「成体でも俺より小さいなんて可哀そうだなあ。三つ折りにしたらバックパックに五人は入りそうだよ」


 アルネは飛び降りると着地様にスティレットと呼ばれる十字架を模した短剣でインプの喉を掻き切る。続けざま下段蹴りで一体薙ぎ倒し、のしかかる様に押さえつける。絶命を悟ったインプは涎も鼻水も気にせず泣き喚いた。


「怖いなんて言うなよ。許してとも言うな。勝つか逃げるかしかないんだ。泣いてる暇があったら砂を握って投げつけて、小さい足をぶん回して遠くへ走らなきゃ。天罰の雷を落とす神様なんて居ないんだ」


 魔物の言葉が分かるはずもないアルネだが確信したように眼を見開き語り掛け、スティレットで心臓を貫いた。


 騎馬で旋回するように群れを取り囲む。残った10体弱の魔物たちは竦み上がって動けない。


「さすがにつまらねえな」旋回を眺めながら部隊長は愚痴る。


「昨日みたいなお祭りはそうそう無いわよ」ルシアナは騎乗しながらも動かぬ的に淡々と矢を当てた。


 あっけない、準備運動にもなりはしない。すっかり殲滅して部下たちがささやかな追いはぎを始めたがジャックは終始食指が動かず何の参加もしなかった。


 これだけの暴力しか備えないのに略奪に生きる頓珍漢な種族に哀れな軽蔑を与える視線。死体になって当然と唾を吐き捨てる。


 ――結局貪欲さが違うのさ。アルネにはそれがあって、深緑の小人にはそれがねえ。



 だが、そうしているうちに一団の先から騎兵が一騎現れ報告した。



「昨晩渓谷へ先に行かせた斥候二人が戻りません。間抜けじゃない奴を選んだんですが」何かおかしいとその部下は訴えた。


「あら、夜店が出てたのかしら」


「正体不明の領域に先手を打たれたか。斥候は今のと同じルートを進んだか?」


「そのはず」とルシアナ。


「ずらすぞ。鉱山登って上から見通す」


「今から左へ抜ければコーエンのために確保した経路に合流できます。そっからせっまい山道がありますよお」血しぶきを浴びたアルネは穏やかな笑顔で顔を拭きながら戻る。


「使わねえ。刑軍に山賊やってたグループがいただろ、奴らにまず探らせろ」


「昨日からやってるわ、広域哨戒がお仕事だったから。今頃は獣道を見つけているはず」


「さすがは俺の女」


「私じゃないわ。指示したのはアルネよ」


「なら間違ってねえよ」


 号令をかけ進路を鉱山へ傾け出発したが、傍付きのルシアナは直感していた。無意識ではあるはずだがジャックが大人しい。体力も魔力も出来るだけ温存しようとするように敵を前にしても動かない、こういう日は決まって何かある。

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