第45話 よもやま

 砦の本丸でクロクワ・クラウスは都市への中途報告書を仕上げていた。オギカワのサルベージは完了し、工夫を入れて復旧作業に入ることが可能になったという趣旨の言をまとめている。


「クラウスの次男坊はお勉強中でしたかな」と執務中の部屋にノックの答えと待たずにはいるガチャガチャ重装のせっかちな男。


「ようやく来たか。仕事が早いのだけが取柄だろう」彼を見てクロクワはペンを置いた。もうとっくに冷めているのではないかティーポットから紅茶を注ぎ、柑橘の香りを訪問者に送り一口啜る。


「休暇も正しく時間を使い切るのがモットーでしてね」


「オギカワ砦の復旧は誰の仕切りになりそうだ」


「第一候補が鍛冶ギルドのブルーノ、第二候補が不動産も扱う劇場主のオラシオ・バルレート。まあ資金力の順番ですな」


「ここの経済的利権を手に入れるという事はその先に十分に私設軍隊を持てる利益が見込まれる。いよいよ大きな釘を刺すべきかもしれんな」


「そちらはアップルトンの倅が火遊びをさせてくれなかったそうで」


「おかげで花火の代わりに槍で遊んだが、ここの守兵も魔軍もウチに比べたらそこらの農民が武器持ったのと同じだな」


「モンスターハウスの亡霊は本物よりは少し落ちます。指揮官もいないから集団戦になれば負けはない。…ただ、私なら10人も死なせない」


「手落ちがあったと?」ぎろりと座りながら手で机を押し椅子を傾けると、木造の後ろ足2本はバランスを取りながらゆらゆら騎士を支える。完璧主義のクロクワはこの手の小言には必ず食いつく。


「別に間違いというほどではないですが。ただ私なら弓兵をもっと多く配置しましたね、トラップの処理はより慎重に。そして何よりジャックからは注意を外しません、たとえ友人でも」


「奴は友人ではない」何度も染みついたように即答する。


「ええ、そうでしょうな」くくと笑いながら同意する。


 皆に友人だと思われ問われ、その度迷いなくこう答える黄金色の騎士は実にその尖った若さが眩しい。鎧よりも遥かに。


「下らん挑発をするな」ともう一つのカップに紅茶を注ぎ座ったまま差し出す。さすがに立って手渡しは名家の矜持が許さないのを察して訪問者は前に「有難く」と出て受け取り、そばに並んだ木椅子に適当に座った。


「クラッキオ。ジェリスヒルを捨てるならウチに来い」


「……いつ私が都市を捨てると?」


「舐めるな。お前は財産を整理して荷造りをしている。遠征のためなら部屋を引き払ったりはしないだろう」


 この騎士の手勢が武装した者だけのはずがない。都市のそこかしこにクラウス家の間者が潜んでいる。世話役として見事に仕えていたクラッキオも見張るほどに。輸送隊長はやれやれといったように大げさに首を傾げる。


 ――嗚呼、実に鼻が利いて実行力も伴う。これを聞く機をいつから伺っていいたのかこの若造は。


「あなたのところは御免ですよ。誘いは嬉しいがね」


「王都の槍、クラウスの軍で働くのが不足か?」


「過大なんです。監視されるのも好きじゃないし堅苦しさは今が上限。何よりあなたの下じゃ残業が多い」


「では生まれた地を去る理由はなんだ」


「そういうのは酒といい女でも用意して聞くもんです。紅茶って深窓の令嬢じゃないんだから」


「いや、閉鎖された環境で聞くものだ。酔いと色欲に情報を組み合わせる馬鹿は身を滅ぼす。お前は私について三年だ、他に漏らしはしない」


 クロクワは断言して睨む。私を信用しないとはどういう事だとふんぞり返る様に腕を組んだ。この男の性格を理解していた輸送隊長はため息か決意の深呼吸かふうと吐き、胸当ての裏からマッチと煙草を取り出しくゆらせる。最初の煙をクロクワがしかめ面でうざったく手で払ったが気にしなかった。


「なら敬語も必要ねえやな、誰も聞いちゃいねえんだ。確かに俺のジェリスヒルでの仕事は今回が最後だ。……俺はな、これ以上なく出遅れたんだ次男坊」ぶっきらぼうな口調になり話し始める。


「戦死した同期でも恋しくなったか」無礼講を咎めるほどの野暮ではないようだった。


「別に死にたいわけじゃない。だが日がな馬車で鞭打ってるのが馬鹿らしくなってな。やりたかったのはこんな事じゃない」


「では独立して城の一つでも勝ち取る気か?」


「若いのは燃えてていいねえ、そういう野心はねえよ。……こちとら刑軍を馬車で運んで25年だ。簡単な話、墓場を巡り過ぎて狂っちまったのさ。今日は死体を漁って明日は死体を漁って、集めたブツは次に死体になる奴に渡しに行く。兵士や看守どころか地獄の螺旋を作る獄卒さ」


「資源の循環だ。畑でも金でも鉄でも、すべからく回転させねば構造が崩壊する」


「だがそれを実行する人間の眼球は理屈に追い付かない。ジェリスヒルの大倉庫に行くとよ、いつも吐き出しそうな嫌悪感だけ覚える。遺品の塊、墓に骨と一緒に埋めてやれと思うもので蚤の市だ。あそこのド臭い死臭に気付いてるのは俺だけなのか?どうして死神の街だと誰も責めない」


「思いのほか折れているのだな」


「悟ったのさ、この阿保らしい戦乱の時代が終わるのはどっかの都市の勝利じゃないってな」


「では何だ」

 

 少し間を取って首を回す。早々に一本吸い終えると紅茶を一気に飲み干し、どう説明したものか考えているようだ。


「発明」そしてひねり出した二文字。


「発明だと?」


「画期的な発明が現状を壊す。この最新技術の恩恵に預かれず時代遅れになりたくなきゃ剣を捨ててこちらに従えってな」


 何を言い出したんだこの男はとクロクワは一瞬ぽかんとしたが、理路整然を好む騎士は何か言う前に置いたペンを手に取りくるくる回し始めた。その手遊びで自分の引きちぎるような反論衝動を出来るだけ抑え込むように。


「馬を使わぬ空の四輪車が勝手に走り出したらどうだ?輸送に革命が起きるだろう。もげた足を再生させる薬が製造されたら?ドラゴンを使役する方法を見つけたとしたら?」


「絵巻物のような研究が完成するならそれに越したことはない。だがそれまでの時間どうする。皆の故郷はされるがまま他の都市に侵略されるのか?」


「そこはま、若いのがなんとかしろよ」


「まだだ。革命的な技術が生まれたとして、商業的な契約で戦争を鎮火させることが出来ると?必要なものを得たら店ごと武力で潰されるのが落ちだぞ」


「ただの店ならな。そこで俺の出番が来るわけだ」


「お前が……?」


「俺が」


 クラッキオは夢想を垂れ流すような痴呆の中年ではない。クロクワは半信半疑だったが、これまでの彼の貢献が意味の分からぬ退職動機に説得力を与えていた。そしてその信用が途端にざわりと強い警戒感を与え心臓がペースを上げる。こいつもしや爪を隠していた、何か企みこの私すら隠れ蓑に利用して――。


 戦ったところはあまり見たことはないが、確か弱くはなかった。オークくらいなら訳もなく捻るはず。後方の兵站管理に関しては私が隊に誘うほど確実に補給線を確保する。守備や警邏の指揮にも長ける。


 しかしそれだけだ。一軍のさらに分割した部隊長がふさわしいという程度。将には重宝されようが、だが今のこいつは明らかに謎の背景を背負った話をしている。


「前言は撤回する。相当にきな臭いところへ行くようだな。折れた中年ではそんな事はしまい」


「そりゃどうも」


「……今のは漏らしはしない。しかし私に話したこと自体は後悔するやもしれんぞ」


「これで計画が崩れて後悔する無能ならお前が軍に誘うことは無かったさ、次男坊。お前は正しく優秀な貴族の騎士だ、その調子で生き延びろよ」


「教師面をするな」と言い返すのを尻目に、本音は終わりだと「じゃあ備蓄庫を見てきます」と口調を戻し輸送隊長は部屋を出て行った。部屋に充満した煙草の臭いは消えようとする一人の兵士の残滓としては爽やかとは言えず、黒い靄をクロクワの心に塗りたくったようだった。

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