第32話 格
木々に囲まれた水場。薄く差す日光が水面を照らし、重層な深緑の森林による自然のカーテンは神秘的な雰囲気を醸している。
白光と共に突如現れた決闘と物置部屋の大荷物。『転移のパネル』が起動したことにより視界が真っ黒に染まって次元の狭間を通り抜ける瞬きの時間、それを経てここに現れたのだが鬼の男とヨカゼはその移動魔法の渦の中でも打ち合いを止めることはなかった。
水場の深さはどうやら足首を少し超えるくらいでしかなく、踏み込むごとに上がる飛沫や得物を交わす金属音は場違いな奏楽をかき鳴らす。併せて転移してきた毛皮や銀食器、本や木片は闘争の混乱を彩る様に泉にまき散らされていた。
「体が重い……!」
転移のパネルでこの場に飛ばされたアイナは即座にこの場の異常に気が付く。
空気が重量を持ち纏わりつくような不快感。援護で一撃入れようと踏みだす四肢が自分の思うリズムで動かないのは浅い水場に足を取られているからでは決してない、この感覚は全身を覆っている。レイピアも円盾も急に出不精になったのか動かすのを拒否しているように両腕にずっしりとしがみつく。初めてプラプラのバックパックにも文句をつけたくなる。
――通常よりも重力が大きい……?
「ここがお前のホームグラウンドってわけか」もうこの場でさえ10数度も斬り結んだか、袈裟にヨカゼは振りかかるが鬼はバックステップで容易く避ける。
2人の攻防も心なしか先程より眼で追いやすかった。いや、ヨカゼさんの方だけが遅くなっているようにも?
「『綱取りの泉』。重力のエーテルで溢れて全ての重みが倍になるマジックスポットだ」
一旦間をとった鬼はようこそといった風に語り、獲物を脅かす熊のように手を大きく広げ戦意を迸らせる。それに加え、完全には避けきれずヨカゼから喰らった切り傷がそこかしこにあるのだが、館でのと同じように赤い蒸気と共に次々に癒えていく。
「だが鬼の身体能力なら苦にはならない。此処で鈍間になった敵を悠々と殴り飛ばすわけだ」ふうと一息つき感覚を確かめるように水を蹴る。
「あ、あれズルくないですか!?あっという間に治ってますよ」
「鬼は自分の魔力を本能的に自己強化や治癒に使う。だから子どもでも一端の兵士のように肉弾戦が出来る」
「逃がしてやってもいいぜ?荷物も背負ってる分くらいは構わねえ。ただ女が持ってる杖は置いてけ」
――このテスタメントを要求している。盗賊の残党にとっても優先して奪還したい遺物ということか。
「冗談よせ。一番のお宝を何でお前に渡す」
「自分の命より値段はつかねえだろ?」
「随分余裕だな。増援もなしトラップもなし。体重増やして力押しってだけじゃ狩場というには頼りない状況だと思うが。お前の命も杖1本よりは高いだろ?お前が逃げたらどうだ」
「私たちの任務はサルベージ。回収品は渡せませんが、討伐は目的の外なので去れば追いません」
環境の有利を渡そうとも数的な有利がある。逃走を促しながらヨカゼの横に並び、円盾を前に突き出しレイピアの出どころを隠すように腕を引いた姿勢をとる。
しかし鬼はやはり退く気は毛頭ないようで烈火の如き気合と共に四股を踏んだ。
「生憎だな。俺にとっちゃその杖は自分の命の何倍も重い。そいつだけは奪うためならアンタらが千人の部隊だろうと追い回すし王族だろうとぶち殺す。好きなだけ戦列を並べてみろよ貴族と囚人、この泉の嵩をてめえらの血で倍に押し上げてやる」
「俺らはお前と何の因縁もないと思うが。ジェリスヒルが憎いか?」
「隅から隅までな。てめえらのルールが全員にハマると勘違いしてるカラクリ人形共が。てめえらとは生存圏が違えんだよ。気まぐれに掃除する気になって押し寄せた箒と屑籠が知った風に喋るんじゃねえ!」
ヨカゼとアイナは目を見合わせた。
なにやら訳ありではないか。力量もわからぬ相手を有無も言わさず襲い、即答で身命を賭けると怒りに満ち満ちて宣う。いくら何でも盗品の奪還目当てでこれほどの猪突猛進は不自然ではないか。相手にとってこのテスタメントの杖は重大極まる一品らしいが杖が余程価値が高いのか、それともその魔法効果が彼にとって必要なのか。
幸せの座標を知ることなく迷い荒れ狂っている。殺伐とした裏稼業の世界しか知らないような吐き捨て方の若者にアイナは思わず情が漂う。事情を聴こうかと盾の裏で彼の気を解くような文句を考えるが、ヨカゼの口上が先んじた。
「……いいだろう。もう少しちゃんと『相談』に乗ってやる」
「ああ?」
背中のバックパックをぼちゃりと落とし、何を思ったかカタナは鞘に納刀する。両腕を自由にして脱力してから、ゆらり構えた。
「ヨカゼさん!?いったい何を――」
「援護は無用だ騎士殿」
「……わかりやすく煽るじゃねえか鎖付き」
「お前なんざ『通用しない』。それが分かれば違う生き方を探すきっかけになるだろ。オラ来いクソガキ」
素手で十分。そう挑発されたと解釈した激情の鬼が跳ね飛ぶ。その怒りの力みで四肢の筋肉は張り出し血管は浮き出て見え鋼鉄でも抉り千切ると言わんばかりの威風。もはや打拳でもナイフでも一発当たれば関係なく甚大な負傷を与えるだろう勢いもって刑軍の剣士に挑んだ。
「スカし散らして後悔すんなよ人間がああああ!」
――以前何かで読んだ事がある。彼の愛用武器であるカタナの流派には居合い抜きという技術があると。納刀した状態から鞘の中を走らせることで加速を得て剣を引き抜き、目にも止まらぬ一刀を敵に浴びせ両断する。
そういった剣術をヨカゼ・トウドウは体得している?武器を収め素手で十分と逆上させ、その隙をついて高速の一太刀を?
「ヨカゼさん!死なせな――」更生、改心、教育。そんな堅苦しい言葉が脳裏をよぎるアイナは、部下の行動も勝敗も読めていないのに反射的に声に出してしまう。
「おらああああ!」
だが違った。
迫る若き鬼に対してヨカゼがしたことは軽く右拳を突き出す。それだけだった。
最小限の足運びで鬼のナイフを躱し、放った拳は相手の顎を僅かに掠めた。その動きはひどくゆっくりと見え、気の荒い牛を躾けるために軽く顔を叩いたかのような挙動。相手の視界から拳を外すためか少し外から回すように打ち、この場の重力の大きさなど凡そ関係ないだろう滑らかな一撃だった。
掠めた打撃は若き鬼の意識をいとも容易く奪った。
ひょっとしたら攻撃を受けたと認識すらしなかったのではないか。吠えながらナイフを空振った彼は大口を開けたまま糸が切れたようにどさりと倒れ、浅い泉に突っ伏す。
「生き物の体ってのは弱点がある、常に全力で叩いて斬ってが必要なわけじゃない。縫い針ほどの刺し傷を胸に貰えば死んじまうし、顎を上手に擦られれば白目むいてぶっ倒れる。あんたロープ持ってたよな、ありったけで縛って蓑虫にしちまおう」
「……もしかしてさっきまでは加減してたんですか?」
「転移のパネルなんて貴重なモン持ってるのは想定外だったけどな。だが加勢も居ないようだったし喧嘩に付き合ってやったさ。絡んできた子供をいちいち殺してたら目覚めが悪いだろ。さっさと済ませて楽に稼ぎたいのは山々だがまともに生きたきゃ金と時間にも歯向かわないとな」
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